テレパシー
それからしばらく二人とも沈黙していた。突然の流川の訪問が、日曜日タイプなのか、それとも無言の土曜日なのか、分類できなかったからだ。流川は帰る、とも言えず、花道も帰れとも言えなかった。けれど、何を話せば良いのかわからなかった。ビデオはすでに止まっていて、よくわからないテレビ番組が映っていた。
先にしびれを切らしたのは花道だった。
おかしな表現だが、いつものようにすれば、流川は無言で帰っていくだろう。そうしようと決めた。
「トイレ」
花道が立ち上がって、流川はその後ろ姿を目で追った。
きっと、戻ったら電気を消すのだろう。それならば、自分も立って待った方がいいのだろうか。
あっという間に戻ってきた花道が、予想通り部屋の電気を消した。そのまま入り口で突っ立っているのがわかる。いつものように、流川は壁を背に立った。
手順は普段と変わりなかった。思えば、久しぶりだった。そのせいなのか、花道の指は遠慮がちに思えた。それでもだんだん流川がその気になってきて突っ張り棒をしても、花道が自分に下半身を押しつけてこない。なぜか雰囲気が違う、と流川は暗闇で目をあけた。こんなに集中できないのは初めてだった。
ほんの少し腰を押しつけて、素っ裸の花道自身が反応していないことに、ようやく気が付いた。それでも花道は一生懸命流川を刺激しようとしている。流川も多少の戸惑いもあっていつもより反応は鈍い。けれど、ちゃんと勃起していた。
久しぶりだからだろうか。それとも急に男の体に興味がなくなったのだろうか。そんな風にも見えないけれど。
流川はこんなときに脳を動かす自分を珍しく思った。やはり自分も乗り切れていないのだろうか。
未だに胸に張り付く花道の髪を、流川はゆっくりと撫でた。これまで肩か腕以外に触れたことはない。こんなに簡単なことなのに、なぜあんなにも頑なだったのだろう。
花道がビクッと跳ねる。それは、晴子の肩に触れたときと同じような反応に見えた。
流川は、自分の長い両腕を花道の背中に回した。Tシャツの上に指を滑らせて、自分のしっくりくるところでキュッと止める。肘に力を入れると、花道が体ごと自分に近づいてきた。
互いの耳を合わせて、流川は花道の肩に口元を置いた。驚いて固まっていた花道も、やがて鼻をすすりながら同じ体勢になる。だいぶ経ってから、花道の腕が流川の背中に回された。
初めて抱きしめ合って、ホッとため息がでるような、そんな穏やかな空気になった。
それにしても、なぜ泣くことがあるのだろう。流川は目を閉じて考えた。
今の自分には、多少の不安はあっても、ワクワクする未来しかない。もうすぐアメリカに行って、たくさんの強豪たちと戦えるはずだ。楽しみでいっぱいだった。
けれど、確かに親も応援はしてくれていても寂しそうだった。湘北の部員たちも同じ表情だった。残される側の気持ちを、流川はやっと少し理解した。
男は案外デリケートで、泣きたかったらしい花道が反応しないことにも納得がいった。
「さみしーならそう言え、どあほう…」
「な!なんだそりゃ!チガウ!」
耳元で大きな声で叫ばれて、流川はなぜだか安心した。それからお互い下半身裸のまま、いつもの定位置に座った。暗い中で、初めて会話をした。
「泣き虫…」
「な…泣いてねーよ!」
「ハナすすってる」
花道がそばにあったティッシュで盛大に鼻をかんだ。
「ちょ、ちょっと夏カゼってヤツだよ!バカ野郎」
花道の上滑りの嘘に、流川は少しはいつもの調子に戻ったかなと安心した。
しばらくの沈黙の後、花道は躊躇いながら質問した。花道が思う最後のチャンスだった。
「ルカワ…」
「…ん?」
「いつ……いつ行くんだ…」
主語がない質問だけれど、最近何度も聞かれたことだった。
「あした」
驚いた花道が勢い良く自分の方を向いた気配がした。
「あ、明日…の飛行機…?」
「…そう」
流川がすんなり答えたことに、花道はまだ動揺したままだった。
「あの…じゃ…ドコ行くんだ…」
その問いにも、流川はすぐに答えた。誰もが知るアメリカの有名な都市だった。
「そ……そっか…」
はっきりと出発日を聞いて、どこに行くかわかった。花道は寂しいと思う気持ちは同じなのに、胸が熱くなった。あれほど誰にも答えなかった流川が、自分には話してくれたのだ。
「ははっ…」
「…なんで笑う…」
花道にもよくわからなかった。嬉しいと感じた。やっぱり自分だけは特別なのだと、思ってもいいのだろうか。
「お、オレぁキャプテンとして忙しいから、見送りなんか行かねーぞ」
「……ンなもん、いらねー」
「そ…そか…」
暗い中でも、花道の背中が伸び上がったり縮んだりしているのがわかって、流川は可笑しかった。
「桜木…たった…1年とか2年だ…」
「……はい?」
突然話題が変わって、花道はついていけなかった。
「長いバスケ人生の、ちょっとの間一緒じゃないだけ」
「お…おお? へ?」
流川自身、うまく伝えられないことがもどかしかった。いつもならテレパシーのようにいろいろわかるのに。言葉にしないとわからないこともあると、わかってきたから。
花道もアメリカに行く、と言った。それは自分への挑戦だと思っている。まだ花道には日本で学ばなければならないことがあると流川も思う。主将としてやり通したらアメリカ、というのも良いではないか。それまでたった一年、高校卒業まで二年もないのだから。
何度も流川の言葉を理解しようと噛みしめるが、花道にはわからなかった。
けれど、自分が言うべき言葉はわかっているつもりだった。
「まあ、オメーを倒すのはオレだ!待ってろよルカワ!」
力強く指を差し出すと、流川がペシッと花道の手をはたく。暗闇でもうまくいった。
「…どあほう…」
そう言って流川が笑ったと思うのだ。これで間違いないと花道はやっと気持ちが明るくなってきた。