昔話5

   

 押し迫った年の瀬も、流川と花道には関係なかった。湘北高校でもうバスケットはできないのだ。そして、自分達には受験も関係ない。周囲に焦るムードを感じながら、2人ともバスケットに集中していた。そして今は、身近にそんな雰囲気もなく、ただ毎日コートに出ていた。
 流川は、毎日交互に寝るところを変えていた。花道は誘いもしなければ、特別歓迎しているつもりもない。けれど、どうやら勝手にサイクルを決めているらしく、一泊おきにやってきていた。

 さすがに大晦日の晩は自宅だろうと、花道は想像した。昨日は流川の家だったから、順番で考えると今日は花道宅だ。けれど、年越しに家族でいないのもおかしい気がした。これは花道のひそかな期待の裏返しで、そう分析することで諦めようとしているのが自分でわかった。流川のパターンといっても、ほんのここ数日の話なのだ。一週間前までの自分達からは想像つかない間柄になった気がした。
 選抜の最後の試合から、まだ一週間経っていないのに。
 もう遠い過去のような気がして、花道は空を見上げた。
 これからしばらくは、体育館でバスケットができないだろう。流川がそう言ったのだ。だから、外用の靴を作れとアドバイスされた。その場で花道は素直に肯けなかったけれど、確かに中と外とでは、違うのだ。バッシュから響くキュッという音が、すでに懐かしかった。
 いろんな寂しさを吹っ切るように、花道は流川にできるだけ素っ気なく言った。
「…今日は家へ帰れよ」
 花道がそんなことを言うとは思わなかったのか、流川は少し驚いた顔をしていた。実際には、家族と同じことをいう花道を意外に思ったのだが。
「…大晦日だからな」
 言い訳のように付け足された花道の言葉を、流川はまた不思議な思いで聞いていた。自分にとって、大晦日は大晦日なのだけれど、世間的には違うらしい。一年の大事な節目であり、何より卒業と同時にアメリカに行く息子と過ごしたいという家族の思いは、流川にもわかる気がした。
 けれど、花道はどうなのだろうか。
 自分と花道も、卒業したらきっと会えなくなる。
 ふと、流川は自分の考えに待ったをかけた。
 だったら何だというのだろうか。
 流川は一度首を傾げ、きっと桜木軍団が来るのだろうと結論付け、黙ったままコートを後にした。自分のバッグの中の着替えが、少し虚しいものになってしまった。

 日が暮れて、流川は自宅に戻った。家にいても、流川は部屋に籠もっていることが多かった。家族の中にいてもあまり話さなかった。一般的なテレビ番組も見ないため、居間にいても会話は弾まない。仲が悪いということはなかったが、食事時以外、階下にはあまり降りなかった。
 夕食の後、いつものように部屋に戻る。たまには家でも皿洗いをした方がいいのだろうかと考えたが、それを話すタイミングが掴めなかった。きっと母親の方でも期待していないだろうと、流川はあっさり諦めた。
「あ、楓? 年越しまで起きてる?」
「………ムリ…」
 階段の下から話しかけられ、流川は素直に答えた。そう言うと思った、と母は笑い、それまでに年越しそばを準備すると言った。返事がわかっているのなら、なぜ問うてくるのだろう。流川は少し唇を突き出して、自分の部屋に戻った。

