テレパシー

   

 1月に入ってから、隔週の土曜日の夜、そして別の隔週の日曜日、という習慣が出来た。日曜日はひたすらバスケットの時間で、争うようにボールを追ったあと、いろいろな試合のビデオを観ながら勉強したり討論したりする。ランニングにも出る。1日中トレーニングだった。
 けれど、土曜の部活の後は、一言も会話はない。自転車置き場から、流川が家へ帰るまで、ずっと暗いまま、黙ったままだった。その次の日は顔を合わせない日曜日なので、それはお互いの気恥ずかしさを押さえる良いクッション日だった。
 自分は何をしているのだろう。
 お互いがそう思っていた。けれど、どちらも止めることが出来ないでいた。

 3月の終わり頃、土曜の夜だった。偶然にも、二人ともがこの関係が3ヶ月になるな、と思っていた。
 無言のまま花道の家についたとき、暗くて静かな空間に電話の音が鳴り響いた。二人ともがビクッと跳ねて、いつも以上に音が大きく聞こえた。
「は、はい桜木」
 花道の声に、流川はやっぱりこの相手はあの花道なのだ、と再確認した。
「い…今から?」
 花道の躊躇う声に、流川は聞き耳を立てた。ここまで来たけれど、今日はしないまま花道は出かけるということなのだろうか。すぐに残念と思った自分を不愉快に感じた。
 電話を置くチンという音とともに、花道は玄関へ向かった。自分も帰ろうと動いたとき、花道が小さく言った。
「そ、その……すぐ……から」
 何を言ったのか、はっきり聞き取ることが出来なかった。ドアを勢いよく閉めて、階段をドドドドと降りていく。
 今のは、すぐ戻るから待っていろ、という意味なのだろうか。
 流川はしばらく立ちつくしてから、花道の部屋へ戻っていった。
 花道が着いてすぐに点火したストーブが、すでに暖かくなっていた。この明かりを頼りに、流川はいつものようにパーカーに着替えた。壁に掛かっているハンガーは、いつも同じ場所に置いてある。花道はこれを着ることがあるのだろうか。それとも自分用なのか。そう考えて、流川は少し照れてしまった。
 ストーブの前に座ると、ついウトウトとしてしまう。練習で疲れた後で、仕方のないことだった。
 花道の言った「すぐ」は、いったいどれくらいなのか。それともやはり自分は帰るべきだったのだろうか。
 そんなことを考えながら、流川はついに座布団に倒れ込んだ。こたつふとんを足下にかけて、「ああ寝てしまうな」と自分で思いながら、寝る準備をしてしまった。


 花道には、半年前からたまに会う友人がいた。親友である洋平のバイト先の先輩で、花道がインターハイに出場したこと、そして洋平も応援にいっていたことを聞き、声をかけてきたのだった。その先輩は今は大学生だが、高校時代バスケットをしていた。以前の湘北のようなチームで、県大会で初戦で消えていった。それでも楽しかった、という話を、洋平とともに聞いた。
 ときどき花道の家の近くまで車で来て、バスケット雑誌やグッズや話題など、いろいろくれる人だった。
 だから、花道はソワソワしながらも邪険には出来なかった。今日はバイト帰りの洋平も助手席に乗っていたから、尚のことだった。自分の部屋であの流川が待っているなど、知られるわけにはいかなかった。
「桜木君は卒業したらどうするの?」
 バスケットの話題から、突然そんな質問になった。
 まだ入学して一年経っておらず、花道も洋平も深く考えたことはなかった。
「さ…さぁ…」
「同じチームのさ、流川君って全日本に選ばれたね。ああいう人はバスケで大学行くのかな」
 流川の話題が出て、花道の心臓は飛び出した。
 やはり流川は有名人なんだ、と花道は純粋に驚いた。バスケットをしている人には注目の選手なのだろう。それがわかると尚更、花道はムッとする。あの男は確かにすごいのかもしれないけれど、自分の腕の中で射精するただの男なんだ、と喉元まで出かかった。そんなことは誰にも報告するべきことではないし、また決して言いたくないとも思っていた。自分だけが知っている彼なのだから。
 花道は、自分の知名度も知らず、ふくれ面をした。
「……しらねーっすよ。けど、前はアメリカとかほざいてたな」
「ああ…アメリカかぁ」
 流川はアメリカを目指すのだろうか。そんな話は聞いたことがない。自分も尋ねたりしなかった。
 この先輩とは、たまにしか会わないし、いろいろお世話になっていると思う。けれど、今日だけは早く家に帰りたかった。それでも、2、30分近く車に乗っていただろう。花道は洋平にさえそこそこの挨拶で、アパートへダッシュした。

 流川は帰ってしまったかもしれない。花道は玄関のドアを祈るような気持ちで開けた。
 入ってすぐに、流川の靴と玄関すぐに置かれた大きなバッグが目に入った。
「…いる!」
 花道の頬は熱くなった。
 とてもヤリたくて待ち遠しかったのか、それとも本当に待っていてくれたことが嬉しかったのか。花道自身よくわからなかった。
 静かに部屋のドアを開け、遅くなったと詫びようと思っていた。
 けれど、ストーブ前に横たわる姿に、ホッとしたり呆れたり、複雑な思いになった。
 足音を気にしながら近づいても、流川は全く動かなかった。
 ストーブの方にちょっと顔を傾けて、仰向けに寝ていた。左手を少しバンザイ風にして、右手はお腹の上に置かれている。こたつ布団を足にかけているが、電源が入っていないのでたいして温かくなかっただろう。それでも、流川は待っていたのだ。そう思うと、花道は少し感動する。いくら同じようにヤリたいだけであっても、あの流川が自分の「すぐ」という言葉を信じてくれたのだろうから。
 声を上げないように花道は笑い、じっと流川の顔を観察した。
 いつもの何倍も穏やかな表情に見えた。力の抜けた眉は開いて、柔らかく感じる。髪が少し割れて、おでこがストーブの明かりに当たって光っている。寝ている顔はそれほど珍しいものではない。それなのに、初めて見るもののように貴重に感じた。写真に残せるものならそうしたいけれど、今は一生懸命脳に記憶させた。
 指先で髪に触れると、何の抵抗もなくサラリと流れる。そのまま頬を軽く撫でた。こんな風に触れたことはなかった。胸がドキドキしてきて、伝わりそうで指を引っ込めた。
 起こした方がいいのだろうか。それともこのままして良いものか。
 実は1ヶ月ほど前、花道は少しやり方を変えてみようと思い、部屋に入った流川を静かに押し倒した。いつもは立ったままだったが、流川にのし掛かる自分ということに挑戦した。やってみると、ものすごく興奮したけれど、流川がすぐに花道を押し、いつもの壁を背に立ってしまった。押し倒されるのはさすがに嫌か、と花道もすぐに諦めた。
 けれど、男としては、それが自然に思えてしまうのだ。そして今は、そのチャンスではないだろうか。
 もし流川が起きて逃げたなら、そのときは元のスタイルでいいか、と決めて、花道は上着を脱いだ。
 

2013.12.30 キリコ
  
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