今話9
毎日慌ただしそうだけれど、たぶん充実している流川を羨ましく思った。
けれど、同じ道を辿っていたら、いつまでも追いつけない相手なのだ。
ボランティアの後の練習で、花道は流川との差をはっきりと感じた。
「やべー…」
そう何度も呟いて、花道は毎日一生懸命だった。
最初の頃、外のコートで練習していると、からかわれたり、絡まれたりした。言葉がわからなくても、バカにされているのは何となくわかる。英語のレッスンのおかげか、聴き取れるようになったら、より一層腹が立った。だから、たまに喧嘩になってしまう。
それでも、花道にはこういうところしか練習場所がない。うまく立ち回って、自分の時間を確保しなければならない。もしくは、対戦相手を見つけるのだ。
毎日そうしていると、多少なりとも自分を認めてくれる相手も出てきたのだ。公園にやってくるのはほとんどが黒人で、自分より大きい人も小さい人も皆がうまい。花道は、日本では対戦したこともないような相手ばかりということに、とても驚いた。これが、ただのストリートの連中なのだ。バスケットの上を目指す選手たちは、いったいどんなレベルなのだろうか。
そんな緊張感も、1ヶ月ほと経つと、花道は楽しめるようになってきていた。
もちろんお金もないし、将来の保証もない状態だけれど、花道は楽しく感じていた。
今のところ、家に帰れば流川がいる。一緒のコートで練習できる機会はあまりないけれど、いつか近くでプレーするために、今はただ努力するしかないのだ。
疲れたとき、花道は流川の寝顔をじっと見ていた。目の前で静かな呼吸を繰り返す流川に、花道の精神は安定していくのがわかるから。
ただ、ときどきどうしても我慢出来なくなって、流川に触れるだけのキスをしてしまう。明日の自分への励ましだから、と自分に言い訳していた。
こういう、触れ合っていたことについての会話というものは、簡単には出来ないものだった。どうしてなのか確かめるまで手を出さないと自分に課したけれど、その確かめる方法がわからなかった。流川も、自分に近づいて来ない。ということは、やはり今はそんな関係ではないという暗黙の了解なのだろうか。
果たして、自分はいつまで我慢できるだろうか。
花道は、自分で自分に自信が持てないでいた。
けれど、流川のそばにいるという一番の目的のために、今日も静かにふとんに入った。
8月の半ば頃から、花道も流川もこれまでと予定が少し違ってきていた。9月からの秋季リーグに向けて、それぞれのチームのトライアウトを受けるためだ。
「…ルカワ…オメーは…どこ…?」
「………テメーは?」
「……内緒」
「……オレも言わねー」
出来れば、監督の考えやチームの雰囲気から選びたい。けれど、今の自分たちはそんな身分ではないのだ。とにかく受けられるだけ受けて、チームに選ばれるのを期待した。
流川は、夏の間、セミナーを受けていた。夏休みを利用した講習会で、これに参加していた選手は、リーグ上位チームに残る可能性が高いと言われていた。流川は必死で付いていったつもりだが、実際にどうなるかはわからない。それでも、目標は高く持ち、挑戦した。
花道は、今はアメリカに残ることだけを考えていたので、下位チームを受けていた。トライアウトのとき流川がいなかったことに、納得する自分と残念がる自分がいた。
結局、2人ともが全く違うチームを受けていた。
リーグといっても、この州内のチームであり、憧れのNBAは本当にまだ遠い存在だった。けれど、大学でバスケットをしていない選手なら、誰もがこういうステップを踏む。大勢の若い人がライバルだった。そろそろチームから連絡が来るだろうという頃になった。
花道は初めて流川のバイト先に入った。地味な法被を着た流川に驚いて、一度立ち止まった。けれど、流川が慣れた様子で席に案内するので、声をかけるタイミングを逃してしまった。
「あ…あの…ルカワ?」
「……食うのか? お客サマ」
「あ………はい…」
流川の働く姿に、花道はなぜだか感動した。あの流川が、接客業なのだ。こういう格好を見るのは初めてだった。合宿のときに浴衣姿は見たことがあったけれど。法被の下はジーンズだけれど、鉢巻でもすれば、まるで江戸っ子のようだ。これまで送り迎えだけでお店に入らなかったことを、花道は少し後悔した。
「その…ルカワ…」
「……もうすぐ終わる…」
バイトの終わる時間近くに来たけれど、少しでも早く話したかった。花道はそわそわと貧乏揺すりを始めてしまった。
