Fox&Monkey


  

 花道が家の周りをグルグル歩いていたとき、見慣れた黒髪が視界に入った。それが流川だから反応したのか、それともたまたま目に入ったのか、花道にはもちろんわからない。すぐに見つけた自分は「知り合い」という人間に飢えていたのか、それとも流川なのか。けれど、2時間前にケンカした相手がランニングというごく日常を営んでいることに、花道は無性に腹が立った。
「キツネやろう…」
 そんな悪態ももしかしたら久しぶりかもしれない。自分たちはとても近くなりすぎたのではないだろうか。自分がこんなにも流川と彼の健康と二人の関係を考えているのに、相手は至っていつも通りだ。
「俺がいようがいまいが…あいつは変わらねー…ってわけか」
 ものすごく寂しくて、胸がヒヤッとした。

 どれだけ顔を合わせたくないと思っても、流川宅以外花道の戻るところはなかった。
「あら、おかえりなさい、桜木くん」
 笑顔で迎え入れられることに、花道は慣れていなかった。
「は、はい。た、ただいま…です」
「楓と会わなかった?」
「え……いえ…」
「…そう?」
 自分が飛び出したとき、母親はどうしていただろうか。花道には思い出せなかった。
「楓とケンカでもしたのかと思って」
「あ……いや……その…」
 何となく事情を察しているらしい母親は、それ以上追求しなかった。
「楓もね…頑固というか…バスケットのためなら、もうほんと…話も聴かないのよね」
「……はぁ…」
「自分のバスケのためなのよ。桜木くんが気に病むことはないからね」
 自分でもよくわからない空返事を繰り返し、花道は自分のために用意された部屋に戻った。こちらに来てまだ使われていないベッドに、初めて違和感を感じた。
「も、も、もしかして…ヤベー?」
 慌ててシーツを乱してみる。けれどすぐに気づく。今夜はきっとここで寝るだろうと。
 異国の音は、聞き慣れた神奈川のものと違う。そして、見学とはいえアメリカに訪れた自分たちの未来が、具体的に動き出していることに気づき、漠然とした不安を感じたからかもしれない。何となく、花道は流川から離れられなかったのだ。
 こうして一人で天井を見上げてみると、その高さに驚く。広い部屋や広めのベッド。自分は畳の上にふとんだった。こちらではふとんを干したりしないのだろうか。
「アメリカ…」
 自分はどうしたいのだろう。一度は答えを出したはずなのに、なぜ迷ったりするのだろうか。流川のように、前しか見ない男が少し羨ましかった。

 どのくらいぼんやりしていたのか、気が付けば階下から親子の会話が聞こえる。といっても、ほとんど母親の声がするというくらいのものだったが。
 軽い足音で階段を上り、隣のドアの重い音が聞こえた。何かが動く音の後、またすぐにドアが開く。自分の部屋の前を通り、一番奥のシャワールームに行くに違いない。花道は目を瞑っていても、流川の動きが見えるようだった。
 流川が部屋に戻った後、花道は静かに起きあがった。隣室では予想通り、流川がベッドに仰向けになっていた。規則正しい寝息に苦笑したけれど、やはり胃の底がイライラする。
「てめーは……」
 なぜごく普通に眠れるのだろうか。運動後の体力回復とわかっていても、もっと神経質な自分は緊張で眠れないこともあるのに。
「この、バカぎつね」
 ベッドの端に腰掛けても、流川はピクリとも動かなかった。
 落ち込んでいるはずの自分も、ちょっと雰囲気に酔い始めた。
「う…わー…ベッドだぜ…」
 流川の腰あたりに座る自分は、眠る相手を見下ろすことができる。脚なぞ組んでみることもできる。片手をゆっくり腰のあちら側に置いて、空いた手で流川の頬を撫でる。
「映画みてー」
 自分でもバカみたいだけれど、こういう状況はロマンチックで気に入った。
 この場合、流川は眠りの森の美女、ならぬキツネだった。
 自分想像に吹き出したとき、小さな声が聞こえた。
「…うるさい…」
「……えっ…起きてんのか?」
「…揺らすな」
 眠っているのか寝ぼけているのかわからない声で流川は呟きながら、だるそうな腕をゆっくりと花道の太股に乗せた。
 さっきまで憎たらしいと思っていた相手が、ちょっと可愛く見えた。
「ち、ちくしょ……このヤロウ」
 こんなことで頬が熱くなる純情な自分は、もしかして流川に敵わないのでは、と初めて思った。

 


2005. 7. 15 キリコ
  
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