Fox&Monkey
流川は休憩の後、体育館に戻らなかった。蒸し暑い部室は窓を開けてもたいして変わりなかったが、両足を床に伸ばすとほんの少し冷たく感じた。ロッカーにもたれたとき、後頭部がガンと鳴った。
先ほどまでの会話を思い出しながら、流川は汗を含んだ靴を脱いだ。蒸れた足の開放感は、胃の辺りのムカムカを少し和らげてくれた。
ぼんやりしてため息をついたとき、花道の走る足音が聞こえた。「あれ、ルカワ? もうあがったンか?」
流川と自主練するつもりだった花道は、予想より早く部室にいた流川に驚いた。足を放り出して座っている姿にも。
「…テメー、補習は終わったのか」
「おう…ってアレ、なんで知って…」
「…追試もあるのか?」
「……お、おお…」
「じゃあ帰って勉強しやがれ。俺は補習もない」
それは僅差だったけれど、自由な夏休みがあることを流川は少し威張った。
「ちっ…テメーだってどーせギリギリだろ」
「…さっき、水戸たちに会った」
「え…」
すでにTシャツ姿だった花道は、靴を履き替えるポーズのまま固まった。
花道は座り込んだままの流川を見たが、流川は自分のつま先を見つめたままだった。
「な、何か…言われたのか?」
「……べつに…」
花道は首を傾げながら、流川の次の言葉を待った。
この話を、二人は避けていた。なんとなく、まだ先送りしたい気分でもあった。だから花道は、バスケットか帰りの寄り道の話をしようとした。
けれど、次の一言でそれもできなくなった。
「…俺は、見る目ある、って」
流川はようやく顔を上げた。まっすぐな視線は相変わらずだが、眉を小さく寄せているのは戸惑っていると花道には思われた。
「お、お…俺さま、テメーが選んだのが……桜木花道さまだからだろ…?」
バカにしたような視線に変わり、花道は少しホッとした。どあほう、という単語が出てこなかったのが不思議なくらいだった。
「テメーらは、どんな話しやがった」
「俺ァな、ルカワ…ハルコさんがスキなんだ」
何分か黙ったあと、花道は座りながらそんなことを言った。その意味を理解したとき、流川の胃がキュッと縮み、髪の毛が逆立ったのがわかった。
「けどな…それはチガウらしい」
「……何言ってるのかわからねー」
花道は頬を指でかき、説明が難しいと呟いた。
「その、ああいうことしてーって思うのは、信じらんないけどオメーだけなんだよ」
「……なんで…」
「し、知らねーよ、わかんねーの、俺だって。でもハルコさんはそういう対象じゃねーの。そういうスキなんだ」
流川はさっきより大きく眉を寄せながら、花道の言うことを聞いていた。花道の言ういろいろな「スキ」をわからないなりにも理解しようとしていた。
「…洋平たち、俺らンこと話しても、驚かなかったぞ」
「……どういうことだ?」
「うーん……バレてた? 何でだろうな」
流川の額に怒りマークが浮いてくる。花道にはそれが見える気がした。
「「とんでもないヤツに惚れたな」って言われたぜ、俺」
「……あいつらにだけは言われたくねー」
「ヨカッタな、って言われた」
「……」
とんでもないのはどちらなのだろうか。親友のいない流川にはわからないが、応援する気持ちも理解の範疇を越えていた。妨害ならば阻止できるのに、とまで思った。
珍しく表情がクルクル変わる流川に、花道は小さく笑った。
「だからな、俺ら、ラブラブなんだってよ。照れるよな」
その言葉に、流川の拳は音速で飛んだ。花道は寸でで避けて、その腕を掴んだ。
「……俺ァよ…インターハイに全力でかかりたかった。オメーに黙ったままあいつらに説明しようとして悪かった」
「…それ、あいつらに言われたんだろ」
「なんでわかった?」
そこまで人の機微がわかるとは思えなかった。これが棚上げだと、流川自身は認めてはいない。
花道は流川の手を握ったまま、小さく笑った。「ルカワ…なんつーか、改めて言うとなんか照れっけどよ…」
「…じゃあ言うな」
「た、たまには言わせろよ!」
「…ウルサイ」
いつだったか自分たちの想いを口にしてから、その後繰り返されることがなかった言葉。さっきは別の人物に対して使ったくせに、と流川はどこか拗ねた。
「スキだぜ…」
「黙れ、インターハイとアメリカが先だ」
花道の言葉にかぶせるように、自分も言わずにいた単語を並べる。ついでのような発言に、花道はしばらく意味がわからなかった。
「……ルカワ…なんつった? いや、俺の有り難いコクハクは?」
「…どあほう…」
急に頬が沸騰した流川は、気まずくて俯いた。眉を寄せたことに、花道も気づかなかった。
「……アメリカ…行ってもいいのか…?」
「…行かねーの」
「行く。行きてー…行きたいけど…」
「何とかしろ。何としても来い…どあほう…けど…」
「……まずはインターハイ、ってか?」
勢いでしゃべっていたのを制御するかのように、花道は照れた笑いを浮かべた。
やっと目を合わせて、触れあう指を絡めた。
蒸し暑いままの部室で、二人は軽く唇を重ねた。