昔話4

   

 その夜、流川は花道の部屋に泊まった。
 昨夜のぎこちなさを少々残しながら、それでもまだ落ち着いて話すことができた。
 花道は、昨日の部室でのことの後ろめたさから、未だに流川と目を合わせることができなかったけれど。それを除けば、自分達は親しいチームメイトのようだった。

 流川は、花道が借りた以外の雑誌やビデオを持ってきていた。花道が選べないと呟いていたから。自分には、貸すギリはないはずなのに、熱心な花道を見捨てられなかったのだろうか。
「いじめに遭ったのに…」
 流川は、俯いて小さく笑った。された行為はともかく、この考え自体はなぜか楽しかった。花道の妙な気遣いは、アレのせいなのだろうか。
「…イジメ?」
 真剣にビデオを観ていたはずの花道が、流川のボソリとした声を捉えたらしい。急に自分の方を向かれて、流川は少し動揺した。
「…何でもねー」
 イジメた張本人が、頭にクエスチョンマークを浮かべているらしい。流川は、また唇の端だけで笑った。
 なぜ、自分は怒っていないのだろう。
 流川は自分に問いかけた。
 男同士で抜き合うことを、流川も知識として知っている。実践したことはなかったけれど。
 だから、そんな感じなのだろう、と結論付けた。素っ裸にされたのは、ユニフォームをどうしても着させたかったからだろうし。
 アレを別にしても、夕べから、互いの家を行き来して、一緒にビデオを見続けている。急に近しい存在になったのは確かだった。

「…ねみー」
 夜も更けて、流川は花道より先に眠たがった。こたつの机に突っ伏しそうな流川を、花道は風呂場まで引っ張った。
「あったまってから」
「……はぁ…」
 花道の言葉がおかしくて、流川はお風呂の中でまた笑った。
 入浴というのは、清潔にするためのものではないのだろうか。花道の真面目な顔に、何も言い返せなかった。実際、全身が温まり、心地よい疲労で一層眠気が増した。
 また敷いてあったふとんに、流川はまっすぐに飛び込んだ。

 流川は、花道がふとんに入ったのも知らなかったが、自分が花道のふとんに入っていったことも知らなかった。これは昨日の夜もそうだったのだ。
「…ってことは、さみーのか…」
 花道は、ドキドキしながら、分析した。
 確かに流川の体は温かいし、自分にとっても心地よいのだけれど。
 未だ、よくわからない罪悪感から逃れられない花道は、ただ必死で眠ろうとしていた。
「……このバカ! ヤメロ!」
 小声で必死で抗おうとする。必死といっても、やはり自分はどこか離れがたいのだろう。流川に巻き付かれるようにされて、どこかいい気になっているのだ。
 けれど、ときどき無意識に押しつけられる下半身が、やっかいだった。
 昨日までの自分なら、きっと「気持ち悪い」と言って、流川を何の躊躇いもなく追い出しただろう。
 それなのに、今の自分は、同じ状態になってしまうのだ。
 流川のソレは、眠っているときの勝手な勃起で、そこに流川の意思はない。けれど、自分は間違いなく意識的なのだ。相手は流川だぞ、と叫んでみても、一度は触れたことのあるソコに、嫌悪感はすでに出てこなかった。
 花道も17歳の若い男だ。昨日は部室でのアレと試合の疲れか、自分もぐっすり眠ったけれど。
 今日は、欲望を押さえ込むことはなかなかうまくいかなかった。

