今話4

   

 流川はあの頃、何を考えていたのだろう。
 それがはっきりするまで、もう手は出さないと決めていたのに。
 流されそうになる自分を必死で押さえ、花道はまた頭を左右に振った。


 そのとき、ベッドが軋む音がして、花道はハッと顔を上げた。ゆっくりと瞬きを繰り返す流川に、花道は「生きていた」と思ってしまった。
「…ルカワ?」
 流川はこれまで起きてすぐにちゃんと反応したことはなかった。けれど、今日はビクリと体を揺らし、すぐに目を見開いた。自分の視線を捉えたあと、また枕に頭を沈めた。
「……桜木…今ナン時だ…」
「えっと…6時…」
 チッと流川は舌打ちした。そして、まだ眠れると、また壁の方を向いてしまう。
「あの…ルカワ? その、オレぁ、オメーに話が…」
「………あとにしろ」
「…あとっていつだよ」
 今日も昨日のようだったら、また夜遅くまで待ちぼうけだ。
 流川は無視しようとした。けれど、すぐ後ろに花道がいることに落ち着かず、結局眠るのを諦めてしまった。夕べもなかなか寝付けなかったのに、と心の中でため息をついた。
 ゆっくりと体を起こし、ため息のふりをした深呼吸をついた。
 枕元からテレビのリモコンを取り、何でもいいから静かな部屋を賑やかしたかった。
「…今日も…晴れ…」
「……そうなのか?」
 久しぶりの再会の会話がこんなものなのだろうか。花道にはよくわからないけれど、何から話せばいいのか悩むのは、花道も同じだった。
「その……今日も出かけるのか?」
 流川は俯いたまま頷いた。
「…昼は? 夜はまたバイトか?」
 花道の問いに、流川は繰り返し頷いた。まるで、内容は聞いていないかのようだった。
「あ、あのよ…オレ、ホテル取ってねぇの」
 流川はそれでもまだ首を縦に振っていた。
「その…ここに…泊めてくんねぇかな…」
 少し遠慮がちにお願いした。実際、この部屋はどうみても1人用だったから。
 流川は突然顔を上げて、でも視線は花道の足下にやった。
「…テメー…大学は夏休みか?」
「……お……おぅ…」
 花道のひきつった顔を、流川は見ていなかった。ぎこちない返答も、おかしいと気付かなかった。
「……ダメか?」
 流川はわざとらしいため息をついて、また頷いた。
「…いーけど……オレはいそがしいからな」
 自分の面倒は自分で見ろということなのだろうと花道は何度も「うんうん」と返事をした。花道も、そのつもりだったから。
 花道は、流川が出かける前に絶対に聞いておかなければならないことを、忘れずに確認した。
「あの……カギ…ないか?」
「…カギ? スペアキーのことか?」
 流川はようやくベッドから降りた。
 あっさりとカギを投げてよこした流川に、花道は少し嬉しくなった。自分が流川に信用されている気がしたのだ。スペアキーと流川は言ったが、できれば合い鍵と花道は思いたかった。
「…メシ…食う?」
「あ……うん……でも、あんまり残ってねーから、オレはいい…」
 冷蔵庫の前で、流川は花道の方に振り返った。
「す、すまねぇ……夕べ、腹が減ってどうしようもなくて…」
「……ああ…」
 花道が申し訳なさそうに謝るのを、流川はかえって気まずく感じた。
 昨日、花道をこの部屋に放っていったのは、自分なのだから。ここは、「気にするな」とか言うべきところなのだろうと思うのに、流川はそうすることができなかった。それでも、残っている食材をきっちり二等分した。
 流川には、未だに、花道がここにいることが信じられなかった。

 結局、流川の今日の予定を聞いただけだった。
 お昼には一度戻ってきて、スーパーに行くと約束した。本当なら帰りに寄ってくると言った。花道を迎えにわざわざ戻ってくるという意味だろう。昨夜とずいぶん気持ちが違う。3時間くらいあっという間に過ぎる気がした。
 実際、流川の部屋には高校時代よりも数多くバスケットのビデオがあった。本場の試合は、こちらではよくオンエアされるらしく、そのたびに録画しているらしい。ただ、流川には観る時間があまりないらしい。
「バイトも仕方ねーんだろうけど…」
 勉強時間が減っているのではないだろうか。
 花道は、自分の不安定な状況を差し置いて、流川の心配をした。
「そう! これは、キツネのシンパイ!」
 部屋の中で大きな声を上げてみる。後ろめたいわけでもないはずなのに。

 昨日はあれほど緊張の高まった街だったが、5階のベランダから見た街に急に親近感が湧いた。何しろ、あの流川が住んでいる街なのだ。今日、流川が出かけたあとは、外へ出てみようと決めた。
 流川の部屋の台所には、炊飯器があった。ご飯が好きな流川のことだから納得したが、こちらでもその器械があることに驚いた。流しの下にはしょうゆやみりんもある。冷蔵庫には味噌があったのも覚えている。
「…料理してンのか……ルカワが?」
 半年前の本人を思い浮かべて、花道は首を傾げた。
 確か、食べたお皿を流しに片づけることしか出来なかったはずなのに。
 お茶を入れる自分を不思議そうに見ていたのに。
 流川も成長するんだな、と花道は心の底から感心した。


 約束通り、流川は花道を連れ出してくれた。
 物珍しそうにキョロキョロする花道を一度睨んだだけで、無言のまま流川は道案内をする。
「…ここが一番近いスーパー……安い」
「おお…近くて安い…でっけーなぁ…」
 日本のスーパーよりも広く感じる。天井が高いからだろうか。
「…そうやって上ばっか見てると、スラれるぞ」
「そ、そうなのか?」
 以前、花道がスーパーで買い物をしてきたと言ったとき、流川は驚いた顔をしていた。何度か付いてきたときは、常に物珍しそうだったくせに。今では、場所の配置もわかっているのか、買い物の仕方がスムーズだった。肉コーナーで真剣に悩む姿に、花道は唖然とした。
「その…ルカワ君…ニクばっかりじゃねぇ?」
「…昼だけだから」
「……は?」
「…夜はまかない」
 当たり前じゃないかという顔をされて、花道は唇を突き出した。そもそも、流川の生活について何も知らされていないのだ。どこへ出かけているのか、何のバイトをしているのか、何も話してくれていないのに。
「…な、なんのバイトだよ…」
 花道にそう聞かれて、流川は思い出したかのように答えた。
「…寿司屋。だから、魚は食える」
「………あっそ…」
 素っ気なく対応したけれど、これでようやく流川の謎の一つが解けた。
「行くぞ、どあほう」
「…な…エラそうに…」
 自分の前をスタスタ行く流川にムッとしながらも、懐かしい呼び名に花道は少し気分が良くなった。

 

 

 

2008.10.11 キリコ
  
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