Fox&Monkey


  

 流川が寝不足だと感じるのは珍しいことではない。けれど、本当に睡眠が足りずに過ごす日中が、これほど辛いものだと実感したのは初めてかもしれない。流川は部活に向かう自転車の上で、何度もあくびをした。
 部活中も自分の集中力が落ちていることがわかる。コンディションを整えるのがいかに大事か、流川は身をもって知った。
 寝不足の原因は、花道の誕生日のことだった。

 エイプリルフール前日の、そのまた前日まで、流川は答えの見つからない問題に振り回されていた。先送りにしているつもりで、ずっと頭の中にある。慣れない考え事は何のヒントも与えてはくれない。流川の部屋は、彼のため息で充満していた。
「誕生日なんて…メンドー」
 そうは思っても、年に一度のそれが大事なことだとも知っている。自分以外の人間には。
「どあほうはそういうの、好きそう」
 自分の誕生日にも、いつもと少し違っていた。やはり、特別な日なのだろうと思う。
 相手へのプレゼントが思いつかない流川は、過去の経験を思い出す。それは家族やファンの女の子たちばかりで、参考になるともならないとも判断がつかなかった。
「俺は…もらってねー」
 花道からは、後に残るものはもらっていない。では自分も何もしなくてもいいのではないか。何日間も悩み続けて、やっとこのことに思い当たった流川の額には、くっきりと青筋が浮いた。
 そもそも、自分はどうやって花道の誕生日を知ったのだろうか。
「…聞いてねー」
 花道の口から直接聞いたことではない。そのことは流川の胸を痛くした。
 いろんなことを考えて、流川は本当に寝不足のまま朝を迎えた。


 そんな流川は、とりあえず花道の家に泊まりに向かった。軍団が来るのが当日だろう、などと考えたわけではない。花道のように時報とともに、と思ったわけではない。一人でいると、脳を使い過ぎるせいだったかもしれない。とにかく、花道の誕生日前日に、流川は手ぶらでやってきた。
 表面上いつものようにしていても、さすがの流川でも花道のソワソワしている様子はわかる。どこか期待した瞳を向けられると、流川は少し困った。その視線を避けるようにしていると、昨夜の寝不足を補うかのように、流川はすっと眠りに落ちてしまった。
 夢の中で花道に呼ばれた気がした。流川なりに必死で答えたつもりだが、それは言葉にはなっていない。けれど、引き寄せられた温かい腕や額にかかる息を覚えている。自分が広い背中に回した腕にも記憶があった。安心しながら、こんなにも好きな相手がいることを、少し嬉しく思った。
「…さくらぎ…」
 胸に押しつけたまま、流川は小さく名前を呼ぶ。ほとんど無意識の仕草だった。
 返事を期待していたわけではないので、花道が目を見開いたことも流川は知らない。その後、自分の背中の腕がきつくなったのを感じ、流川は同じようにし返した。

 花道の誕生日の朝、流川は意外な目の覚まし方を経験した。
 頬に当たる冷たい滴と、すぐそばで聞こえる鼻をすする音は、初めは流川の眉をひそめさせるものだった。聞き慣れない音に、自分がどこにいるのかわからなくなった。
 うっすらと目を開けると、ぼやけた視界に花道の赤い髪と背後に見慣れた部屋がある。間違いなく花道の部屋で、その花道が腕で目をこすっている。そのたびに、流川の頬が濡れた。
「……桜木?」
 かすれた声は小さかったけれど、呼びかけた相手はこれ以上ないくらい驚いた反応をした。ゆっくりと顔を上げた花道の顔は、想像を裏切らず涙で濡れていた。
 花道の泣き顔は初めてではないが、こんな朝に苦しそうに泣いているのは見たことがない。何かあったのだろうかと、流川は冷たい手のひらを頬に当てた。
「…桜木?」
 その手を従順に添わせたまま、花道はまた俯いた。
「おい…」
「…きだ…」
「……はっ?」
 鼻をすする音の間に挟まった言葉は、流川には不明瞭だった。聞き返すと、花道は両腕で顔を隠した。
「…す…ねぇ…ルカ…」
「………なに?」
 苦しそうに吐かれる言葉に、さすがの流川も心配になる。重い体を起こして、流川は花道と同じように正座した。花道は両腕の間から深呼吸を一つした。
「…好きだ…ルカワ…好きだ」
 今日が花道の誕生日だということも、エイプリルフールだということも、流川の脳裏にはない。花道が突然言った言葉に戸惑った。自分と同じ想いでいることも、流川は想像すらしていなかった。
 花道も流川も、それからしばらく1cmも動かなかった。

 


2003. 6. 27 キリコ
  
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