春休み
春休みになった。
1年生から2年生にあがるこの休みは、宿題というものもなく、クラブに没頭できる時間だ。それなのに、入学式前の体育館の清掃だか何だかで、体育館使用禁止の日があった。俺としては、おもしろくない。外練もしないというのであれば、俺は本当の外へ行く。
遠足の日は早起きできる、らしい子どものように、自由にバスケの練習が出来る日は俺は早起きだ。俺にしては。朝食もそこそこに、自転車を飛ばす。ウォークマンのスイッチを入れるのを忘れたまま走っていたことに気付いたときだけ、スピードを落とした。
何度も来たことのある公園のリングに、見慣れた赤い頭があって、正直俺は驚いた。「ゲッ、ルカワ…?」
なんだ、その「ゲッ」ってのは。俺の足音に振り返った桜木は、いきなりこう曰った。明日から4月とはいえ、コイツの格好はいつでも夏のようだ。本当に寒さを感じない体質なのかと呆れる。
「どあほう」
いろんなことに対してのどあほうだ。
この一言は、いつでもけんかの導火線となる。わかってはいても、つい呟いてしまう。これを言うとコイツが俺に向かって来るのを知っているからかもしれない。バカの一つ覚え、ってこういうときに使うのかわかんねーが、とにかく猿だから、同じパターンで生きてるに違いない。
「何だとーーーっ!」
案の定飛びかかってきそうな勢いだったが、今日は俺はバスケがしたかった。持っていたボールを顔目掛けて投げ、黙らせようとした。
いつから練習していたのか知らないが、もうかなり汗をかいているようだ。もう俺にリングを譲ってくれたっていいじゃねーか。と、口では言わずに、退かした。
大人しく、とは言えないが、ともかく俺は一人でリングに向かう。視界の端に桜木が胡座をかいているのが見え、うっとうしいと思いながら、帰れとは言わなかった。たぶん、気が付いたときから感じるアイツの視線は、真剣で熱くて、負けるもんかという意志が含まれ、天才とほざきながらも、お手本にすべき対象をわかっているらしい。じっと俺を見つめていた。でも同時にそんな自分が許せないらしく、悪あがきをする。
シロウトのはずなのに、と驚かされることもあった。この1年の上達は確かにすげぇと思う。決して言ってやらねーし、まだまだだとは思うが、正直なところ才能がないとは思ってねー。絶対に、自惚れるから、言っちゃならねーが。
今も、ふてくされた顔で、でも目だけは真剣に俺の一挙一動を観察している。俺の中でお前の「もの」に出来るモンがあるのなら、もっていってみろ、どあほう。どのくらいやっていただろうか。突然ポツポツと降りかかり、最初は無視していた俺だが、ひどくなる雨についにボールを止めた。桜木もしばらく座っていたが、俺が止めたと同時に立ち上がった。この広い公園には、雨宿り出来そうな場所はない。今朝、天気予報も見ずに飛び出した自分にため息が出た。いや、体育館を使わせねーのが悪い。
「…うちに来させてやってもいーぞルカワ?」
やけにエラそうに両腕を組んで言う。雨の中に突っ立ってるてめぇはまぬけに見えるぞ。返事をせずにいると、さっきよりはおとなしめに、
「…いや、こっからなら俺ん家の方が近いからさ…」
最初からそう誘えばいいものを、このどあほう。俺はハナから行ってやろうと思っていたので、黙って歩き出した。
「ルカワ?」
「…てめー、それ以上濡れてーのか? 早くしろ」
また怒らせたようだが、それでも俺の後に付いてきて、追い抜いたかと思ったら自転車を押しだした。勝手に触るんじゃねぇと思いながらも、コイツの背中を見ながら歩くのにも、もう慣れた。桜木の家は、これで二度目だ。前はコイツはほとんど意識もはっきりしてなかったので、こうやってデカイ俺たちがアパートの一室にいると、やけに狭く感じる。
「適当に座れよ」
そう言われる前に、実は座っていた。桜木一人だからかもしれないが、あまり遠慮しようという気はない。招待されたのは本当だからだ。
バスタオルを投げてよこした後の桜木は、台所で何かしているらしい。俺は、もたれた横の棚にふと目が行った。バスケットボールが見えたからだ。それは、バスケ雑誌で、俺も買っていた。コイツ、本読むのか、と驚いたが、それなりに努力しているのかもしれない。俺の本よりも、折り目が多く、何度も見返しているのがわかったから。
「あっ!」
何やらカップを2つ持った桜木が、本を見ている俺に慌て始めた。見ちゃいけなかったってか?
「か、勝手に見るなよー!」
「…てめー、初心者なりに勉強してんのか?」
「…ち、違うっ! 天才の俺様には見本なぞいらないのだっ!」
俺の手からひったくるように本を奪った桜木は、立ち上がってエラそうに言う。どうして、コイツはこうバカなことばかり言うんだろう。そして、どうしても俺は盛大なため息をついてしまう。
「な、何だよそのため息はー!」
「…どあほう…」
「…おめーーはいつもいつもそればっかりで、バカの一つ覚えってんだ!」
「てめーは、俺を見てりゃいいんだ」
「…えっ?」
「……何でもねー」
俺は、今なんて言った?
桜木が、プロのテクを勉強しようってのが微笑ましい、なんて可愛いヤツではないが、身にはならなくても努力するヤツはいい、と思ったばかりなのに、なぜか胸のあたりがモヤモヤしたのだ。桜木が、他人をお手本にしたことに。これはどういう感情なのか?
首を傾げて黙ったままの俺に、桜木は困ったらしく、俺の顔面に何度も手を行き来させて視線を確かめていた。バカ野郎、俺だって考え事くらいするんだ。どあほうのてめーと違ってな。
2000.9.28 キリコ