Fox&Monkey
進路を決めなければならない時期に、流川ほど具体的にイメージができていない花道は、漠然とアメリカ、としか言い続けることしかできなかった。そんな花道に、担任は大学からの誘いを勧めるのだ。それは至極当然の流れだった。
「高校…卒業しちまうんだ…」
まるで追い出されるような勢いに、花道は感傷的になる。
「…卒業できればな」
そんな花道を、流川は鼻で嗤う。やはり流川の方がずっと前を見続けているのだろう。そのことを花道は理解できるが、真似ることはできない。花道と流川は、10月の連休を利用してアメリカへ旅立った。留学するかどうかは別としても、本物を観る必要があると流川は思ったから。そして、安西もそのことを後押しした。アメリカの大学を紹介してもらい、見学させてもらうことになっていた。
「おいルカワ…どこに泊まるんだ?」
飛行機の中で、花道はやっとそんなことを聞いた。それは渡航者用のカードに記載しなければならなかったからだが、今回のことはすべて流川に任せきりだったらしい。
「てめーはその辺の安ホテルにでも泊まりやがれ」
「な、なんでそんな怒んだよ」
のんきすぎると思うのだ。行き当たりばったりな花道の性格は、流川にはついていけない。だいたいこの広いアメリカの、その都市を選んだ理由も、きっと花道には想像もつかないのだろう。
「着いてから考える」
「…まあ…そうだな…」
花道の答えに、流川は笑った。長い時間じっとしていることに、花道は耐えられないタイプだった。けれど、狭い飛行機の中は歩くこともままならない。空港について手足を伸ばせることを、本当に有り難く思った。
「さあルカワ、てめーどっちに行きたい?」
「……あっち」
流川が指さした方向には、見知った顔があった。
「楓! 桜木くん!」
手を振ってくれるのは、流川の母だった。
「あ、あれは…おとーさまとおかーさま……か?」
「……てめー、ホントに話し、聞いてなかったんだな…」
流川の父の転勤先がシカゴとわかったとき、父親は息子もきっと一緒に行くに違いないと思った。息子の憧れを知っていたし、自身も単身赴任より家族がいた方が嬉しかった。しかし、両親の予想とは反対に、息子は湘北高校にこだわった。
そして、最近やっと気がついたのだ。息子のこだわりが。
「桜木くん、よく来たね」
「は、ハイ…あの、お、おジャマします」
流川と変わらない長身とそれ以上の体を丸めた花道の低姿勢は、相変わらずだった。そして、両親にとっても初めてともいえる一人息子の友人に、やや気を遣いすぎる節があった。もっとも、それは流川が怪我をしたときの花道の献身ぶりに感謝しているのもある。
「おいルカワ…」
「…ちゃんと話した」
「いつ?!」
「…安西監督と話してたとき。てめーが聞いてねーだけ」
車の後ろの座席で、狭そうに体を収め、二人は小声でケンカする。その姿に、流川の両親は息子が二人になった気がした。くつろいでね、と言われても、花道には無理な話だった。そうと決めた相手には、いつまでも身を崩すことができないのだ。まして、自分が「間男」と思ったこともあったのだから。
「この家はね、家族でこっちに来ると思ったから、単身用にしなかったんだ」
広々としたリビングと、いくつかあるらしいベッドルーム。長身の彼らには、アメリカサイズの空間は思っていた以上に居心地が良かった。例えば、頭を下げながら歩くところがないのである。
「すげー、広いッス」
「だろ? だからというわけではないけど、桜木くんが下宿するのも了解している」
「………はっ?」
「…どあほう…」
花道は、本当に何も聞いていなかったらしい。のんきなのではなく、舞い上がりすぎていて、理解できていなかったのだ。
「おいルカワ…どゆこと?」
「……いきなりこっちで一人暮らしとか、ムリ」
「…け、けど、寮とかよ…」
「…てめー、その頭で大学に行けると思ってんのか」
成績や英会話のことを言われると、確かに厳しいのがわかる。そしてそれは、花道だけではないのだ。
「こっから英語学校みたいなとこに通う。大学受験はまだその先」
「え…バスケットは?」
「…公園があるだろ…」
「……そ、そうか…」
まだ花道には具体的にはイメージできていない。けれど、高校を卒業したら、ここに住むことになるらしいことだけはわかった。
「ルカワと…ルカワのご両親と……?」
小声で呟いて、そのことを呑み込もうとした。
「あ、いや…でも、俺…下宿代とか、払えねーッス」
「アパートも借りれねーだろ、どあほう」
「あら楓…まだ話してなかったの?」
「……これから。もー寝る」
そう言って、流川は花道を引っ張った。2階へ上がるのも初めてなのに、流川はスタスタと部屋へ向かった。親子なだけあって、自分たちのために用意された部屋がなんとなくわかるらしい。
「る、ルカワ…ちょっともう一回説明しろ」
「…エラそうに…」
ふーっとため息をついて、流川はさっさと着替える。
「時差ボケは寝ない方がいいらしー。けど、俺は寝る」
さっさとベッドに入る流川に、花道はまたついていけなかった。
「え……俺ァ別に眠くねーぞ」
「……じゃあ下に行けば」
「そ、それは…」
心の準備が、と口の中で言った。
「どあほう、いつまでそーやってるつもりだ」
流川は穏やかな声でそう言い、掛け布団をめくった。
「起きたら話してやる。いーから、寝ろ」
「……こ、ここで…?」
「…広いからだいじょーぶ」
花道が躊躇いながらベッドに入ったのを確認して、流川はすぐに目を閉じた。
何サイズというのかわからない広さのベッドや、高い天井、外の聞き慣れない音に、花道は落ち着かなかった。両親との会話さえ、夢のような気がした。
けれど、そばにいる流川だけは本物で、どこに行ってもその寝顔を見るだけで安心している自分に気が付いた。
「ケッ…キツネのくせに…」
口を尖らせながら、花道は流川を抱き寄せた。