テレパシー
流川はシャワーから出て、花道のTシャツを着た。下半身にバスタオルを巻いて、暗いままの部屋を歩く。花道は自分と顔を合わせないようにしながら風呂場に入った。もうこれで帰る、と思っているのだろう。
花道の部屋の電気をつけて、流川は自分の下着を探した。しばらく立ったまま、これからどうするか考え始めた。
もうお別れもしたと思う。伝えたかったことも話せた。どこへいつ行くのか、花道にだけは話すつもりだった。射精もした。もう十分だ、という気持ちはあった。
けれど、流川は自分でもよくわからない理由で帰ろうとしなかった。
ふとテーブルの上を見ると、花道のノートが全部並べてあった。自分が来る前に使っていたのだろう。一番新しいノートが開いたままだった。いつもなら自分から隠すようにしていたけれど、今日はそんな余裕もなかったということか。
流川は見る気はなかった。けれど、最近書いたところが目に入ってしまった。
――― 8月×日 主将としての初日ルカワがいない
それだけで、それから何日か経っているが、白紙のままだった。
流川は胸がキュッと痛くなった。
もっと他に書くことがあるはずだった。主将として不安な気持ちもあり、上手く行くことや反省点など、日記代わりなら、あっただろう。
けれど、花道はただこれだけを感じたのだろうか。それとも、書かなかっただけだろうか。
自分でも意外だったが、自分の未来のバスケット像のそばには、花道がいる。きっといると、なぜだか思っていた。だから、ほんの数年離れるだけ、と。こんな関係になるずっと前から、そう感じていた。
花道も、自分とバスケットをしたいと思っているのだろうか。
流川は躊躇いをなくして、花道のノートをめくっていった。アメリカ行きを発表した日も、そのことだけが書かれていて、花道の感想らしきものはない。最近のものから昔へ、と辿るのが逆な気がして、流川は1冊目のノートを手に取った。
「…写真?」
ノートを開いてすぐに、2枚の写真がセロテープで貼ってあった。1枚は自分の笑顔の写真、もう1枚は花道と自分が寄り添うように笑っているもの。1枚目が以前新聞部が使用した写真だと、流川もすぐに思い出した。けれど、2枚目は知らなかった。一緒にネガの袋が挟んであり、試合中やこれらの写真もあることがわかる。
「新聞部のネガ…かな…」
花道のノートなのに、なぜ自分の写真ばかりを貼るのだろうか。
流川は眉を寄せながら、このノートのきっかけが彦一であったことや、入院中の苦しい気持ちなど読み進めた。特に、まだ入院して間もない頃、1ページに大きな文字で「体が動かん」や「バスケしたい」と書かれていて、流川はそれを忘れないでおこうと決めた。
1冊目では、自分が言ったことを「キツネ」と書きつつ残していた。途中から、自分の名字になっていた。だんだん試合ビデオの観察力がついていく様子がわかる。半分は日記だった。そして、流川のことを書いている内容がとても多かった。
このノートにこんなにも自分が溢れていたことを知らなかった。
「なんだこりゃ…」
流川は順番にノートを見て、すべてを丁寧に戻した。天井の方を向いて、大きなため息をついた。
それから自分の鞄を取り、もう一つだけ悩んでいたことを実行することにした。花道はいつもより長風呂だった。わざとそうしていた。その間に流川は帰るだろう。間違って鉢合わせしないように、と口にしながら、本当は不在を確かめたくなかったからだった。
それでもいつまでもここにいることもできず、花道はタオルを取った。
洗濯機の上には、先ほど自分が水洗いしたTシャツがあった。自分のはともかく、流川のTシャツは持ち帰ってもらわなければいけない。自分の貸したTシャツは比較的新しいものだけれど、それはもうあげるつもりだった。
けれど、今更追いかけることもできない。自分は流川の家を知らない。明日出発といったのだから、住所を辿って行っても、もう手遅れだろう。
「じゃあ、交換ってコトでいいか…」
そんなことを考えながら自分の部屋へ戻ると、そこにはまだ流川がいた。花道は自分の予想が外れて、思わず立ち止まった。
「る…ルカワ?」
明るい部屋の中だから、声をかけやすかった。
「……ねむい…」
机の上に頬杖をついて、ぼんやりした目をしていた。
時刻はもう11時を過ぎていて、眠くなるのはわからないでもない。けれど、泊まるつもりだったのだろうか。
「あ…の……ふとん…敷く?」
流川は頭を上下に振った。
慌てて花道が動くと、敷かれた布団にすぐに横になった。下はジーンズは履いてなかったので、花道は急いでタオルケットをかけた。
自分の布団も用意して、花道は電気を消した。モゾモゾと動いていた流川から、その後すぐに静かな寝息が響いてきた。
この状況に馴染めずに、花道はしばらくぼんやりと座り込んでいた。
こうして一緒に寝たことはなかった。その寝顔を見ていると、ほんの少し悪戯したい気持ちと、安眠を守りたい男気が同時に出てくる。自分の隣で安心して眠る流川が、不思議だけれど嬉しかった。
花道も疲れているけれど、とても眠ることができなかった。
ビデオを入れ替えて、音をつけないまま試合を観ることにした。観て、記録しようという気になった。
一方、寝たふりをしていた流川は薄目を開けて、テレビ画面の明るさを頼りに花道を見つめた。真剣な顔をして、そしてノートに何やら書いている。ときどき頭をポリポリかいたりもする。先ほど見た寂しい内容ではなく、これまでのように勉強できるくらい復活したらしい様子にホッとした。