テレパシー 後日談
冬の選抜が終わり、花道は一人練習の毎日を過ごしていた。走るのは、二人でランニングした海岸で、途中であのデートの場所がある。そこを通るときは近づかず、でもその場所をチラッと見る。たまに誰かが座っているとイラッとする。そこは、大事な思い出の場所だったから。
大晦日は桜木軍団と過ごし、朝早くに解散した。花道は早朝ランニングという日課をこなしたかったから。今日は日曜日ではないけれど、流川に伝えた練習メニューを裏切りたくなかった。
いつものように例の場所に目線を送る。今日もまた誰かが座っていて、花道はムカッとした。新年スタートの大事な日に、なぜ邪魔をする、と勝手なことを考えていた。
舌打ちしながら、花道はそこを通り過ぎ、しばらく走ったあと折り返してくる。戻っても、そこに相変わらず人が座っていて、花道は走るペースを落とした。
上から下まで真っ黒い服装だった。よく見ると、会いたい人物と同じ座り方に見える。
「いやいや…まさか…」
自分はまた妄想を始めてしまったのだろうか。それでも、この寒空に一人ポツンと座る人は珍しい。
花道は方向を変えて歩き始めた。この背丈の自分に近づかれると、知らない人なら逃げるはずだ。逃げなくても、花道は負けたりしない。文句を言うつもりはなかったけれど、ガンを飛ばそうと思った。
黒い上下のウィンドブレーカーに、黒い毛糸の帽子、色の暗いサングラスをかけていた。なるほど、真っ黒く見えるはずだ、と花道はおかしく思った。よく見ると、耳にはイヤホンがささっている。ランニング途中で休憩してる人なのか、と急に興味を失った。
「あれ…? 待てよ…」
ほんの少しだけ見える口元は、やはり見慣れたものに見える。この綺麗な鼻筋は、あの男のものではないだろうか。
何メートルか離れたところに立つ自分に何も言わないのもおかしい。花道がまるで空気かのように、真正面を向いたままだ。
花道は意を決して近づいた。イヤホンのコードを引き抜き、呼んでみたい名前を声に出した。
「…ルカワ…?」
これほどそばに立っても、相手は無言のまま目線もくれない。
サングラスを取ろうとしたとき、初めて抵抗された。ギュッと手に力を入れて、顔を見せないつもりのようだ。
帽子を取ると、少しだけ静電気が走り、サラサラの髪が宙を舞った。
これは、間違いなく流川だった。本人ではないというのなら、流川の兄か弟くらいしか考えられなかった。
「あ…の…ここで何やってンの…」
花道は流川と思われる人物の前に座った。サングラスの向こうから、相手も自分を見つめ返している気がした。
「と…当分日本に帰らねーーとか言ってなかったか?」
花道の記憶ではそうだった。部活のみんなの前で、そう言っていた。
ようやく目の前の黒い塊が、口を開いた。
「…うるせー…どあほう…」
懐かしい声と言葉に、花道は大きな笑顔になった。
今度は勢い良くサングラスを取って、その顔全体を確かめた。
じっと目線を合わせると、流川がふっと横を向いた。
あのキスの後、顔を合わせるのは、これが初めてだった。何ヶ月も経つのに、こんなにも気まずいと思わなくて、流川は戸惑っていた。
海岸だということも忘れて、花道が飛びついてくる。押し倒されて、慌てて突っ張り棒をしようと思うけれど、間に合わなかった。傍目には喧嘩に見えるだろうか、そんなことを考えながら、流川は花道を至近距離で見つめ返した。
ああ、自分だけではなかった。気まずさや照れが混じった不思議な笑顔の花道を見て、たぶん自分も似たような顔をしているのだろうと思う。
花道が顔を近づけてくる。また外でするのか、と流川はそこに集中しないように努力していた。
押し当てられた唇に、少し力を入れ返す。今日は砂はない、と二人ともが思った。
流川の自転車で、二人はコートに向かった。この早朝ならまだ空いているだろう。流川はボールを持ってきていた。花道と一緒にしようと思ったから。
大晦日の夜に流川は帰国した。年末年始に帰るつもりはないと言ったのに、家族にチケットまで送られてしまい、しぶしぶ戻ったのだ。
それでも、日本へ向かう途中、気分が浮き足立った。アメリカにいる間も、飛行機の中でも、会いたいと思う人物は、一人だけだった。
直接花道宅を訪れて驚かそうか悩んだ。けれど元旦に意外にも早起きしたので、花道のメニューを考えて海岸にいた。いつもの休日とは違うので来ないかもしれない、それならばそのときだ、と流川は座って待っていた。それほど間をおかずに本人が現れた。驚かすよりも、気まずさが勝って、おかしな格好をしていたと自分でも思う。それでも会話のきっかけになった気がした。
ずっと二人で練習していると、他の人が来たり、見学者が来たりで賑わってくる。日本にいないはずの流川に驚いて、噂が回ってしまったらしく、見学者が突然増えたことで、二人はそのコートを出た。
二人でラーメンを食べて、花道の家に向かった。花道は道中手を繋げたらな、と思ったけれど、さすがに人前では気持ちを抑えていた。
部屋に入り、流川は久しぶりでも習慣でビデオを付けた。
「あ、待て!」
花道の慌てた声も間に合わず、画面からは女性の嬌声が鳴り響いた。
高く長い「あーーーん」という声に、二人ともが固まった。
気まずい空気が流れて、花道は慌ててビデオを止めた。
「あ、あの、コレは、オレのじゃなくて…昨日、みんな…来てた…から…」
花道の辿々しい説明も、流川にはうまく伝わらなかった。机の上をよく見ると、酒瓶やお菓子の残骸があった。花道がほんのり酒臭いと思ったのは、気のせいではなかったのか。
別に自分が怒ることではない、と流川は思う。それなのに、なぜかイライラした。
そういうビデオを観ていたことではない。おそらく桜木軍団に対する、おそらく嫉妬だと自分で呆れた。
気にしないフリをして、流川は近くにあったビデオを入れた。この部屋に明るい時間に来たら、バスケットの勉強なのだ。自分のいない湘北バスケ部のビデオは新鮮だった。内容については何度も会話したけれど、流川はそのまま一度も花道の方を見ないまま、じっとビデオを観ていた。