今話3

   

 花道は、寝苦しい暑さを感じて目が覚めた。ぐっすり眠ったように思うのに、頭はすっきりしていない。寝返りを打とうとして、すぐに温かいものにぶつかった。それが流川だと、すぐにはわからなかった。
「…あれ…?」
 まず、なぜここに流川がいるのだろうと疑問に思った。瞬時に自分がアメリカに来たことを思い出したが、それでもなぜ自分がベッドで寝ていたのかわからなかった。確か、床にいたはずなのに。
 どう考えても、隣で背を向けるこの男が引き上げたとしか思えなかった。そんなことをされても起きないくらい、自分は爆睡していたのだろう。
 流川の帰りを、起きて待っているつもりだったのに。
 そういえば今は何時なのか。花道は首を回して時計を探した。
「…3時…」
 自分の体はまだ日本時間なのだろう。夕べは無理矢理にでも起きているべきだったのだろうか。
 流川と話がしたいのに、起きる時間もわからない。困ったことに、眠気が飛んでしまった。
 花道は、できるだけ音を立てないで、ベッドを抜け出した。

 暗い部屋でぼんやり座っていると、ここがどこだかわからなくなる。ただ、こんな真夜中に聞こえてくる音が、日本のものとは違う。日本なら、そろそろ朝刊配達のバイクの音が聞こえる頃だろう。夕べといい、サイレンと思われる音が何度も聞こえるのだ。
 この街で、流川はこれまでどう過ごしていたのだろうか。
 英語を話せるのだろうか。何のアルバイトをしているのだろうか。友人はいるのだろうか。日本が恋しくないのだろうか。いろいろ聞きたいことが浮かんでくる。けれど、バスケット三昧なのだろうことは疑わなかった。
 起きるまで、待つしかない。今度こそ、起きていられるだろうから。
 花道は、後頭部をガシガシとかいて、しばらくバスルームにこもることにした。
 電気をつけて見た顔は少し浮腫んでいて、うっすらヒゲが伸びて、だらしなく見えた。昨日もこんな顔をしていたのだったら、なんて情けないと気恥ずかしく思う。もっとも、お互いのそういう顔は初めて見るものではないけれど。
 体力バカの自分でも、時差というものがつらかった。たっぷり何時間も眠ったのに、妙に体がだるい。それとも、緊張感からなのか、安堵感からなのか。
 いずれにしても、この慣れない環境では、独りでいるより流川のそばにいた方が安心するのは確かだった。花道はバスルームの電気を消して、暗い部屋に戻った。


 動線がよくわからないけれど、それほど広い部屋でもない。花道は暗さに慣れないまま、ソロソロと歩いた。ほどなくベッドに行き着いた。夕べそうしたように、ベッドに頭を凭せかけるように床に座った。静かに座っていると、流川の規則正しい寝息が聞こえた。
「…ルカワ?」
 振り返りながら、囁くように呼びかける。もちろんそんなことでは目覚めなかった。けれど、起こしたいわけではないので、かえってホッとする。
 花道はベッドに両腕を乗せ、そこに顎を置いて、流川を観察することにした。
 少し上を向いた流川は、きっと無意識のうちにベッドが広くなったことを感じたに違いない。おそらくセミダブルだろう。大柄な自分達には、かなり狭いものだった。花道の部屋で寝起きしていた頃、ふとんはシングルサイズでそれを2つ並べていた。ふとんなら、狭かろうと、畳という逃げ場があったけれど。
「よく落ちなかったな…オレ…」
 そんなことに感心した。流川がかなり壁際に寄ってくれたのだろうと想像する。
 花道にとって、流川の寝顔は珍しいものではない。もう何度も見たし、それ自体に感慨はなく、むしろ起こす苦労の方が記憶にある。そう思っていたのに、今はその顔が懐かしくて、嬉しいと思う。久しぶりだからかな、と自分に言い聞かせてみた。
「…ルカワ…?」
 花道は、身を乗り出して、流川に近づいた。暗い中とはいえ、白いTシャツも肌色の顔もわかる。目指すところも、間違えなかった。
 ゆっくりと上体を倒し、花道は流川に触れるだけのキスをした。

 自分自身がハッとして、花道は慌てて流川から体を離した。相手が起きなかったことに心底ホッとして、花道は何度もため息をついた。
 こんなことをしにアメリカに来たのではない。
 何度もそう自分に言い聞かせるけれど、自分でもその衝動は抑えられなかった。かつて、触れることを許されたことのある体が、目の前で無防備に眠っているのだ。これで我慢できる男はいないに違いない、と花道は心の中で演説した。
 花道が、初めて流川にキスしたのは、今年の1月1日だった。まだ、半年と少し前。それが、花道にとってのファーストキスだった。相手が、まさか男で、よもや流川だとは、思いも寄らなかった。そして、自分でももっと恐ろしいと思うことに、そのキスよりも前に、すでに流川自身にも触れていた。
 流川が悪いのだ。
 花道は、何度もそう毒づいた。そしてすぐに、相手に責任にしてしまう自分を、自己嫌悪するのだ。
 流川といると、自分が可愛く大事に思えるときと、心の底まで自分を否定する自分を、両方確認させられてしまう。なぜ、こんな面倒なことをしているのだろう。これまでも、何度も同じことを考えた。
 花道は、ブンと音がしそうなほど勢い良く頭を振った。
 自分でもよくわからないけれど、とにかく、花道は流川とバスケットがしたいのだ。
 大学には、流川はいなかった。
「オメーが…こんなトコにいやがるから…」
 自分も、ここに来るしかなかった。

 花道は、また床に座り、ベッド上の流川をじっと見つめていた。
 これまでも、何回も思い返したけれど、まるで他人事のように思える自分達のやりとりを思い出す。そして、それは、昨夜、流川が眠れないためにしていたことだった。
 過去と呼ぶにはずいぶん最近の話だけれど、花道は遠い昔のように感じた。
 2人のきっかけは、間違いなく花道だった。自分が、文字通り、手を出した。
 けれど、それは流川のせいだ。
 花道はまたこの考えに至り、唇を尖らせた。

 

 

 

次からは過去話です。
2008.8.4 キリコ

  
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