Fox&Monkey
流川の居眠りは、3年生になったからといって急になくなるものではない。静かな屋上は、今でも流川の特等席だ。放課後はもう少し賑やかかもしれないが、4限目の授業中は彼のお気に入りの時間だった。その分、サボリというレッテルを貼られるが、それは今更だった。
春らしい陽気の中では、流川でなくても眠くなる。生徒だけでなく、当然教員もだ。誰もが辛抱している中、堂々と自分の欲求に忠実たる行動ができるのは、数少ない。
強い日差しを受けたまま眠る流川のもとに、その少数派に属する花道もやってきた。花道は、久しぶりにまともに流川の顔を見た。それは一方的ではあったけれど、視線がない方が今は有り難かった。会いたいし、ケンカでもいいし、もちろん泊まりにも来て欲しい。けれど、お互いが避けているのは明らかだった。花道の方が先にしびれを切らしているけれど、それを行動に起こせるほどの積極性はない。互いの気持ちを確認してからの方が、難しい関係になってしまった。
「…暑くねぇの…?」
流川の背中からのぞき込むように見る。長いまつげはピクリとも動かないことに、花道は安心する。汗が流れている様子はないが、強い日差しが流川の頬に遠慮なく当たる。当人は困っているでもなさそうだが、花道はもったいないと思った。せっかくの白い肌が焼けてしまう、と。
まず、大きな手のひらを並べ、流川の顔に影が出きるようにしてみる。自分の手の甲が暑くても、なんとなく気分は良かった。けれど、その体勢は長くはもたない。
「…かげ…」
コンクリートが作る影に引っ張っていくという手もあるが、そこまでするとさすがに目覚めるだろう。花道は、まだ流川の穏やかな顔を見ていたかった。
「よし! 優しい俺様がっ」
いちいち自分の行動に理由をつけて、花道は自分のガクランを脱いだ。緞帳かカーテンのように、黒いガクランを広げる。流川の顔が日の光から隠れると、まるで大事なものを閉じこめた気分だった。
「ふふんっ これでカンペキ」
自分の膝のそばにある流川の顔が暗くなり、花道は満足する。結局は両手を突っ張って、それも長時間もたなかっただろう。けれど、花道が根を上げる前に、それは取り払われた。
「……汗くせー…」
その言葉が発せられたときには、花道のガクランは流川の頭上に丸められていた。当然、その端を掴んでいた花道の腕もついていく。一瞬何が起こったのかわからなかった花道は、その腕を上げたまままた眠ろうとする流川にムッとした。
「このヤロウ! 人の好意をっ」
「……こうい?」
寝起きの流川はただでさえ不機嫌だ。そのうえ、耳元で怒鳴られたら、いつもより多く青筋を浮かべる。
「…よけーな世話」
「あんだとっ」
「……ツバ」
自分にのし掛かるように怒鳴る花道の口からは、そのたびに飛んでくるものがある。いくら好きな人でも、あまり歓迎できなかった。
しばらく睨み合った。起き上がる気のない流川は、なんとなく気まずくなって、また花道と反対方向に首を向けた。それは、寝るという合図に違いなかった。
花道がブツブツ文句を続ける中、流川が再び眠るのは至難のことだった。心拍が上がっているのがバレないように、何度も深呼吸した。一つのガクランの中でバラバラだった二つの手が、布越しでぶつかったとき、二人ともが同じように跳ねた。何度も体を繋げている仲だが、手を握り合うのはまだ数えるほどだから。その方が、よっぽど恥ずかしかったから。
それでも逃げなかった流川の手を追って、花道の手はガクランの中を動く。直接触れた手は、どちらも汗ばんでいる。それが、互いの緊張度を教えてくれた。
重ねられた手に力を入れると、放り出されていた流川の指が花道のに絡められる。首はこちらには向けないが、明るすぎる中では流川の赤くなった耳を隠すこともできなかった。
花道の心拍は、全力疾走の後のようだった。
「ル…カワ…その…」
小さな声に、流川は左目だけで花道を見返した。その瞳は鋭いけれど、花道には憂いを含んでいるように見えた。
手をもう一度握り返し、花道はゆっくりと上体を倒す。少しずつ影になる自分の顔を、流川は素直に上に向けた。
花道の熱い吐息を自分の唇の上に感じたとき、流川は小さく口を開いた。花道を迎え入れるために。
ほんの一瞬重なったそれらが乾いていると気付いたとき、いつもより大きく聞こえるチャイムが鳴り響く。驚かされた二人は、自然と身体を離した。
お昼休みが始まっても、二人は数メートルの距離を保ったまま、座っていた。