Fox&Monkey
朝早く行動し始めたわりに、その日はあっという間だった。
少しぎこちないまま二人は冷たい空気の中へランニングに出た。日曜の朝は人通りも少なく、10月の砂浜はほとんど人がいなかった。
家を出てからずっと半歩ほど後ろを走る花道に、流川はときどき目を向けた。自分の背中を見ているらしいのに、視線を逸らす。人の機微を感知しない流川でも、花道がおかしいのはわかるようになった。けれど、なぜおかしいのかまでは理解が届かなかった。肌寒い中でほてる体を少し休ませる。冷たい風も少しの間は気持ちよかった。
ぼんやりと波を見ていた流川は、ふいに思い出した。
「あ……」
「……あンだ?」
そばで立ったままの花道が、ごくいつも通りの表情で問う。
花道の様子がおかしい理由を、急に思い至ってしまったのだ。
今朝のことか。
花道は流川の横に座った。
「おい、何か言いかけなかったか?」
「……別に」
わざわざ話題にすることもないと思った。むしろ、避けたかったのかもしれない。
太陽の下にいると夜の自分たちが現実と思えなくなるのが不思議だった。花道の家に戻って、シャワーを浴びて、昼食を取る。あまり変わり映えのしない日曜日のはずだった。
番組に関係なくついたままのテレビを観る花道は、珍しくただぼんやりとしている。
やはりおかしい、と流川はじっと観察する。
花道も、流川が何か言いたげなのはわかるけれど、あまり口をききたくない気分だった。
いつも以上に会話がないことが、どこか居心地悪かった。
先に折れたのは、流川だった。自分のせいだと思ったから。
「…った…」
花道の隣に正座しながら、流川は同じようにテレビ画面を見た。
「…へ?」
「……何でも言ってみろ」
「…え…ルカワ?」
はっきりしない口調は珍しい。花道はそんなところに驚いていた。
ほぼ同時に顔を向けあって、今日、やっと互いの目を見た。
花道が「目と目で会話」と考えていたとは思いもよらない流川は、花道の申し出を待った。彼なりの謝罪のつもりだった。望まれるなら、もう一度くらい頑張ってやってもいい、と思ったのだ。
「えっと……その…」
なかなか言葉に出来なかったけれど、花道の赤くなった頬は、流川にも伝わった。
「じゃあ…」
おずおずと動き出した花道は、流川を壁に押しやった。
何がどうなるのかわからない流川は、大人しく花道の言うとおりに動いた。
気が付けば、花道の頭は自分の胸あたりにあり、自分の腕は自分の意志とは関係なく、花道の背中に回されていた。そして、花道の腕は自分の背中にしっかりと巻き付いている。次には何の変化もなく、花道はただ静かに息を吐いた。
「…桜木?」
返事をしない花道の顔を見ようと、流川は赤い後頭部に手を当てた。流川の腕の中で、花道は目をつぶったまま動かなかった。
テレビの画面に目を移しながら、流川は小さくため息をついた。
自分の考えすぎだったのだろうか…と、拍子抜けしたのだ。
「…今日は…」
しばらく経って、花道は一言だけ呟いた。
説明を求めようとせず、流川も黙って考えた。
今日は、流川が家に戻る日だった。母がアメリカから帰ってくるので、まだ扶養される立場の流川は、自宅から学校へ通うようになる。
花道は、流川がいなくなるのが寂しいらしい。
「……そっちか……」
自分のずれた考えが恥ずかしく、腹が立った。けれど、それも決して間違いではないと思うのだ。
流川は、自宅に戻るのが面倒と思ったことを口にはしなかった。花道とはケンカばかりだし、親のそばがそれほど苦痛なわけでもない。けれど、これだけ一緒にいたのに、と少し思った。もしかして、これが「寂しい」という感情なのだろうか。そんな気持ちを自分が持つとは思えなかったので、すぐに却下した。
そして自分なりに話題を変えた。
「…アメリカでは…」
「……ん?」
「18歳になったら、親元から自立するらしい」
花道は顔を上げずに先を促した。
「…大学生とか、どーすんの」
「バイトとか…奨学金…らしい」
「…ふーん…」
「俺はあとちょっと」
勝ち誇った言い方に、花道は負けじと言い返す。
「…バーロー、年齢が18ってだけじゃねーか。それを言うなら、一人暮らししてる俺様の方が自立ってヤツだよな」
そういえばなぜ一人暮らしなのだろう。流川は改めて聞いたことはない。一緒にいて、バスケットができるのなら、それ以上深く知る必要のないことだと思っているから。
流川は今度は自分の意志で花道の背中を抱きしめた。
「…アメリカ行ったら…そんな感じ…」
さっきより、少し口調が丸く感じられた。花道には「そうしよう」と誘われた気がした。
花道は、流川の肩に額を置き直した。