さっさと食べ終わって居所のなかった花道に、法被を脱いだ流川が声をかけた。
「…帰るぞ…どあほう…」
「……もう「お客サマ」じゃねぇの?」
「……ふざけんな…」
花道は、英語で「お客様」は何というのだろうと思ったけれど、今は確認するどころではなかった。
「…チップもくれねぇのは「お客サマ」じゃねぇ」
「……チップって、サービス次第だろ? 愛想もねぇし、「食うのか?」じゃ、サービスじゃねぇもンよ」
花道もこちらの生活にずいぶん慣れたな、と流川は思った。来た頃は、チップという単語にも疑問符が付いていたのに。
「…で、何だ?」
わざわざ店に食べに来たのだ。何か話したいらしい様子もわかる。ソワソワと嬉しそうな顔を見れば、内容は想像がついた。
「見ろルカワ! オレ様はチームに入れたぞ!」
花道が見せたかったのは、その知らせの手紙だった。帰り道の暗い中で見せられて、読むことはできない。けれど、嘘でこんなことを言うはずはなかった。
「……そうか、ヨカッタな」
期待通りの反応に、花道はますます気をよくした。あれだけ差の付いた自分でさえ、弱小チームとはいえ選ばれたのだ。この流川が選ばれないわけがない、と思っていた。そして、これで一応仕事ということになり、ビザの心配がなくなった。流川が設けた期限に、間に合ったのだ。
「なあ、オメーは? ドコ行くんだ?」
無邪気に聞いてくる花道に、流川は少しムッとした。
今の流川の心境では、「ヨカッタな」というのが精一杯だった。
「……最近、イイのとワルイの、両方の知らせが届いた」
流川がそう言っても、花道はまだ微塵も疑っていなかった。
「うん…それで?」
「……桜木……オレは、どのチームにも選ばれなかった」
「へっ……?」
「……テメーとリーグで対戦できねぇ」
花道は、トライアウトを受ける頃、確かにそんなことを言った。目指すチームが違うから、きっと対戦するだろうと。
しばらく理解するのに時間がかかり、花道は立ち止まった。
「……ルカワ?……それ…間違いねぇ…のか?」
本人が一番そう思いたい。そうであったなら、と流川は願ったし、たとえしつこいと言われても、確認の電話をしたのだ。
「……それ……いつわかった?」
歩き続ける流川とだんだん距離が遠くなるのに、花道はまだその場に立っていた。
「…今日、最後の通知が来た。これで、オレが受けたのは、全部だ」
花道も、今日の手紙が最後の望みのチームだった。もうすぐ9月で、選抜の時期は終わったのだ。
「そんな……オメー……来週から…どーすんだ…」
「………さー」
そんな先のことなぞ、今は考えられなかった。
ただただショックだった。
けれど、花道が受かったことは、素直に良いことだと思えた。そんな自分にホッとした。受けるチームが重ならなかったとか、ポジションが違うからか。アメリカでバスケットがしたいと目指す気持ちは同士だけれど、ライバルのはずなのに。悔しいと思う気持ちはないわけではないのに。
「…テメーは…ヨカッタな…」
流川がそう言うのは2回目だった。
少し項垂れて見える背中でそう言われても、花道は素直に喜べなかった。
だいぶ歩き続けて流川が振り返ったとき、花道の姿は見えなかった。それから何時間も経ってから、花道は帰宅した。どこで何をしていたのかはわからないけれど、お店で嬉しそうにしていたのが信じられないくらい、落ち込んで見えた。
「…桜木…?」
さすがに眠れなくて、流川はベランダで座っていた。きっとお酒が飲めたら、やけ酒という気分だろう。けれど、流川はイライラしながらもどこか冷静で、その夜も熱いお茶を飲んでいた。
「……ルカワ…」
「………早く寝ろ…どあほう…」
「…オレの…せいか?」
「………なんのことだ…」
花道の考えが、流川にはわかる気がした。気の済むように言わせてみようと思った。
「…オレ……オメーの生活、ジャマしたか? 実はオメー、よく眠れなかったとか…」
「………ふざけんな…どあほう…」
「だってよ……オレ、ムリにここにいたし…」
だんだん大きくなる声に、流川はため息をついて部屋に戻った。
「……オレの体調管理に、テメーが口出しすンな。どあほう」
「………どういうことだ?」
「…眠れねーとか、そんなん誰のせいでもねぇ。そもそも眠れないなんてオレは言ってねーだろ。もしそうだとしても、他人のせいにするほど、オレは落ちぶれてねぇ」