 花道は、流川の腰を引き寄せたまま、のし掛かった。まるで押し倒しているようだ、と冷静に分析する。まるで、ではなく、実際にそうなのだ。
 スウェット越しに、互いの下半身を揺すってみる。何かに擦れる感じはあっても、快感には少し遠かった。
 意を決した花道は、それでもかろうじてどちらも下着は取らなかった。薄い布同士だと、それぞれの形まではっきりわかる。もっとも、昨日は布越しとはいえ手のひらで包んだのだから、今更驚かなかった。
 見上げると、眠ったままだろう流川の呼吸が荒かった。素直に気持ちよさそうな顔を見せられて、花道は鼻血が出そうになった。流川の手が枕を力強く握っているのも見た。
 自分にとってこれは現実だけれど、流川は夢精中と思っているのかもしれない。
 なんとなく悔しい気もするけれど、はっきりと起きられても困るので、花道は流川が目覚める前に終わってしまおうと、腰を早めた。
「…あっ…」
 いつもより高い声で、それがとても色気のあるもので、花道はその声でイッてしまった。それが、ほんの少し先にイッたらしい流川の声だと、花道には信じられなかった。あの男が、こんな艶のある声を出すのかと、また下半身が怪しいことになってしまった。
 荒い呼吸を整えて、落ち着いてくると、後始末というやっかいな問題に直面した。下着の中はお互いにとんでもないことになっている。やはり、夢精として放っておこうか。けれど、他人の家でそうなったと知ったら、さすがの流川も嫌がるだろう。もう、ここには来なくなるかもしれない。
 花道は、流川の目が開いていることに、しばらく気付かなかった。花道がどうしようか悩んでいるのと同じように、流川も戸惑っていた。だから、どちらもどう動けばいいのかわからなかった。
「る…ルカワっ?! お、起きたのか!」
 起きたのかも何も、自分より大きい花道に体重をかけられて、目が覚めないはずはなかった。けれど、はっきり起きたのは、イッてからだった。
「と…とにかく! アレだ…その、フロ!」
 また風呂か、と流川はため息をついた。ほとんど引きずられるようにして、流川はぼんやりと歩く。できれば、自分はイッた後は動きたくないのに。花道はなぜ元気なのだろう。けれど、動く度に下着の中の不快さが増して、やはりすっきりしたいと思った。
 花道という男は、昨日から自分の世話を焼いている。部室でのアレの後からだろうか。それとも、花道の家に来た客人は皆こうなのか。たとえば、桜木軍団にもこうしているのだろうか。
 勢い良くスウェットを下着ごと取られながら、流川は想像してみた。これは、親が小さな子どもにするような世話に近い気もする。自分の場合、花道がしでかしたことの後始末なのだろうか。どう定義しようとしても、しっくりこなかった。
 流川がボーっと考えている間に、下半身にお湯がかけられる。勝手に洗われて、自分はただ壁に手を付いていただけだった。そして、脱ぎ忘れた靴下が濡れて、それを訴える前に花道がそれらを脱がす。なんて気の付く男なのだろうと、流川は驚いた。
 脱衣所に上がっても、花道の手は止まらなかった。タオルでゴシゴシと拭かれ、痛いという間もなかった。そしてまた、花道の下着を履かされた。
「…こ、コレで…ガマンしとけ…」
 今日はちゃんと泊まるための用意をしてきたのに。自前の着替えを、先ほど風呂上がりに履いたばかりだった。花道に借りた下着は家だが、新しいものを返そうと持ってきていたのに。
 流川は、結局一言も話さないまま、またさっきまでと同じようにふとんに入れられた。おのおののふとんに。
 目線だけで花道を見ると、眉をきつくよせて、何やらブツブツ呟いている。けれど、自分に対して何も言わなかった。そして、自分も何も言わなかった。
 男同士での戯れ合いがこんなものなのかと、流川は思い込んだのだ。


 翌朝、流川は目覚ましなしですっきり起きることができた。それでも隣のふとんに花道はおらず、また買い物だろうかと気配を伺った。花道が台所にいるらしい音が聞こえ、流川はゆっくりと起きあがった。
 花道は、毎朝料理しているのだろうか。朝食は大事だとは思うが、自分はそんなことを考えたこともなかった。起きたら、ご飯は出来ているものだったから。
「あ…起きやがったか」
 確か、真夜中にも同じようなセリフを聞いたけれど、その声音は落ち着いていた。
「……ハラ減った…」
「…オレもだ。ちょっと待ってろ」
 待っていろ。そんなような単語を自分に向けることがあっただろうか。しかも、花道は穏やかに言った。そのすぐあとに、顔を洗えと言われたけれど。
 花道はマメな男なのかもしれない。自分が知らなかっただけで。

「メシ食ったらさ…コート行くだろ?」
 流川は口にたくさん入っていたため、首を振って同意した。
「…うまいか?」
 すぐに問いかけられて、流川はまた頷いた。
「…おふくろさんのお弁当、うまかったな…」
「……そうか…」
 花道は、昨日お弁当を洗っていた。自分は弁当箱を洗ったことすらない。
 流川が母親に説明したのは、花道が一人暮らしで、料理も洗濯も自分でしているということだった。そして、花道の家に行くと言った息子に、夕食を弁当箱に詰めて持たせたのだ。流川にはそんな発想もなかった。
 食べ終わった流川のお皿を取り上げて、花道は水を出した。
「……オレが洗う…」
 流川がそう申し出たとき、花道の瞳は大きく見開いた。そんなにも驚くようなことだっただろうかと、流川はムッとした。
「あ…いや……じゃー水つけとくから、また後で」
 水につけることは母親もよく言っていた。けれど、その具体的な意味については、流川はわかっていなかった。

  



 

2008.8.4 キリコ
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