Fox&Monkey
無言になった花道のあとを、流川は黙ったままついて歩く。理由とか状況とか、そういうことよりも、なんとなく離れられない気分だった。
落ち込んでいる、という言葉だけで表せるほど、簡単な日ではない。語り合ったり、反省会もできないが、いつもよく歩く道を二人で歩いていると、少し日常に戻った気がした。その夜、花道は何度も目が覚めた。眠りは浅く、けれど夢を見ていたわけではない。
「あちぃー」
住み慣れたこの部屋が妙に暑く感じるのだ。
「あ…クーラーか…」
安めの旅館でも、エアコンがほどよく効いた部屋にしばらく滞在していたのだから。
隣から、同じく熱そうに何もかも蹴飛ばした流川の寝息が聞こえた。
「おめーはどこでも寝れるンだな…」
新幹線の中と対照的なことを、花道は知らなかった。かなり朝早い時間だけれど、花道は眠ることを諦めた。目覚めるたびに、流川を確認する。冬と違い、よく移動する姿は見ていておかしかった。おそらく涼しいところを求めて、手や足を伸ばしているのだ。捲れたTシャツから見えた腹部は、夏の日焼けと無縁なことにも気が付いた。
「オトコってのはよ…」
自分にやましい気持ちはない。少なくとも今はかなり地の底を歩く気分でいる。今日からどうしようか、いろんな人にどんな顔を向けようか、心配性の花道には頭を抱えることがたくさんある。周囲が思っているよりも、彼はデリケートなはずだった。
それなのに、体の一部分だけは全く違う主張をする。ただの生理現象にしても、今日ほどみっともないと思ったことはなかった。
情けないことに輪をかけるかのように、花道は隣人も確かめずにはいられなかった。薄着の下半身は自分と似たような状況で、そんなことに安心した自分を、また嗤った。「あ、汗をかいたから、シャワー…」
誰かに聞かせるかのように、花道は言い訳つきで行動を起こした。これ以上、自分を嫌いになりたくなかったから。
朝の静けさの中では、廊下を歩く音も大きく感じる。花道は滅多にやらない抜き足で、ゆっくりと洗面所に向かった。
「……桜木?」
小さく掠れた声で呼ばれて、花道の心臓は飛び出しそうだった。
黙ったまま振り返ると、勢いよく汗が飛んだ。もう一度呼ばれて、それが空耳ではなかったことがわかった。
「…る、ルカワ? 起きてたのか?」
「……水…」
全く体を起こそうとしないまま、流川はそう要求した。やはり暑いのだ、と花道も思う。素直に従う花道ではなかったが、その朝だけは勝手な罪悪感から大人しく応えた。
昨夜まで主が不在だった冷蔵庫には、もちろん何も入っていない。最初の水道水で花道は手を洗い、少しでも冷たくなったところをコップに注いだ。氷をサービスすると、ちょっとおいしそうな音がした。
けれど、目を瞑ったままそれを飲む流川には、その気遣いも見えなかった。ただ最後に残った氷は、喜んで口に含んだ。
「…つめてー」
そのセリフつきで目を開ける。花道はデジャブを感じた。
この、失敗なのか成功なのか、偶然なのか確信犯なのか、未だによくわからないのに想いを寄せる流川との、きっかけはこんな感じだったのだ。おさまりかけた分身は、また存在を主張し始める。
「あ…」
ときどき鋭い流川は、その朝も寝ぼけているのに目敏かった。見て見ぬ振りをする前に、しっかりと目線を送ってしまったのだ。
「だーーーっ 何でもねーよ」
「……なにが…?」
花道の慌てぶりは、流川にはわからない。
ただ、流川はごく自然に、花道を引き寄せた。
汗の浮く首に巻き付き、流川はゆっくりと起きあがった。
「…ル…」
「別に照れなくていい」
「ばっ べっ べつに、照れて……んてねーよ」
モゴモゴと花道は言葉を濁す。久しぶりのそういう雰囲気に、一気に心拍も上がった。
余計なことばかりいう口を覆うように、流川は軽く唇を重ねる。そのキスの方がなんとなくエロチックだと、花道は舞い上がった。
疲れた体を労るように、花道の行為はまるでマッサージだった。その中で溜まった性も解放し合う。がっつくでもなく、愛し合うという感じでもなく、楽しく互いに触れあった。体を繋げなくても、こんなにも心が気持ちのいいセックスがあるのだと、花道は知った。
「…泣くほどヨカッタのか」
寝ぼけたままなのか、珍しくよくしゃべる流川は、一々花道を指摘する。
「ち、ちが」
そう言われて、自分が泣いていることに気づいた。
「負けたのが、くやしいか」
「あ、あたりめーだろーがっ」
「……俺もだ」
トロトロとまた眠りに入りながら、流川は話し続けた。
「俺は、体調万全だった」
「お、おう…」
「全力出した、と思う。誰もケガもなかったし、みんな調子ヨカッタ」
流川は一度目をこすって、顔を枕に埋めた。
「やれること全部できた。でも、日本い、ち…」
眠ったのか、話すのを止めたのか、流川は素っ裸のまま動かなくなった。
黙って聞いていた花道の頬に、また涙の筋ができた。