昔話10
1月は3年生も授業があったため、流川の外泊は土曜の夜だけになった。けれど、ウィークデーの間でも、ごくたまに流川は練習の後、花道の家に寄ることもあった。そのときは、改まってふとんを敷くことが花道には出来なかったので、2人でお風呂に入った。それでも、することは変わらないので、冬休み中と同じようなペースだった。ただ、授業中は顔を合わせることがなかったので、放課後のコートでの練習が待ち遠しく感じた。
「…いや…バスケが、だぞ」
花道は、心の中で自分に説明を加えながら、ぼんやりと授業を受けていた。何しろ、とりあえず卒業さえ出来れば良い身分なのだ。まともに内容を聞くはずもなかった。早く全部終わらないかな、と花道はため息をついた。
平日の流川は、お風呂上がりにかなりぼんやりしたまま花道の夕食を食べ、そして半分眠っている様子で帰宅している。その姿は哀れでもあり、事故を起こしそうにも思えた。ではやはり、泊まるときだけにすれば、とも考えるが、体の方は自分の命令を全く聞いてくれないのだ。
「…しょーがねーじゃんよ…」
唇を尖らせて、花道は開き直った。
そんな花道の独り言にも、クラスメイトは驚かなかった。すでに慣れっこであり、そして受験を控えた生徒には関係ないことだったから。
花道は、自分の考え事を知らず知らずのうちに口に出していることを、未だに認識していなかった。流川は、一日の最後の授業が終わると、急に目が覚める気がした。寝ていなくても、かなりぼんやりした毎日を送っている。英語の授業以外は、興味がなかった。引退しても、自分は外でバスケットをしている。だから、これまでと大差ない生活を送っている。そこに花道がいることも、今までと同じだった。
もっとも、こういう生活も、高校卒業と同時に終わるとわかっていたけれど。
学生生活が終われば、憧れた国でバスケットに埋もれると期待している。だから、もう少しの辛抱だと言い聞かせ、流川は学校を休まなかった。毎日コートに出て、日が暮れるまでボールを追った。体育館のように電気を付けて遅くまで出来ないことが辛かった。
練習の後、流川は黙ったまま花道のそばを歩くか、黙ったまま背を向ける。特に誘いも誘われもしないけれど、ほぼ規則正しく行動を決めているらしい。花道は、流川が来る日を予測出来る。そして、その日はお金を持ってきて、帰りにスーパーに寄るのだ。明らかに買い物に不慣れな流川がおかしくて、花道は毎回わざと行くのだ。本当なら、まとめ買いも出来たのに。
帰宅後、花道が手早く夕食を作る間、流川はじっと横で見ていた。手伝わせると余計に時間がかかることがわかっているので、花道は滅多にそう言わなかった。ただ土曜日の夜だけは、一緒に作ることもあった。流川が試したがるからだ、と花道は笑った。
台所で役に立たないとレッテルと貼られた流川は、それだけは素直に認めた。自分には出来ないことを花道はずっとしているのだ。負けるものか、とこんなところでも思ったけれど、どこから学習すればよいのかもわからなかった。
「…ヒツヨーに迫られればできるよーになる…ってさ」
花道の少し優越感の入ったアドバイスに、流川はムッとした。
こんなコトをする関係になってから、流川には、花道に言えない変化があった。
別々にお風呂に入ったときは、流川はこれまで通り過ぎるようにしか洗わなかったところを、入念にするようになったのだ。
期待しているのだろうか。花道の指を。
そう考えて、急に頬が熱くなった。
けれど、実際そうなのだろうと心の端で認めた。
自分の指を使ったことはないけれど、これまで知らなかった刺激に、自分は抗うことが出来ないのだ。それが花道の指だろうと、気持ちいいものは仕方がない。
そういえば、花道は花道で何がどう気に入っているのか、必ずソコを攻めてくる。深く考えないようにする場所だが、やはりとんでもないトコロなのに。
汗をかいた体を舐められるのを想像して、流川は少し鳥肌が立ってしまった。その夜も、流川は丁寧に自分の体を洗った。
