Fox&Monkey


   

 新しい年の最初の朝に、流川は寒さで目が覚めた。自分の家ならば暖房がしっかりしているはずで、これがいつもの外泊先ならば人工ではない温もりがあるはずだった。震えて丸くなる自分に気づいたとき、流川はすぐにそこまで考えることができた。
「…あれ」
 かすれた声で呟いてみても、部屋の中はシーンとしたままだった。耳を澄ましても、何の音もしない。人の気配も、ふとんの周囲に自分以外の体温も感じられない。流川は枕にため息をついた。
「さみぃ…」
 石油ストーブの音もしない部屋は、まさに最低気温だと思う。まだ薄暗いうちに目覚めた自分が可哀相だった。膝を抱えるように抱き、顔もふとんに閉じこめる。眠りたいのに、冷えが勝る。雪山で凍死する人はどうやって眠ってしまうのか、そんなことまで考えた。
 部屋の住人はどこへ行ったのだろう。ずいぶん経ってから、疑問に思った。そしてすぐに理由の一つに思い当たった。同時に顔が沸騰した。
「あの、どあほう…」
 急に熱くなった耳を押さえ、流川は昨日の夜のことを思い出した。顔を合わせずらくて逃げただろう花道を、少し有り難く思った。
 文句を言ってやろうと思ったのに、気怠さと睡魔に勝てなかった。だから、ふとんから出てこなかった花道のその後はわからない。そして、部屋に戻ってきたときに自分が取るべき反応も、わからなかった。
 完全に目が覚めた流川は、忘れがたい感覚に反応した自分の体を持てあまし、冷たい空気の中に飛び出した。

 テレビを見ているつもりなのに、他の物音にピクリと反応する。風だとわかったあと、流川は舌打ちした。それを何度か繰り返した頃、花道は静かに帰ってきた。
 毛布にくるまってテレビを見る姿は、花道の見慣れたものだった。けれど、一人でこんな時間に起きるとは想像しなかったため、花道は驚きで玄関で固まった。
「……お、起きて…」
「腹減った」
 花道の動揺をよそに、流川はのんきなことを言った。
 そして、気まずい気持ちを隠したまま、花道はすぐに台所に向かう。正直、ホッとした。家に帰っていなかったことも、取りあえず口を利いたことにも。
 朝食は力だと言い張る花道のごはんは量が多い。おかずもあるが、忙しい時間帯は満腹にすることに重きを置く。食べ盛りの流川も、負けじと食べる。流川が泊まるようになってから、桜木家のエンゲル係数は間違いなく跳ね上がっている。
 口の中での物理的消化の音だけが響き、いつもの会話のなさとは違った緊張感が漂う。無表情だけれど、どちらも心拍が上がったままだった。
「…ルカワ…オメー、それ食ったら帰れ…」
 思ってもみないことを言われて、さすがの流川も目をむいた。なぜと問い返す前に、花道が目線を逸らしながら続けた。
「しょ…正月の挨拶とか、神社とか…おせち作ってくれてンだろうし…それに…」
「……それに?」
「…た……っだーーっ! 何でもいい! とにかくもう帰れ! 残すなよ!」
 言いたいことを言って立ち上がる花道の背中を、流川は目をむいたまま見つめた。起きたらバスケットに行くのが当たり前だったから。お正月や誕生日は、それほど特別なのだろうか。流川はため息をつきながら、いつもより時間がかけて食事を終えた。

 素直に玄関に向かい、靴を履き始めた流川を、花道は振り返った。自分が最も伝えたかったことを言えずにいる。一緒にいたい日に来てくれたことに、お礼も言っていない。もっとも、喜ぶ自分を知られたくなくて、ごく普通に振る舞っているつもりだった。
 流川が帰ったら、もうきっと1月1日中に会えないだろう。そんな思いが、花道を立ち上がらせた。
 これまで、玄関で「じゃあ」ということもほとんどなかった。見送られたこともなかったのに。
 驚いた顔を見られたくなくて、流川は下を向いて、つま先をトントンとする。靴がフィットするのに時間がかかるふりをした。
「ルカワ…その、き…気を付けて帰れよ」
 言ってるそばから、おかしなことだとわかる。けれど滑る口は止まらない。
「外、さみぃから…凍ってねぇけど、コケて…」
「…今日が何の日か、知ってンだろ」
 今度は花道が目をむく番だ。グッと息を飲み込んだ。
「だから、今日走るかって…聞いたンだろ」
 落ち着いた流川は、責めるように花道を見つめる。花道は、目を逸らす筋肉すら動かせなかった。
 何分も経った気がしたあと、花道は少し顔を俯けた。
「…テメー…誕生日、だろ…」
 そのまま続くと思った言葉は、いくら待っても出てこない。けれど、言いたいことは十分わかる。自分の予想通りだったことも、気分良くさせた。
 流川は、花道の肩に額を当てた。
「なっ…ル、カ…」
 動揺した声が、当たったところから伝わる。視線を動かすと、赤い耳が見えた。花道の腕が、小さく上下する。しびれを切らした流川は、花道のジャージの裾を掴んだ。
 ピキピキと音がしそうな動きで、花道はようやく流川の背中に両腕を回した。それから流川も同じようにする。ようやく落ち着いて、流川はため息をついた。
 互いの心拍が同じように跳ねる。緊張しているのも、嬉しいと思っているのも、決して自分だけではない。口が不便な二人だけれど、体は嘘をつけなかった。
「…ルカワ…」
 少しだけ離れた体を、流川は寂しく思った。そう感じたことに、驚いた。
 近距離で見た花道の頬は、間違いなく赤い。いつもエラそうなのに、自信なさげな目をしている。この顔は嫌いじゃないと、流川は目を離せなかった。
「…めでと」
 玄関の10cmほどの段差が、二人の身長差を広げた。流川は自ら首をあげて、花道の唇を迎えた。

 



2003.1.10 キリコ
  
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