Fox&Monkey
冬のことや卒業してからのことなど、これまで先送りにしていた考え事は、試合直後にはまだ浮かんでこなかった。もしかしたら、浮かばないようにしていたのかもしれない。ごく普通の、以前の二人の毎日を過ごしていた。ずっとそうしていたいと思ったのは、花道だった。変化が訪れるのが少し怖かった。
けれど、現実というのは割とすぐに二人を裂いた。花道は本当にそう感じたのだ。インターハイが終わった3年生には、高校生活はあと半年くらいだ。そんな中で全日本に選ばれるのは、大学から誘いがかかるような選手だ。受験勉強などする暇はないのだから。
湘北高校から全日本ジュニアの候補に挙がったのは、流川楓だけだった。安西監督からの電話を、花道は後ろで聞いていた。言葉少なく流川は返事をする。全日本入りするという言葉だけ、はっきり発音していたと、花道には思えた。何の迷いもなかったことが、花道を少し僻ませた。
「行くのかよ…合宿とやらに…」
「…とーぜん」
意志の強そうな瞳をした流川は、先日までの静かに落ち込んでいる彼ではなかった。
花道は、流川が帰宅するまで、自分が悔しいと感じていることを認めないようにしていた。自分は選ばれなかった、という思いは、想像以上に悔しいもので、誰に慰められようとも修まるものではない類のものだった。ケンカで負けるのとは比べものにならない、胃が痛くなるような苦しさを、花道は初めて味わった。まして、自分の恋人とも呼べる相手は選抜されているのだ。恥ずかしい気がした。
「あ、アイツはアイツ! 俺は俺!」
何度そう言い聞かせても、流川自身に負けた気がして、花道はその日は眠れなかった。そして、自分の届かない世界に何の躊躇いもなく行ってしまう流川に、怒りさえ感じていた。
花道は何もすることが思い浮かばず、その日は部屋でゴロゴロしていた。コートに出る気が起こらず、それが絶対に一人だということがわかっているからだと、花道は気づかないふりをした。バスケットをしなくなる毎日の中では、花道は何もできない男だった。そんな想像をして、自分が空っぽに思えた。
「バイトでもすっかな…」
ようやく親友たちを思い出し、受話器をあげようとした。
花道が手を出した瞬間、ベルが大きく鳴った。
「は、はい」
驚いて高い声が出る。なぜか反射的に正座をしてしまった。
その電話は、安西からだった。安西宅は、花道も初めてではなかった。
花道はふて腐れたまま、安西と対峙した。
「暑い中、すみませんでしたね」
「……おぅ」
いつものようにホッホッと小さく笑いながら、安西はお茶を手に取った。二人きりならば、花道と落ち着いて話せることも、安西はよくわかっていた。向かい合って座ると、近づくのがかえって難しいのかもしれない。
花道は、安西の話が全日本のことではないと思っていた。それはあり得ないことだと花道でもわかる。けれど、悔しいとも言えず、安西に当たることもできず、優勝できなかったことを詫びることもできなかった。
けれど、安西の話は、そのあり得ないことについてだった。森重寛という、花道でさえ力で負けそうな相手、ついに対戦することがなかったライバルは、全日本を辞退した。同じポジションの花道に、そのお株が回ってきたという話だった。
「じたい? 何考えてンだアイツ」
「…さあ…人はそれぞれですから」
「で……俺…ってのは?」
「選考の段階で、桜木くんの名前は挙がっていました」
「……それで?」
「そういうことです」
ホッホッと笑う安西に、花道は素直にウンと言えなかった。誰かが断ったおかげで自分が出る。一番に選ばれてなかったことが、花道を意固地にした。けれど、「NO」という言葉は言えない。その心の葛藤から、花道はただ口をパクパクさせていた。
そんな様子も、安西の予想の範疇だった。
「桜木くん。流川くんをどう思いますか?」
「あ、ああっ?! な、なんだよ、いきなり!」
座っていた座布団から落ちそうなくらい、花道は驚いた。
「桜木くんは流川くんとプレーするのをどう思いますか?」
「あ…そういう……」
花道の心臓は、まだ激しく動揺していた。
「あ、アイツはよ…まーなんつーか体力ねーから。ちょっとうめーかもしんねーけど、まあ顔だけっていうか、日本一になれねーのになるっつってたし、まあこれはアイツ一人のせいじゃねーけど……」
安西は黙ったまま、お茶を一口啜った。
「……あ、アイツはちゃんと全日本に選ばれてて、エリートコースとやらをまっしぐら…なんだよな…アメリカ行くっつってたし…俺ァよ…金もねーし……」
「桜木くん」
「あ、あれ…?」
「一度、赤木くんの大学に行ってみますか?」
「は…? なんでだよ?」
「全日本ジュニアの件の返事は保留にしておきましょう。といっても、あまり時間はありません」
そう言って、安西はすぐに行動に移した。花道は軽やかに動く巨体を見上げたまま、自分に起こっている事態を把握できていなかった。