今話8
花道は、流川と一緒にいられるならば、何でもするつもりでいた。
どれくらい伝わったのかはわからないけれど、花道はかなりの覚悟でここにいる。自分では、そう意気込んでいるつもりだった。
大学に馴染めなかったのは、自分のせいだろうとも思う。そんな風に素直に思える自分は、成長したなと自分でも驚いたものだ。
きっと多くの誰かに迷惑をかけて、これからもまだ影響があるのかもしれない。
心の中で謝りながらも、花道はアメリカに来たことを後悔していない。
流川のそばにいるためならば、何でもする覚悟で、流川に向けた土下座も本当に心を込めたつもりだった。
「家賃は半分払う。家事もする。生活のジャマはしねぇ」
花道は何度もそれを繰り返した。
説明という名の言い訳を聞いてみると、花道は最初から流川宅をアテにしていたわけではないとわかった。
「こっちの家賃は高い。オレあちこち探した…いろいろ聞いたけど…」
いつの間に、しかも誰に聞いたのかまではわからないけれど、流川が出かけている間、花道はどこにも観光もせず、そんなことをしていたらしい。
「ホントは……ルームシェアとかの方が安いらしいけど…」
続きの言葉は、ゴニョゴニョという呟きにしか聞こえなかった。
「…このアパート、部屋の空きはあるけど…いい値段だった…」
このアパートは日本人留学生向けに建てられている。ヨーロッパやアジアからの留学生も住んでいるけれど。
「オメーみたいに……ちゃんと自立できたら…と思ったけど、オレ一人じゃ…」
花道にそう言われて、流川はベッドから立ち上がった。
「…オメー……バスケして、バイトして…ボランティアして……すげーと思った」
そんな言葉が、花道から自分に向けられるとは思いもしなかった。
自分では、何も偉くないと思う。すごくもないのだ。
もっと安いアパートにすればいいのに。日本人が近くにいない環境に身を置いた方が、英語の上達にもなるし、緊張感が違っただろう。けれど、恐怖という緊張感が出来るだけ少ない地域を選ぶと、どうしても家賃が高くなってしまう。
また、ルームシェアも考えないではなかったが、他人と暮らすことに抵抗があった。自分のペースを保てるだろうか、うまく仲良くできるのか、自信がない。関係ないと思っても、同じ空間を共有するのが面倒だった。
だから、一人暮らしをしているだけなのに。これは、単なるわがままなのだ。
「……別に……すごくねー」
キッチンで、流川はお茶を入れていた。
花道が自分を持ち上げようとしているのか本心なのかはわからないけれど、何度も「すごい」を連発されて、流川はいたたまれなくなった。その小さな呟きは、花道にも聞こえた。
2人で床に座って、流川の入れたお茶を飲んだ。暑い夏なのにどうして熱いお茶なのだろう、と花道は不思議に思った。
「…桜木…」
「な……なんだ…?」
「家賃折半っつったけど、カネはあるのか」
「……あ…ああ……しばらくは…たぶん…」
半額の家賃と、食費を考えて、果たして何ヶ月保つだろうか。ちゃんと計算はしていないけれど。
流川は深呼吸してから、花道に告げた。
「……全部、等分で、3ヶ月だ」
「…………は?」
「…家賃も、家事も…全部…」
「あ……あの…3ヶ月って?」
「……テメーのビザが切れるだろ」
花道はそういう区切りなのかとすぐに納得した。
観光ビザで入国していて、その間は自由だ。アルバイトも出来ない身分だけれど。
「その間になんとかしねぇと……強制送還だ」
そのルールは、法律ではなく流川のものだけれど。
とにかく、3ヶ月の間に、花道は自分の進退を決めなければならないのだ。花道には、もちろん日本に帰る選択肢はないので、アメリカで生きていくための方法を探さなければならない。
「わ、わかった…」
今日からここに住むから、と花道はホッとした笑顔になった。
「よろしくな…」
差し出された花道の手を、流川はパシッと叩いた。
この男は、どうしてこんな平気な顔をしているのだろうか。
半年前のことなど、綺麗さっぱり忘れたような顔をして。
次の日から、花道は花道なりの忙しい毎日を始めた。
まず、寝るところだった。そして、日本に預けてきた自分の荷物だ。
日曜の話し合いの次の日には、花道は自分の寝床を確保していた。
「…このソファ、置いてもいいか?」
真っ黒い大きなソファだけれど、実はソファベッドで、いつも床に寝ていた花道のふとんのつもりだった。
「その…昼間はベランダ近くにソファにしとくから…」
通行の邪魔にならないように、という配慮なのかもしれない。
流川は、昨日の今日のことなので、ただ驚いただった。実際、床で寝る花道を多少なりとも心配していたのだ。ベッドを買うのかと思ったら、どこからか貰ってきたらしい。
元一人暮らしでやりくりしていただけあって、花道はたくましい。
流川は心の中で尊敬した。
そして、アルバイトの時間になると、花道はまた流川の送り迎えをし始めた。
「…別に…来なくていー」
「ま、まあ……いいじゃねぇか…」
