Fox&Monkey


   

 春休みの部活活動報告というものに、主将は頭を悩ませていた。冬休みにもやったことなのに、すっかり忘れていたのである。一人きりの部室はいつもより広く感じて、花道はやけにリラックスしていた。だから当然作業も進まない。体育館からは、バスケットボール以外の音で賑わっている。春らしい天気が、窓から見えた。
「あー春だなァ…」
 鉛筆を口にくわえ、花道は貧乏揺すりを始めた。両手を後頭部に当てて、冷たい壁にもたれた。長期戦の構えだ。
「なんで俺様がこんなモン…」
 ブツブツ言いながらでも、他人に押しつけなかった。地位は人を育てるというが、花道もその典型だった。

 部活参加者名を記入する欄がある。それは当たり前のことなのだが、花道にはなかなか手を付けられない部分だった。まず第一に、副キャプテンの名前を書かなければならないからだ。
 呼び慣れもしなければ、文字で表すことも滅多にない。けれど、もちろん覚えている。嫌でもフルネームを言えるけれど、花道は落ち着かなくなる。結局、一番上だけを空欄にして、他の部員から書き始めた。
「ち…しょうがねー…ルカワの野郎も参加してやがったし」
 誰も見ていないのに、花道は一人緊張で震えた。まるで初めて習う漢字の書き取りのように、ゆっくりとなぞった。
「カワ…カーエー…」
 風という部分の途中で、花道は口をつぐんだ。下の名前の方が、より一層難しい。それが思い出させる情景があったからかもしれない。
 花道は汗を飛び散らせながら首を振った。
「…信じられますか?」
 ロッカーに向かって、花道はマイクを差し出す真似をした。
「ねぇ……信じられませんな。うむ」
 花道の言い分によると、流川楓は二重人格ではなく、二人存在していた。


 しばらく流川が花道宅に滞在していたとき、小さいような大きい変化があった。花道自身にもそれはあったのだが、それは直視できていないらしい。
 24時間すべてを共有するような日々の中で、まだ打ち破っていなかった砦を越えた気がした。それは、またしても流川が先手を打った。そのことにも、花道は首をひねるばかりだった。
 以前から、流川はイク瞬間に花道を呼ぶ。それがいつからかは覚えていないが、今ではそれが当たり前だった。
 その流川が、花道の名を呼ぶようになったのだ。
 耳元で、ため息とともに、または荒い息の中から必死で自分を呼ばれ、花道は思い出すだけで赤面する。助けを求めているような、責めているような、なんとも不思議な夜の流川だった。花道にはまだ理解できなかった。
 部活中の、花道がいうところの昼間の流川は、どう見ても男らしいバスケットプレイヤーで、チームメイトの憧れだ。女生徒のファンも増える一方だ。だから、別人としか思えなかった。
「信じらンねーよ…あんな…」
 花道は背を丸めて頭を抱え込んだ。自分自身が反応しているのがわかる。その声を思い出すだけで、こんなにも悦ぶ自分がいる。
「…チクショウ…」
 負けじと名前を呼び返した自分を思い出すのが嫌だった。
 けれど、自分はいつでも流川のフルネームを言える。名前で呼んでも、相手は怒らなかった。自分と同じように、悦んだように花道には見えた。
 自分の気持ちを認めることはできないけれど、同じように想い合っていることだけは間違いではないらしい。そう考えると、花道はますます立ち上がることができない状態となった。花道の、16歳最後の日のことだった。

 

 その頃、流川は久しぶりに一人でコートに来ていた。学校での限られた時間を残念に思う。体育館をバスケット部が独占できたら、とも願う。インターハイ出場という実績があるからこそ、これでも増えた方なのだ。それでも「もっと」と要求してしまうのは、人間ならば普通なのかもしれない。
 最近の流川の欲するものは、バスケットや睡眠は当然のこととしても、桜木花道がかなり順位を上げている。ずいぶん冷静に分析した結果だった。
「どこ…?」
 花道の何がほしいのか、どこがいいとか、どうしてほしいとか、それはよくわからない。現状に満足しているかと問うてみると、
「バスケしてるし…メシもある………してるし」
 先輩に対してあっけらかんと単語を並べる割に、おかしなところで照れてみたりする。全く無表情のままの下でそのようなことを考えているとは、誰も気づかないだろう。おそらく一番近くにいる花道ですら、わかっていない。
 それでも「もっと」と思うのは、どういうことなのか。
 最近、「はなみち」と呼ぶようになった。からかうつもりもあったし、相手を先に負かしたくて、ため息とともに囁いた。想像以上に効果があったことに、流川はいたく気をよくした。そして、まさかの逆襲に、その効果のほどを実感している。
「流川楓だ」
 誰ともなく宣言し、バカらしいことをしていると自分を嗤った。
 名前を呼ばれても、まだ足りない。簡単な単語を、自分は欲しているのかもしれない。そんな女々しいことを思いついた自分を振り払うため、流川はボールを強くバウンドさせた。

 明日から4月で、その日が花道の誕生日だとわかっている。けれど、どうしていいかはわからない。流川は考えるのを先送りしていた。ついに、その日がやってくる。
「軍団がいる…?」
 花道が自分に何も言わないのは、すでに桜木軍団と約束があるためかもしれない。そう思うと、自分という存在は軍団を越えていない気がする。
「越える? 別に負けてねー」
 競う理由もない。つきあいの長さを問題にしているわけでもない。軍団が知る花道と、自分しか知らない花道は、少し違うと思う。唯一比較するとしたら、その大事な日に誰と過ごすか、ではないだろうか。
「…何考えてんだ…どあほう…」
 バスケットに集中できない自分を、流川は冷たい気持ちで眺めた。

  


やっと花道の誕生日まできました…(時期はずれな…/笑)

2003. 6. 10 キリコ
  
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