Fox&Monkey
最後の数秒まで、という言葉を、花道は流川から教わった。口ではなく、実際の試合中から。そしてそれは、花道の生まれて初めての試合でだった。せっかくの自分の大活躍を、恐ろしいほどのスピードで塗り替えた敵に、あのときはただあっけに取られた。必死に追いつこうとしてダメで、試合に負けることがこれほど悔しいものだと知った。たくさんの初体験があった15歳。花道はインターハイ中、走馬燈のように思い出していた。
そして、17歳の夏、湘北バスケ部の主将として、花道は自分のできる限りのことをしようと思った。昔と変わらないように見えても、自覚している点では大きく異なる。花道は、自分よりテクニックを持つ後輩がいることもわかっている。天敵と呼び続けた流川に追いついていないこともイヤというほど理解しているのだ。ただ、誰よりもタフな自分は、試合終了のブザーが鳴るまで走っていようと決めていた。ゴール下で大きく立っていようと思っていた。
インターハイで優勝したらアメリカ。
花道の頭の中で、そう決まっていた。
だから、その日の試合終了のブザーは一生忘れないかも、と思った。「…整列」
呆然と立ち尽くす湘北のメンバーに、花道は小さく呼びかける。とても互いの顔を見ることが出来なくて、相手チームとの挨拶も鼓膜まで届かない。自分が何を話しているのかさえわかららなかった。そんなチームメイトの先頭に立ったのは、花道と流川だ。
冷静だったわけではなく、落ち着きを取り戻すのが早かったわけでもない。ショックだと感じるのを後回しにできるくらい、彼らは主将と副主将だったのだと、応援に来ていた先輩たちは考えた。
泣き始める後輩たちを更衣室に促し、花道は帰郷の指示を出す。着替えや片づけや挨拶やら、自身がやらねばならないこと、たくさんの重い腰を引き上げねばならなかったことが、花道の落ち込みを後らせていた。それは確かだった。
その頃、流川がどうしていたのか、花道には覚えがなかった。更衣室で動いていたか、先にシャワーに行ってしまったか、とにかくいつからか視界の中にはいなかった。
「これも初めてなんだな」
一人デンと座って、そんなことを呟いた。
花道は2年前のインターハイは勝ったところまでしか知らない。けれど、負けて帰るのが初めてなわけではない。ただ、今回の「負け」ほど大きいものはない、と花道は思う。いろいろ考え出すと、怒りやら悔しさやら溢れ出そうになってきて、花道は拳で机を叩いた。たった一回の大きな音に、部員全員は固まった。その気まずさから逃げるように、花道は廊下へ出た。
その年、湘北高校はインターハイで3回戦まで勝ち進んだ。順調だと思われたけれど、レベルが次々上がる相手と、自分たちの疲労と、他に何が敗因なのか、花道は考えようとはしなかった。以前のように、主将としての自分ということも、今は振り返りたくなかった。逃げているとわかっていても、今ここでこれ以上落ち込むわけにはいかないと思った。
シンとした廊下で、花道はスポーツドリンクを買った。わざわざ自分で買わなくても控え室にはあるのに。
花道が舌打ちしながらキャップを開けたとき、後ろから流川の声がした。
「俺にも」
足音もなく近づいてきた相手に驚いて、花道は一瞬返事が出来ないでいた。試合の後、初めて目を合わせた。流川の目は落ち着いていて、充血してもいなかった。
「…ば、バーロー! ほしけりゃ自分で買いやがれ」
目を合わせたまま、花道はボトルを口にした。
「……一口でいい」
謙虚な声、花道にはそう聞こえたのだが、流川のそんな声に、花道はしぶしぶという体でペットボトルを渡す。流川は本当に軽く一口だけ飲んだ。
「みんなは?」
「…いろいろ」
「…ふーん…」
それほど興味もなさそうに、流川は控え室の方をチラリと見た。そして、手にしたスポーツドリンクを勢いよく飲んだ。
「あ、あーーてめっ」
「……もー返す」
500mlのペットボトルにはもう半分ほどしか残っていない。手の甲で口を拭く流川に、花道は怒る気も失せた。それほど、花道も疲れ果てているのだ。
「おいキツネ」
「……だれ」
「てめーンことだ。おい、いいか。俺たちゃ負けたんだ」
「……どあほう」
改めていわれなくても、十分わかっているのに。
「…ンなとこでフテ腐れてねーで、とっとと着替えやがれ」
羽織っただけの流川のジャージを引っ張って、花道はエラそうに忠告する。流川の額にはいつものごとく青筋が浮いた。
「帰るぞ、おら」
「……命令すんな」
「風邪引いちまったらどーすんだ。今日で終わりじゃねーだろ?」
何気なく発せられた言葉ではあったけれど、その言葉は流川の中にスッと入ってきた。
インターハイは目標ではあったけれど、それがすべてではないのだから。
「……どあほう…」
流川は一呼吸置いてから、花道に続いた。