テレパシー

   

 退院する前に、花道のノートはすでに2冊目になっていた。同じノートを自分で買って、「天才バスケットマン」と表紙に書いて、2冊目は最後に「2」をつける。そんなに書かないと思ったのに、気が付くとノートが終わっていたのだ。
 1冊目のノートの後半は、これまでのすべての試合の振り返りだった。
 入院中、花道はリハビリ施設の談話室を占領し、時間のある限りビデオを観ていた。入部したての自分に何度も赤面し、はり倒したくなるくらい恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。ほんの少し懐かしいという思いもあった。徐々にいろいろなことが出来てくる自分を客観的に見ることが出来た。
 その振り返りに、ときどき流川が一緒にいた。
 最初は部員全員でお見舞いに来たが、その後一人でフラリとやってきて、その度にバスケ雑誌かビデオを置いていく。花道が湘北のビデオを観ていると気付いてからは、同席するようになっていた。じっと観ていると、ときどき流川は質問をしてくる。
「てめー、このとき何考えてやがった」
「…えと…」
 花道の返事をたいして期待しているようではない。それよりも、考えろ、ということなのだろうか。
「この仙道、何やってるかわかるか」
 ビデオを止めて巻き戻す。まるで安西のようだった。
 もしかして、花道に指導してくれてるのだろうか。
 そう思っても、花道は素直に教わることが出来る相手ではない。
「わ、わ、わぁってるよ」
 実際はわからないけれど、一人のときにそのシーンを繰り返し観る。残念なのは、正解がわからないことだった。小さな映像では、目線のフェイクなど見えないこともあるからだ。けれど、花道は試合のビデオを観るポイント、というものを理解し始めた。
 その記録を、最初のノートに書いていたら、あっという間に2冊目が必要になった。

 退院の日が近づいていた頃、ビデオは山王戦まで来ていた。
「入院中に全部みれるかな」
 花道はまたノートを持参し、談話室へ向かう。ちょうどそこへ、流川がやってきた。お見舞いといっても、花束や食べ物などは、いっさい持ってきたことがない。花道も流川にそんなことを望んでいなかったけれど。
「…どこまでいってる」
 廊下で立ち止まって、主語のない質問をする。花道はすぐにわかって、なんとなく憮然とする。
「…ヤマオー」
 流川はそのまま表情をいっさい動かさなかった。何も言わず、同じように談話室へ向かう。
「てめーも観んのか」
 そんな呟きは、当然のように無視された。
 山王戦は、花道にはとても思い出深いものだった。
 その前の豊玉戦でも、たくさんのことを学んだ。インターハイの空気を肌で感じ、大舞台ほど張り切ってしまう自分にも気付いた。流川との実力の差について、具体的に言われたのもその日だった。3倍練習と言われたのに、自分は今全く練習出来ない状況にある。花道はいつものビデオより、少し暗い気持ちで観始めた。
 それでも、山王戦の自分はすごいではないか。自分で自分を褒めてやりたいのだ。
「オレぁ初心者だけどよ…自分にできること、やった」
 画面を見たまま、花道は小さく呟いた。実際、あのすごい河田兄が自分をマークしたときもあったのだ。きっとすごいことをしたのだろうと思う。
「…ビデオ観てどう思う」
「うーん……だから、そう思う」
 花道もうまく伝えられない。けれど、流川も何の否定も同意もしなかった。
 ルーズボールを追いかける花道は、ビデオには映っていなかった。違う角度からのビデオにならあったのだろうか。
 ドカンというすごい音が入っていて、何が起こったか当事者にはわかる。
「こんとき、お前は机に突っ込んだ」
 流川は指をテレビに向ける。
「ああ……うん」
 そして、流川が自分を褒めてくれたのだ。たぶんあれはそういう言葉だと思う。
 自分のへまが計算に入っていると言っていた流川。それは1人前と認められていないようで、花道としてはかなり痛い言葉だった。今ならその通りだと認めることが出来る。時々すごい活躍をする、では駄目なのだ。常にどんなときでも実力以上のものが出せて、チームに頼られるようにならなければいけない。
「ナイスパス」
 自分が流川にパスをしたシーンで、流川は小さく言った。その言葉に嬉しさよりも驚きが大きかった。
 映像は進み、試合終了間際の自分たちに、なぜか胸が熱くなった。
 流川がパスをくれた。
 入院中、寝る前に何度もそのシーンを思い出していた。
 山王戦は、きっと泣いてしまうのではないか、と花道は思っていた。一人で観ると、途中から辛くなっていたかもしれない。流川がいて、横から分析しようと何度も止めて口を出すので、冷静でいられた。
 自分たちのハイタッチ。最初で最後だ。今のところ。
「…テメーは…次の試合も観るのか?」
 流川は花道の方を見ないまま尋ねた。次の愛和学院との試合に、花道は出場していない。
「うん…観る」
「……そっか」
 花道は流川が流川らしくない気がした。
「オメーらが、オレ抜きで負けたのはしょーがねー」
 ケケケっと笑う花道を、流川はきっと睨んだ。
「ゴリ達の最後の試合だし……これも勉強だからな」

