Fox&Monkey


   

 流川は、どんなに眠い日でも学校は休まないようにしていた。ただでさえ外泊が多い息子の不登校は、両親にとってはどうしたって不良化ということになる。そして、友人と思っていても、リーゼント男の影響だと思われるだろうから。
 実はここまで考えるようになったのは最近だが、とやかく言われるのが嫌で、流川は今日のように体が辛くても時間通りに登校した。花道が怒鳴ったり説得したりしても、流川は折れなかった。もっとも、学校にさえ来ていればいいという考え方は、花道も知らなかった。

 元気なときでも白い顔が、一層青白い。ときどき「うっ」と呻き、俯いて目を閉じている。大きな手で頭を押さえていなかったら眠っているようにも見える。朝からそんな調子だったため、担任は保健室に行かせた。その日、流川は昼休になっても眠ったままだった。
 心配しているのはクラスの女生徒だけではない。むしろ、花道の方が授業中も飛び出したいくらい気にしていた。そんな日に限って休み時間が移動で取られたりする。主将になってからの花道は、少しは真面目だった。だから、お昼休みになるのをジリジリと待っていた。
 キャプテンと副キャプテンが部活の相談をしながらメシ、という姿はおかしくはない。花道は言い訳を考えてから、流川を誘いに出かけた。朝ご飯もろくに食べていないのだ。早弁していればいいのに、とまで願っていた。
 流川の教室の前で、花道はしばらく動けなかった。
 すれ違う生徒たちが少しまばらになったとき、花道は窓から流川の席を窺った。その後、屋上や中庭やら、思い当たるところを走ったが、体育館にすら流川はいなかった。
 サンドイッチを片手に、花道はしばらく考え込んだ。そして、下校したのでなければ、流川が行きそうな場所は、後一カ所だった。
「……まさか…」
 そのまさかの場所で、流川はぐっすり眠っていた。

 保健室の養護教諭に「うるさくしない」と怒られ、花道は足音を忍ばせた。衝立の向こうで眠る流川は、こちらの話し声くらいでは起きなかった。
「…アイツ、いつから寝てるんスか?」
「朝からよ」
 養護教諭の何気ない言葉は、花道の心臓に深く刺さった。何に驚いているのかわからない教諭は、業務的に今日の部活参加は無理だろうとだけ付け加えた。
 花道は、聞こえてないかのように、ぼんやりとしたまま流川のそばに行った。

 苦しそうだった昨夜と違い、だいぶ穏やかに眠れているようだ。花道はやっと安心した。ホッとため息をついたときから、花道の思考は行為自体に飛ぶ。体の心配が落ち着いたら、「次」を考えはじめてしまうのだ。花道は、そんな自分の頭を殴った。
 その手で、今度は流川の額を撫でた。先ほどと同じ手と思えないくらい、緩やかに動かした。それでも流川は目覚めない。
「…ごめん」
 この天敵に、心から謝るのは初めてだった。けれど、謝罪というよりも、感謝の「ごめん」に近い。花道はうまく言葉で言い表せなくて、その手のひらに思いを込めた。
 花道の親指が長い睫毛に触れたとき、流川の瞼が震えた。
「ルカワ?」
 小さな声で呼びかけると、流川はゆっくりと瞼をあけた。瞬きを繰り返し、焦点の合わない瞳は、花道をまだ捉えていない。それが嫌で、花道は椅子から身を乗り出した。
「…ルカワ…ダイジョブか?」
 目と目が合ったとき、流川は気まずそうな顔をした。花道にはそう思えた。そんな表情をされると、花道の方も困り果てる。何から切り出せば良いのか、どちらもわからないから。
 見下ろされるのが落ち着かず、流川は重い体をなんとか起こそうとした。ときどきギュッと目を瞑る流川の背中を、花道はすかさず支えた。そして目が合うと、急いで逸らし合う。それを繰り返し、いつもの3倍くらいのスピードで、流川はベッドに座ることができた。
 明るい日差しが入る窓の奥から、昼休みをグラウンドで過ごす生徒たちの声が聞こえる。そんな賑やかさとは全く無縁のように、二人は二人だけの静かな空間にいた。もっとも、そこには養護教諭もいたのだが、どちらも関知していなかった。
「…メシは?」
「……まだ」
 今日は花道の家から出たために、お弁当もない。かといって、学食に行く時間も気力もなかった。流川のそんな様子はすべて承知しているのに、花道はわざわざ聞いた。そして、これなら食べられるかもと思い買ったサンドイッチを手渡した。
「これ…食う?」
「…食う」
「牛乳もやる」
 流川はベッドの上で、まず牛乳を飲んだ。そして、食べるといったものの、喉を通りそうにないそのパンを、手の上で玩んだ。
「…テメーは?」
「俺…は、もー食った」
「…あっそ」
 やっとパンの封を開けた流川に、花道は肩をすくめた。自分も何も食べていない、と花道はなぜだか言えなかった。
 少し俯いて食べるその姿は、いつもの流川だった。こんな明るい中にいると、昨夜のことはすべて夢だった気もしてくる。花道は、その事実を確認したかったのかもしれない。
「俺は、ルカワと、セックスした」
 握り拳を見つめたまま、花道は小さく独り言を言った。自分の食べる音で聞き流した言葉を、流川は問いつめようとはしなかった。用があればもう一度言うだろう、くらいに思ったから。
 けれど、突然頬を真っ赤にした花道に、流川はその手が止まるくらい驚いた。何を考えているのか、鈍い流川でも見当がついたから。
「……考えんな…どあほう」
 いつものようにきつい目で睨んでくるけれど、目尻が赤くなっているのは花道の気のせいではない。その顔に、花道は一層舞い上がった。
「っかーーっ! ンなのムリに決まってンだろっ」
 花道は、流川の食べさしのサンドイッチを奪い、全部口の中に押し込んだ。流川は目を剥いたけれど、すぐに牛乳を両手で支えた。ほとんど残っていない液体を、未だに味わっている振りをした。
 これが、二人の照れ隠しだった。

  


2003. 3. 4 キリコ
  
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