流川の声が怒気を含んでいて、流暢な長文を話したことに、花道は目が覚めた気がした。
「テメーの居候を認めたのはオレで、それが悪かったってンなら、オレの責任だ」
「……そう……なのか…?」
「知らねー………けど、チームに入れなかったことと、テメーは関係ねー。オレが言いたいのはそれだけだ」
流川は湯飲み茶碗を握りしめていた。その指の力の入り具合から、まだそれ以上に言いたいことがあるのだろうと、花道には思えた。今日、どんな気持ちでバイトに出ていたのだろうか。表面上、平静を装うのが、どれだけ大変だっただろうか。
「…な、なんで……くやしいとか…言わねぇ?」
「………なんだと…」
「受験に落ちたヤツらだって、叫んだり泣いたりしてたじゃねぇか?! オメーはどうなんだ? マジでチームに入りたかっただろ?」
「当たり前だ!」
花道の声に負けないくらいの大声に、さすがの花道も驚いた。こんな剣幕の流川を、初めて見た。
「このリーグに出るために、半年努力してきた。無視されようがいじめられようが、食らい付いてやった! オレがダメなのか? 外国人だからか? ちゃんとプレーで選んでやがるのか?」
花道は、次から次へと出てくる流川の言葉を、しっかり聞いていた。
こんなにも、不安や不満を抱え込んでいたのだろう。いつも平気そうに見えたから、花道は安心して付いていた。実はこんなにもいろいろな思いをしてきていたらしいのに、自分は気付いてあげることが出来なかった。
花道は、まだ力説を続ける流川を、力強く抱きしめた。
「……ルカワ……すまねぇ…」
「…はなせ、どあほう……なんでテメーがオレに謝る」
「まだ言い足りねぇなら、オレが全部聞くから…」
「………ンなこと、いらねぇ…」
少し毒気を抜かれたらしい流川が、語気を落ち着かせて呟いた。
「…何でも聞いてやるから…」
「………エラそうに…」
「オレな……オメーより後にアメリカに来て、オメーに迷惑かけながら、オメーを踏み台にして行くぜ? だから、オレに怒ったらいい…「出てけ」って怒鳴っていい…」
「………なんだそりゃ……」
流川が力が抜けたかのように座り込んたので、花道も同じように座った。
無口な男でも、何も考えていないわけではない。感じたことを口に出来ない分、溜め込んでいたのだろうと花道はその顔を見た。
「あの……ルカワ? イイ知らせってのは…なんだ?」
ずっと気になっていたけれど、聞ける状況ではなかった。今も不適切なタイミングに思えたが、気分が入れ替わればと願ったから。
「………永住権…」
「……は?」
「…アメリカの永住権、もらえた…」
「……なんだって?!」
花道は、流川の両肩を前後に強く振った。
「い…イテー…どあほう…」
「それってよ、ビザがいらなくなるってヤツ?」
「……そう…」
「ってことはよー、やっぱオメー、それアメリカにいろってコトじゃねぇ?」
花道の言葉に、流川はハッとした。そんな考えは、浮かばなかった。
「…オメーよ…カネねーんだろ?」
「………なんだ急に…」
「日本でもバイトなんかしてなかったし…貯金なんかないだろ? こっちみたく奨学金とかないし……」
「………だから何だ」
「だからな………もうちょっと親御さんを頼ったら…どうだ?」
花道は遠慮がちに言った。
「……何もかも急いで独り立ちしなくてもよ……いずれ返すって感じでさ…」
「………誰の話だ…」
「あ……やっぱわかった? おふくろさんが言ってたんだぜ」
実家からの援助を頑なに拒否していた。生活面でも経済面でも、早く花道のように自立しなければ、と思っていたから。
「……テメーは…高校ンとき…」
「あん? オレ? バイトなんかしてなかったぜ?」
「……料理とか…」
「ああ…まあ、一人暮らしだったからな……けど、カネはもらってた」
よく考えてみれば、花道の言う通り、アルバイトをする時間などなかったのだ。学校に行って、バスケットをしていた。経済的援助があって、その中でやりくりしていたのか。
流川は自分の思いこみで突っ走っていたことに、急に疲れを感じた。
一生懸命にやらなければいけないけれど、もう少し肩の力を抜け、と言われた気がした。
この物語はフィクションです(笑)
そんなリーグがあるのか知りません…
NBAやDNBA(?)も詳しくないです…永住権…抽選の申し込みは日本で出来るそうですね!
そして、現実の当選発表とは時期が違います〜
まあフィクションですので…(そればっかり)