流川楓が日本に帰国したのは、それよりも3ヶ月ほど前のことだった。日本の高校界では有名人だった流川だが、アメリカでは無名のままで、日本のバスケ界以外はその名も伝えることはなかった。
「ケガしたんだって」
「で、治療とリハビリ兼ねて日本に…で、そのまま日本のチームにだ」
「…あの流川がねぇ」
チーム内の会話から、流川の入部に驚く声はあっても、流川自身が誰かという問いはなかった。日本中が注目していた高校生だったから。花道は、自分の知名度も認識できず、そのことをおもしろくなく感じた。何年経っても、あの男に対してだけはライバル心剥き出しのままだった。
「日本に帰ってたのに…お前のとこには連絡なかったのか、桜木?」
「…し、知るわけねー…です」
「まあ…お前らの仲の悪さは、俺らでも知ってることだしな」
苦笑しながら肩を叩く先輩に、花道は口を尖らせた。
本当に、あの流川楓がこのチームに来るのだろうか。
そんな想像も追いつかないまま、現実がやってきた。「流川楓です」
体育館横のミーティングルームに、流川はスーツ姿で現れた。
「ルカワ…」
一番後ろの席で、花道は思わず呼びかけた。それくらい、見かけは変わっていなかった。
それからの監督やコーチ、そして主将の話、流川自身の挨拶も、花道はあまり覚えていなかった。ただ、自分と同じユニフォームを受け取る瞬間、花道はやっと現実感が湧いてきた。
「ルカワ…てめぇ…」
今度の声は、周囲に聞こえるくらいはっきりしていた。そのせいか、流川はまっすぐに花道を見返した。
久しぶりにチームメイトに会えば、「よぉ」とか簡単すぎる挨拶くらいは出てくるものだ。たとえ他チームだったバスケ仲間にでも。それなのに、花道も流川も無言だった。
「まあ…つもる話は後にしなさい。桜木、流川」
何の話題も進んでいなかったけれど、動きの止まった2人にコーチは声をかけた。花道は、独身寮に入っている。既婚者以外は皆そうだった。
「…ってことは、まだケッコンしてねぇの」
流川の新しい部屋の前で、花道は思ったことを口にした。部屋で荷物の片づけをしていた流川は、顔も上げなかった。
「手伝ってこいって…言われたンだけど」
「……別にいー」
「はいそーですか、ってワケにいかねーんだよ」
ならば最初から入ればいいのに、と流川は思う。花道は流川の近くに寄りがたかったのだ。
「けどよ、チームメイトになっちまったんだから、しょーがねぇだろ」
「……何の話だ」
流川は手を止めて、花道を見上げた。
「な、ナンか知らねーけどよ……ケンエンの仲はまじーんだってよ」
引っ越しの手伝いが仲良しの一歩とは思えないが、とりあえず2人で話し合えということなのだろうか。流川は首を傾げた。
「……いつも突っかかってきたのは、てめーだろ」
そう言われると否定できない。今の花道はそう思えるようになった。
あの頃は、流川楓のすべてに腹が立った。目につくと苛ついて、負けるものかと意地になった。
そう思えても、花道は素直にそう口にはできない。まだ思い出話にはならなかった。
花道は、並んだ段ボールを動かして、勝手に蓋を開けていった。
「て、てめーは…どこケガしたんだ…」
少し落ち着いた声で、花道は尋ねた。
「……言わねー」
「…なんで?」
流川がまた横を向いたので、花道は質問を変えた。
「じゃー…なんでケガした? ケンカとか?」
「……オメーじゃあるまいし…」
流川が吹き出しながら返事をした。そのことに、花道は心底驚いた。初めてみる笑顔に近い顔は、思った以上に柔らかかった。
「バスケの試合で…吹っ飛んだ」
「…吹っ飛ぶ? その巨体でか?」
「……あっちじゃ、そうでもない」
それから、お互い少し伸びた身長の話になり、今でも花道は自分の方が大きいことを知った。流川はその身長以外は変わらないように見える。けれど、以前より穏やかに思えた。もしかして、自分が突っかからなければ、こういう対応をする男だったのだろうか。
「いや…でも…女には容赦なかったよな」
興味のない相手は徹底的に無視していた。愛想というものもなかったはずだ。
そう思うと、桜木軍団が言うように、自分に対しては、たとえ負の感情が元でもかなり構われていたかもしれない。
花道は、流川の背中を見ながら、そんなことを考えた。
「まあ…オレもオトナになったよな」
「……どこがだ」
真剣な顔をして花道をじっと見る流川に、花道はムッとした。