 数日後、花道は、最後のビデオをかなりしんみりした気持ちで見始めた。
 自分がいない試合。今でも結果しか知らない。ボロ負けしたと聞いた。
 コート上の5人は真剣に戦っている。誰も手を抜いたりしていない。それなのに、なぜ勝てなかったのか。一人一人が健闘しても、少しずつズレ始めて、気が付いたら取り戻せないところまで来ていた。そんな感じだった。
「何やってんだ…キツネ…」
 やっぱりエースと呼ばれる存在が何とかしなければいけなかったのではないだろうか。
「ゴリ…しっかりしろ!」
 そんなことも思う。大黒柱はときどき繊細な様子を見せる。けれど、自分はカンチョーできるところにいなかった。
「やっぱオレがいねーとダメなんだな!」
 花道は、誰もいない部屋で大声で叫ぶ。とても乾いた声だった。
 きっと違う。自分がいたとしても、勝てないものは勝てない。そもそも、まだ自分は半人前なのだから。
 花道ががっくり肩を落としたとき、談話室に流川がやってきた。
「…もう終わったのか?」
 花道は返事もせず、ただ視線を画面に戻した。
 ビデオを再生したまま巻き戻し、花道は流川の方を向いた。
「テメーは、この日寝てなかったンか?」
 動きが良くないと指摘されたようで、流川はぐっと言葉に詰まる。実際に、全員がそうだった。山王戦での疲れは想像以上だった。気持ちを切り替えて、と言われても、チームメイトが大怪我をしたのだ。動揺がないわけはなかった。それでも、それぞれが必死だった。ここで負けたら、勇退した花道に合わせる顔がないと。それでも、40分の間に、いつもの調子に戻ることが出来なかった。花道がいかにチームの中心にいてムードメーカーだったのか。湘北は実感したのだった。
 黙ったままの流川をじっと見て、花道は次の言葉を続けた。
「オレ……がいたら、勝てた…かな…」
 自惚れているわけではない。自分が怪我をしていなくなったせいなのだろうか、と花道は反省している。心の中だけだけれど。
 流川はゆっくりと隣の椅子に座り、テレビの画面を見たまま答えた。
「そんな仮定は無意味。わかるわけない」
 花道を責めるわけでも、良かったというわけでもなかった。流川らしい言葉だと、花道は感じた。
「ただ……」
 文章がまだ続いたことに花道は驚いて、流川から視線を逸らせた。
「た……ただ?」
「…ただ……山王戦でテメーがいなかったら……勝てなかった……かもしんねー」
 ということは言える、と流川は小さく言った。
 花道は目を大きく見開いた。
 今のは褒められたのだろうか。少しはメンバーらしかったということなのだろうか。
「お…オレ…」
 いつものように茶化そうと思うのに、言葉が出てこなかった。
 花道は、すぐにその言葉をノートに書いた。そのときは「キツネ」ではなく、「ルカワから言われたこと」と記載した。涙が出そうなほど、感動した。
 

2013.12.30 キリコ
  
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