バスケット人生
外は雨がひどく、出かけるのが億劫になる。けれど、重い足とは裏腹に、心は前向きだった。ウキウキとかではないけれど、会ってやってもいいと思う相手との約束は、雨すら忘れさせるらしい。人間て、結構ゲンキンだ。それとも俺だけなのだろうか。
就職しても、自宅から通っている俺は、最初こそ不自由さも感じた。これまで一人で自由にしてきたから、口うるさい家族が鬱陶しかった。けれど、日本食はやはり嬉しかったし、仕事とバスケ以外何もしないでいられる環境は有り難かった。
大きめの黒い傘を手に家を出ると、迎えに行くはずの相手がいて、正直驚いた。
「よぉ、迎えに来てやったぜ」
透明のビニール傘の大きさに合わない図体と、黒っぽいスーツにネクタイ。久しぶりに見る顔と、見慣れない格好。赤い髪は相変わらずで、全体のバランスがとにかくおかしかった。
「黒くしろとか、言われなかったか?」
「ああ、これな。人事部長とかいうのはいろいろ言ってたけど、地毛だって言い張ったからな」
空いた手で後頭部をかき回す。そんな仕草はいつまで経っても変わらない。それにしても、真っ赤な髪を元からだと言い張れるコイツにやはり呆れた。
「おめーのスーツ姿、なんだか変な感じだな…」
上から下まで見下ろして、そんな感想を洩らす。それは、お互い様だ。
「どあほう…行くぞ、乗れ」「おめーよー、居眠り運転とかでつかまったんじゃねぇ?」
助手席から大きな声を出す。相変わらずの雨に、いつも以上に神経を使っているところに、無神経なことを言われてムッとする。
「そんなドジじゃねぇ」
「そっかぁ? おめー、いつでも寝てるじゃねぇか。ま、今日だけは大事な桜木様を乗せてんだし、安全運転で頼むぜ」
大笑いしながら、エラそうに言う。でも、その笑いが乾いたものだと俺にはわかる。もちろん俺だって笑う気分ではない。
お葬式じゃないけれど、墓参りに行くのだから。安西監督が亡くなったのは、去年の冬のことだ。10年くらい前に俺達の知るところで倒れた先生は、元気でいる間、俺に手紙をくれた。俺も短いながらもポツポツと返していた。会社に入ってからは、年賀状だけになりそうだと思った矢先のことだった。桜木に知らせたのは俺で、シーズン中で帰国することも出来ずにいた桜木は、今日やっと会いに行くことになる。
「オヤジも…いい歳だしな…」
窓の外を見ながら呟いて、それ以降、墓に挨拶する以外一言も口を利かなかった。傘もささずに何かを話しかける桜木の後ろ姿を見ながら、葬式のことを思い出す。先生がこれまでに指導してきたバスケット選手や、そうでなくてもバスケットが好きな奴ら、大勢が来ていた。三井先輩の無言の嗚咽には、さすがにグッと来るものがあった。懐かしいメンバーと、酒をかわした。俺にとって、指導を受け、尊敬し、常に助言を求める指標だったのだ。桜木のように「オヤジ」と呼ばなくても。
十分に挨拶し終わったらしい桜木は、無言のまま俺を促した。
シーンとした車の中で、ラジオから洋楽だけが聞こえる。黙ったままのくせに、知らず知らずのうちに曲に乗った桜木が、小さな鼻歌を歌う。ほんの少し肩を揺すって、口笛でも吹きそうな顔を横目に、俺もやっと口を開いた。
「オンチ」
「ぬ? 誰がだ?」
「ここにはてめーしかいねぇ」
長い赤信号がGOサインに変わり、掴みかかろうとした桜木をはね除ける変わりにアクセルをふかす。その勢いで、桜木はバランスを崩した。
この俺が、桜木を乗せている。大人になったんだなぁと実感した。
2001.10.23 キリコ