花道には、流川と話す時間がほしかった。
ちゃんと話して、疑問をぶつけると、流川は正直に答えてくれる。たとえそれが必要最小限の言葉であっても。
もっと、話し合いたいのだ。いろいろなことを。
実際には、無言のまま歩く時間も多かったけれど。
「…じゃー…」
流川がそう言ってお店に入るのを、花道は片手を上げて見送った。
不思議だけれど、これが日常になるのだ。
できれば、3ヶ月以上続けたい。
そのために、花道はアメリカに来てから、ずっと動き続けていた。日本から荷物が届いて、花道のワードローブは少し増えた。幸い、まだしばらく夏なので、その季節のものだけ送ってもらった。
「……誰から?」
「ん? 洋平に全部預かってもらってンの」
「……水戸?」
「あの部屋に、今住んでるから…」
流川が立ち止まって、目線で尋ねた。
「オレの部屋……引き払うつもりだったけど、洋平が住むっていうから…」
ならば、あの部屋はまだあるのか。
流川は想像したこともなかった。花道が寮に入るのは知っていたのに、その後のアパートがどうなったか、気にもしていなかった。
いろいろと思い出のある部屋だ。いつか日本に帰ったら、訪れることも出来るのだろうか。
「……チガウ…」
すぐに流川は打ち消して、首を横に振った。
もうあの部屋に行く理由はないはずだ。
「洋平がいてくれてヨカッタ。やっぱ長く住んでたし……いろいろあったし……」
花道の呟きに、流川も自分の思考を止めた。
その「いろいろ」の中に、自分も含まれているのだろうか。
もう、立派な過去のことなのだろう。
花道がそう考えているのならば、自分もそうしようと思う。
それなのに、少し胸が切なくなった。
こうして、迎えに来られると、心のどこかで何かを期待してしまうから、止めてほしいのに。
流川には、それを伝えることが出来なかった。
こうして一緒に暮らしてみると、花道は本当に流川の邪魔にならないようにしていることがわかった。同居を始めた頃は自分の方ががぎこちなく接していたけれど、自分の生活はこれまで通りだった。昼間部屋に戻ったとき、花道がいないことも多いけれど、昼食は準備されている。バイトの送り迎えだけは相変わらずだった。
流川は、花道が弁当を持参して出かけているのも知らなかった。たまに、流川が寝ている間に出かけていることもある。そのときの物音がきっと小さいから、流川は気付かないのだと思う。おまけに、朝食の準備までしてあるのだ。
「……オレだけラク…?」
そんな気がしてしまう。
けれど、花道は毎日楽しそうにしているし、どこで何をしていたかは詳しく言わない。もしかしたら、聞くまで答えないのかもしれない。流川は敢えて聞かないつもりだった。
花道は、毎日の送り迎えの時間に、バスケット以外の話をよくした。
いつの間にか、無料の英語教室に通い、頑張って勉強しているらしい。
「教会って……初めて入ったけど、すげーな…」
「……何が…」
「…えーっと、ステンドグラス? まあ、そこで授業してるわけじゃねぇけどよ」
主に会話中心の英語のレッスンは、聞き取るだけで必死だと花道は笑った。
「あ、そうそう…先生はボランティアなんだぞ」
「……そうか…」
「なんか……ガッコの先生目指してる大学生……ってことは、オレらくらいなのかな…」
「……そうかもな…」
流川のそれなりの相づちにも、花道は楽しそうに話す。
「またお前のボランティア、オレも連れてけよな」
偉そうに言う花道をジロリと睨む。そのすぐあとに、「連れてってください」と花道は言い直した。
実際、初めて連れてった後、花道を置いて行ったら、「なぜ来ないのだ」と子どもたちや保護者から非難されてしまったのだ。花道にそれは話していないけれど、指導者が増えることはあちらには嬉しいことらしい。花道は、子どもと同じように遊び、大はしゃぎをする。そこが親しまれているらしく、楽しいらしい。そういえば、湘北高校の主将となったときも、後輩たちの指導は熱心だったと思う。技術的に良い見本かどうかは別として。
流川には、これまで友人と呼べる相手はいなかったけれど、今の花道とはまるで親友のようにも思えた。
「…ともだち…」
遠い異国で支え合う。そうなのかもしれないと思う。けれど、すぐに違うと首を振った。
アメリカに来てから、花道は自分に近づいてこない。触れてこないのだ。
もう、そういうことは、止めにしようということなのだ。
自分がどれくらいの気持ちで花道を待っているか、一緒に暮らすようになって実感した。
すぐそばに花道がいる生活が、どこか苦しい。
流川は、花道の話を聞くふりをしながら、そんなことを考えていた。
そういえば、観光ビザ。
来年からビザ(有料)がいるんですってね!!
(今は観光ならパスポートだけでOKなのに…)
燃料代もバカにならないのに…
世知辛い世の中になりましたな〜(;;)
2008.10.11 キリコ
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