Fox&Monkey
花道は、流川が頬に触れてくるまで、自分が泣いていることに気づかなかった。多感な自分だが、こういう感情で涙を流すとは思わなかった。胸苦しくて、こみ上げるようなものが常にあるこれこそが、恋なのだろうと知った。
「…ルカワ?」
あてていた手を下ろす以外、無反応な流川に、花道はだんだん冷静になってくる。夜通し考えて導き出したその過程について、花道は説明すべきなのだろうかと考えた。それよりも、当然、相手の返事が気になった。しばらく前までは、自分と同じ気持ち、と考えていたことにすら、思考は回らなかった。
「…なんか言えよ…」
小さな声で言い、花道は顔を逸らせた。頬には伝った後があるだけで、最後にチンと鼻をすすった。
「キツ…」
いつもの突っかかるような呼び名を、花道は呼び終えることは出来なかった。
俯いたままの流川が花道の顎を殴ることで止めたから。我に返った花道は、先ほどまでの自信なさげな表情ではなくなった。
「こ、このっ この野郎! なにし…」
「…テメーが悪いっ!」
いきなり怒鳴られて、花道のカウンターも止まる。何が悪いのか、どこがおかしいのか、花道には直すべきところも見つからない。告白して振られることばかりだったが、殴られたのは初めてだった。だから、相手の方が悪いとしか思えない。
「何でだよっ! このバカギツネ! 殴ったのはオメーの…」
寝起きの悪い流川だが、今日は乱暴だった。そうしたのは花道だが、本人にはわからない。流川は自分にいろんなことを言う相手の口を手のひらで封じた。
モゴモゴ言い続ける熱い口を感じながら、流川は空いた方の手で自分にも同じようにした。これ以上、口を開きたくなかったのだ。
流川が腹を立てたのには、彼なりに理由がある。
「ゴラーーッ」
花道も殴られて黙っているタイプではないが、流川の手を払いのけることはしなかった。
口だけで文句を言い続け、花道は流川を観察した。
俯いたまま、手で口を押さえており、見えるのは黒い髪だけだった。けれど、しばらくしてあちらに首を向けたとき、耳や首筋が赤くなっているのが朝日の中で見えた。花道は、モゴモゴを止め、手のひらを引きはがして握った。その手は、何の抵抗も示さなかった。
「…ルカワ…」
「……ウルセー」
花道は、ゴクリとつばを飲み込んだ。
「ルカワ…俺のこと…その…好き?」
「ンなわけあるか、どあほう」
流川は即答する。その方がかえっておかしいとも気づかずに。
「その……好き、だろ?」
「…うるさい」
「好き…じゃなきゃ、変なんだよ!」
「……なにも変じゃねー」
花道は、流川の顔に張り付いたままの手のひらも自分の手で包んだ。
「好きじゃなきゃデキねーだろ?」
その言葉に、流川の耳は一層熱くなった。それは花道にも見て取れた。
「好きじゃなきゃ…その、アレだよ…キスとか…」
それ以上あからさまな言葉を並べられるほど、彼らは擂れていなかった。もちろん思考は別で、自分が流川にしていた行為の名前も思い浮かべることができるし、SEXとは言える。意識し出すと言えなくなったが。
花道は、心の中でずっと「あの流川」を連発していた。これまで自分が直視しなかった彼は、どれほど自分に尽くしてくれていただろうか。たとえば、三井先輩からの情報など、である。しかも、
「…ケツだぜ…」
「いい加減にしやがれ」
流川は自由が残る足で花道を蹴った。
「俺…だから、だよな? そうだよな?」
控えめのようでいて、思いこみが激しい花道だった。
「好きじゃなきゃ…あんなこと、デキねーよな?」
「当たり前だっ!」
流川の鋭い声に、花道は一瞬身を仰け反らせた。そして、その後の流川の猛攻に少し負けそうになる。
「このどあほうが。今更気づいて簡単に何度も言うんじゃねぇ」
「……いまさら?」
「…俺の方が先」
「なっ…」
「テメーの負け」
そんなことが勝ち負けになるのだろうか、と花道は首を傾げた。けれど、負けという言葉は気に入らない。
「この野郎…待てよ、俺の方が先に言ったじゃねぇか?」
花道はこの期に及んで偉そうだった。涙ながらに告白した人と同一人物とは思えないくらいだ。
「…知るか、そんなもん」
ようやく流川も冷静さを取り戻し、捕まれている両手を乱暴に取った。
「だいたい……そんなんどーでもいい」
流川のこの言葉は、ずいぶんと説明不足だった。花道は一度はムッとしたけれど、すぐにその文章を膨らますこともできる。流川の言いたいことがわかった気がしたから。
「これが惚れた弱みってヤツか?」
「……テメーの頭、おかしい…」
あまり会話になっていないが、おそらくお互いに伝わっている。お互いがそう思っていた。
立ち上がった流川は、背中を向けたまま花道を呼んだ。
「桜木…」
「…お、おうっ」
「…腹減った」
躊躇いがちな呼び方に、てっきり返事だと思った花道は、演技ではなくふとんに倒れた。「バカギツネ」と呟きながら、大きなため息をつく。すると、肩に力が入っていたのが、嫌でもわかった。
しばらく考え込んで、洗面所から出てきた流川に、花道は言い放つ。
「おい、俺の方がぜってー先に手ぇ出したぞっ」
威張っていうことだろうか、と流川はため息をついた。それが事実でも、何の自慢にもならないだろうから。
けれど、もしかしたらその頃からこの気持ちは始まっていたのかもしれない。そう考えると、どちらが先かということに、甲乙つけがたくなる。
「…自覚した方が先」
何も乗っていないテーブルに向かって、流川は呟いた。
想い合っている人々のことを「恋人」というところまでは、まだ考えは及んでいない。
これが精一杯のイチャイチャな二人だった。