まるで準備してきました、と言わんばかりの自分に気付いたとき、流川は少なからずショックを受けた。いったい何をしているのだろうか、と我に返る気持ちだった。けれど、並べられたふとんに素直に入り、お風呂から上がってくる花道を待ってしまうのだ。
「……ヘン…」
そう口に出しながら、流川は花道の匂いのする枕に鼻を埋めた。
だいたい決まった手順で行われる花道の行為に、流川は疑問も文句も付けないことにしていた。自分の体を安売りしているつもりはないが、望まれることが意外にも心地よい。そして、いつもの乱暴さからは想像もつかないくらい、繊細な動きをしているから。もたらされるのは、快感だけなのだ。だから、流川はいつも目を閉じて、黙ったまま花道に身を預けていた。
一つだけ不思議なのは、花道のキスだった。行為の最初ではなく、必ず最後だったから。
お互いが満足するまで放ったあと、花道はテキパキと後片づけを始める。たぶんそうしているのだろうと流川は思っている。自分は全く手伝いもしないし、汚れた体は拭かれ、脱がされた服も元に戻されるのだ。そうして、さあ寝ようというときになって、花道は流川に触れるだけのキスをする。まるで、それが最後の儀式のようだった。いつも脱力してしまう自分は、そのキスにも受け応えできないのだけれど。静かに唇が離れたあと、花道は流川の肩を抱きながらふとんに入る。その眠り方は、流川は嫌いではなかった。
そんな毎日を繰り返していると、あっという間に2月になった。1月は最初が冬休みなので、授業も瞬く間に終わってしまった気がした。2月の2週目からは、3年生はほとんど登校しなくなる。
「うおおお! バスケザンマイ!」
最後の授業が終わったとき、HRも待たずに花道は叫びだした。受験生のクラスメイトに冷たい視線を向けられても、花道は意に介しなかった。3月1日の卒業式まで、登校日数はわずかだった。
約束はないけれど、冬休みと同じような状況なら、流川はまた泊まりに来るのではないか。花道は、バスケと流川ばかりだった日々を思い出した。朝から晩までバスケットで、夜は試合のビデオを観ながら勉強。そこに、流川はいるはずだから。
早くも春休み気分で、花道は廊下を走った。そして、花道の予想通りの毎日がスタートした。
朝コートに行くと、流川がいた。不思議なことに、自分の家に泊まったときはあれほど起きない男が、自宅ではそうではないのか、花道より先にコートにいるのだ。これはどういうことだろう。疑問に思いながらも、花道は問いつめたりはしなかった。寝起きの悪い流川は、腹が立つけれど面白いと思うから。
昼には、それぞれ持参した弁当を食べる。食べた後は、休憩を挟みながらも、日が暮れるまで練習だった。
いい加減ボールが見えなくなると、流川は舌打ちをする。それを合図に、練習を切り上げていた。
花道は、帰り支度をする流川を見て、来るか来ないかを一応考える。流川の予定に、今のところ変化球はなかった。今では曜日は関係なく、とにかく2日に1回なのだ。
「…リチギというか…」
妙なところで拘りがある男だなと思う。
けれど、流川はもうすぐアメリカに行くのだ。それならば、家族と過ごせるのも短いはずだ。きっと家にいろと言われているのだろうと想像する。
では家族以外で、日本にいるうちに過ごす相手とは。
突然そんなことを考え出した花道は、食事に集中出来なくなった。
今のところ、流川はほとんどの時間を自分と共にいる。
一緒にいたいとか、そういう思いがあるとは思えなかったけれど、一緒に練習をするくらいの相手にはなれたのだろうか。少しは、追いついているのだろうか。
この充実した毎日は、もうすぐ終わりなのだ。
そう考え始めて、花道は急に食欲を失った。
「……アメリカ…」
ずっとわかっていたことだけれど、もうすぐ行くと気が付くと、これまでの理解とは違ったものに感じられた。
流川が、いなくなる。
そして、自分は大学でバスケットをするのだ。流川のいないところで。
花道は、自分の胃が冷えていくのを感じた。