 呼ばれて降りて行き、早めの年越しそばを食べる。家族全員自分に合わせたのだろう。新しい年まで、まだ1時間と少しあった。
「アメリカにおそばってあるのかしら」
「……さー…」
 行ったこともないのだから、わかるはずもない。流川は素っ気ない返事しかしなかった。それでも、自分以外の家族で会話は進むのだ。ずっとそうなのだから、今更しゃべるキャラクターにはなれなかった。
 ふと、流川は花道を思い出した。
 もうすぐ新年というこの時間、あの男は何をしているのだろうか。
 自分は、もうすぐ眠ってしまうだろう。毎年そうだから、年越しのカウントダウンも知らない。そんなことを教えても、関係ないと言われるだろう。それでも、流川は立ち上がった。
「…どうしたの?」
「……寝る」
「あらそう」
「……桜木ン家で寝る」
 家族全員が驚いた顔を自分に向けた。黙って出ていくのは良くないと思ったから、予定を話しただけなのに。
 どうせ、部屋に戻っても眠るだけなのだ。ならば、どこで寝ても一緒じゃないか、というのが流川の結論だった。もう家族と年越しイベントをしたのだから。
 けれど、家族は当然反対した。
 流川は、一度こうと決めたら、頑固だった。家族としても折れる以外になかった。特に母親は、花道の一人暮らしを聞いていたので、少し同情が入っていたのかもしれない。大急ぎで出ていこうとする流川に、少しおせちを詰めて持たせた。
 真冬のこんな深夜にわざわざ外出する息子に、家族は心底驚いた。

 

 流川は自転車を飛ばした。またバスケットに行けるようにと、2人乗りできるママチャリで。そんなことを考える自分に、自分で驚いた。
 こんなにも衝動的に行動する自分にも、本当に呆れていた。
 花道の部屋は電気が付いていた。
 流川は荒い呼吸を整えてから、ゆっくりと階段を上った。もしかしたら、桜木軍団が来ているかもしれない。ドアの前で一呼吸置いて、流川はノックしようとした。
 けれど、ノックの前に、ドアは勢い良く開いた。
「…ルカワ? ホンモノか?」
「………は?」
 花道が目を見開いている。自分も今きっと同じような顔をしているだろう。なぜ、自分が来たのがわかったのだろうか。
 とにかく寒いと伝え、流川は招き入れられた。部屋の中には人の気配はない。聞こえてくるテレビの音は、NBAの試合のものだった。
「…テレビ、観ねーの?」
「あん? オメーはもしかして歌番組とか観るのか?」
 自分のことではなく、花道のことを聞いたのに。それでも、返事がわかっていて問うたのは自分だった。これでは、母親と同じだと笑った。
 温かいこたつに入ると、流川は眠気に襲われた。もう目標は達成されたので、寝ればよいのではないかと思う。花道にふとんを頼むのもおかしい気がして、流川はこたつ机に突っ伏した。
「…オメーは…いきなり寝るなよ」
 花道はおかしそうに笑っている。なぜ来たのかとか、家族のこととか聞かれるかと思っていた。けれど、花道はただ嬉しそうに見えた。ならば、それでいいと思う。
「ルカワ…フロは?」
「……入った」
 またお風呂の話だ。流川はまた口元だけで笑った。泊まる度に似たような会話をする。そういえば、自分はもしかしたら、花道と一番多く話してきたかもしれない。花道がちょっかいをかけてくるから、自分は対応していただけだけど。
 こたつの中で、花道が貧乏揺すりをしているのが響いた。何か落ち着かないのかイライラしているのか。
 流川は片目だけで花道をじっと見つめた。
 花道もこちらを見ていたらしい。
 言いたいことを我慢して、それでいてソワソワしている花道が鬱陶しくて、流川はこたつの中に手を入れた。あぐら状態で揺する足を力強く抑え込んだ。
 足が止まるのと同時に、花道の表情も少し崩れる。一度目を見開いて、その後眉を寄せだした。まるで、泣き出すようにも見えた。
 こたつの中で、流川の手のひらが花道の手に包まれた。十分温まったと思っていた自分の手よりも、花道の手はもっと熱かった。
 何を言いたくて、何がしたいのだろう。
 聞かなくてもわかる気がした。
 急に、握られた手を引っ張られ、こたつの上では反対の腕で引き寄せられる。うまく動けなくて、流川はこたつの脚に膝をぶつけた。痛いと文句を言う暇もなく、流川は全身花道に包まれた。

 これから始まることを、流川は知っている。けれど、電気が付いたままの部屋で、バスケットの音が聞こえるのは初めてで、少し落ち着かなかった。それでも、流川はただ目を閉じて、花道の流れに身を任せた。

 

 

2008.8.4 キリコ
  
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