Fox&Monkey
花道のクラスメイトは、誰もが桜木花道を知っていた。同じクラスになったことはなくても、花道を知らない生徒はいないくらい、彼はいろんな意味で有名人だった。桜木軍団と呼ばれる友人たちとも離れたとはいえ、花道が大人しくしていたわけではない。むしろ、始業式が始まってしばらくは、恐怖さえ感じていた。
毎日のように、鼻血を出すか、叫んで目覚めるか、を一番後ろの席でしていたからである。花道の脳の中を見てみたい、とクラス中が思っただろう。いったい、何を考えているのだろうか、と。花道は聞かれても素直に答えなかっただろうが、いたってシンプルなものしか詰まっていない。
思春期にありがちなこと、好きな人のことでいっぱいなのだ。
「ぎゃあああああっ」
まるでホラー映画を観たかのような叫び声に、教師のチョークも折れてしまう。3年生になっても、多くの部員を統括するキャプテンになっても変わらない花道に、教師は大きなため息をついた。
「桜木…」
「あ……ちょっと顔洗ってくる…」
毎回そういって出ていき、授業時間内に戻ってきたことはない。
とりあえず静かになった教室は、落ち着かないまま教科書に戻る。なんといっても、彼らは受験生なのだから。困った、と花道は正直頭を抱えている。春の屋上は心地よいのに、花道は青くなっている。戸惑っているし、誇らしくもある。アンビバレンスと表現はできなかったが、花道は相反する思いに振り回されていた。
「キツネが悪ぃ…」
相手のせいにするのは簡単だけれど、何の解決にもならなかった。
花道は青い空を見ながら、大きなため息をついた。
「…アイツも何考えてやがんだ…」
何を考えているのか、すでに知っているくせにそんなことを口にする。花道の脳と口とは、指令系統がずれているらしい。脳の中の彼らは、花道のフィルターつきとはいえ、ずいぶんと甘やかなものだった。
花道は、ふとんの中の流川が自分を呼ぶのが気に入っていた。酸素を求める唇が、その合間に漏らす言葉は自分のことだけだ。好きだとか、そういう単語もないけれど、間違いなく自分を求めていると思っただけで、花道はまた絶叫する。
「はなみち…」
と自分が耳元でいうと、それこそ途切れがちにリピートしてくれる。以前のからかう様子もなく、ちゃんと自分を呼んでいる。
花道は、自分の好きなシーンを壊れたレコードのように繰り返し、同じような行動を取っているのである。
「俺って…バカ?」しかし、負けず嫌いの花道は、そんな様子は当人には見せなかった。顔を合わせる部活や自主練のときは、これまで通りのつもりだった。
もちろん、人の口には戸は立てられないため、花道の鼻血と絶叫は他のクラスでも噂になっている。桜木軍団だけでなく、流川の耳にすら入っていることだった。
一方、バレていないと思っている花道は、自分より冷静に見える相手が気に入らなかった。自分のように、もっと戸惑ったりしないものかなと不思議に思う。けれど、それは花道の読みが浅いだけだ。流川は流川でおかしい、と周囲が心配したこともあったのだから。その流川は、というと、実は花道と同じようなトラップにはまっている。花道ほど表立っていないだけで、教室で寝ている流川の脳内は、花道のものと大差ない。
「ルカワ…」
かすれた穏やかな声が鼓膜をくすぐるのを思い出すと、流川は思わずガバリと起きあがり、すぐに耳に蓋をする。その音でクラスの視線が自分に集中するのを感じて、流川は現実に戻ってくる。その繰り返しだった。
「楓」と何度か呼ばれたけれど、それはずっと以前、からかい口調だったときだ。もっとも、今の流川には名字で呼ばれるだけでも精一杯だった。
無表情に近いその皮膚の下で、流川がどれほど花道に参っているか、当人ですらわかっていないのかもしれない。
そして、副キャプテンとして後輩を指導するときや、ただの男として花道とケンカするときには、いつもの流川に戻ろうとする。表面上は、そう見えた。
意外と、お互いが見えていない、盲目的な恋らしい。