今話12
自分たちは、変わってしまったのだろうか。
流川は夢の中でそんなことを考えていた。花道に触れられる夢の続きなのか。夢に見るくらい、自分は待ち望んでいるのだろうか。
疲れ果てた流川は、軽くいびきをかいていた。現実の花道がそれをじっと見ていたことも知らないまま、流川はふと目を覚ました。
「…起きたか?」
「………桜木?」
練習はどうしたのだろうか。なぜ昼寝の時間にいるのだろうか。
「メシ、作っといたから…」
「……メシ?」
「…晩メシ」
流川はその言葉にギョッとして、勢い良く起きあがろうとした。けれど、体が悲鳴を上げて、すぐに倒れ込んだ。
「………なんで…」
「…やっぱイタイか…」
花道がすまなそうな顔をしている。指で頬をかきながら、「すまねぇ」と自分に謝った。
この体の痛みは、現実だった。それでは、さっきまでの自分たちも、現実だったのだろうか。
流川は両目を見開いて、花道の腕を見た。その腕が自分を抱きしめたのは、本当にあったことなのか。過去の記憶ではなくて。
「あ…その…オレ、行きたくねぇけど…レッスン休めねーし…」
今日は英会話の日だった。流川はもうそんな時間なのか、と驚いた。
「……行ってこい…オレは…大丈夫…」
「………ほんとうか?」
花道が睨むような目を自分に向けてくる。心配されているのか、疑われているのか、よくわからない目つきだった。
「…いーから、行けって」
「……わ、わかった…」
花道はスッと立ち上がった。カバンまで用意したまま、流川のそばにいたらしい。部屋の中は薄暗いままだった。
「……る、ルカワ…」
まだいたのか、と少し驚きながら、流川は声のする方に顔を上げた。
見上げると、逆光で顔がよくわからない花道が近づいてくるのがわかった。
触れるだけキスではなく、触れながらチュッと音を立てるキスをされた。まるで、外国の映画のようなキス。
「そ……その…行ってきます」
流川はじっと固まったまま、花道が出ていく気配を感じていた。
今のは、何だったのだろうか。
もしかして、行ってきますのキス、というものだろうか。
流川は、急に頬が熱くなって、口元を手のひらで押さえた。
これまで、日本でのことも含めて思い出してみても、このようなことは初めてだった。
単なる気まぐれなのだろうか。それとも、日常にするつもりなのか。流川は、ギシギシと痛む体を起こして、食事をした。もうすぐ花道が帰宅するだろうから、できるだけ普通にしなければ、と自分に課した。
明日の食事の準備をしているとき、花道が勢い良く帰ってきた。ドアを壊すのではないかと思うくらいだった。
「……うるせーぞ…どあほう…」
平静にいつも通り、と何度も自分に言い聞かせた。
「る…ルカワ…起きて…ダイジョブなのか?」
「………大丈夫っつったろ」
まだ気になるらしい。こうやって立ち仕事も出来るところを見せているのに。
けれど、明るい中では、なぜかお互いが視線を合わせることが出来なかった。こんなにも気まずく感じるとは思わなかった。
しばらく玄関で立っていた花道が、ゆっくりと流川に近づいた。
「その……ホントーにダイジョブか?」
「………しつけーぞ」
流川はキッと花道を睨んだ。そんなことで怯む花道ではないと思ったけれど。
「そうか……その…た、ただいま…」
少しホッとした笑顔を向けながら、花道はそう挨拶した。そんなことはこれまでほとんどなくて、流川はまた目を剥いた。
花道はじっとしたままの流川の腰を少し引き寄せ、またチュッと音を立てたキスをした。
「あ…オレ…ちょっと宿題…」
そう言いながら、バタバタと離れていく。その後ろ姿を、流川は見ることもできなかった。
いったい、どうなっているのだろうか。
流川はせっかく落ち着かせた頬の赤みがまた戻ってきたことを、自覚した。
昨日までの自分たちと、確かに変わった。
日常の中に、キスが入ってきた。
射精はこれまでもそれぞれがあったことで、それを一緒にする、に変わっただけだ。
「……だけ?」
そんな簡単な言葉で済むことだろうか。
流川は戸惑いながらも、それでも花道を拒まなかった。
その夜、花道は寝る前に話し合おうと言ってきた。自分の宿題を終えてから。
「あ……その…い、イヤなこと…あったら…」
背中合わせで座らされ、花道は切り出した。顔を合わせて話せる内容ではないけれど、口に出すことだけでも十分困った。
「……イヤなこと?」
「……そ、その……したくねーコトとか…」
嫌だという日は断れ、という話なのかと流川は思ったけれど、花道はもっと具体的なことを聞いていた。
「…イタかった…みてーだし……アレはその…」
「………もうしねーのか…?」
「お、オレは………し、したい…けど…」
「……………よくわかんねーけど………休みの前なら…」
一日あれば回復するのではないだろうか。以前、日本でしたときは、そうだった。
「そうなのか?!」
花道が急にこちらを振り返ったので、流川は顔を見えない方に向けた。
「……けど………中に出すな」
「………へっ?」
流川はそれ以上言わなかったけれど、花道にもすぐにわかった。
あの出てくる感覚の気持ち悪さを説明することはできない。けれど、まさかこんなにも早くこう言える機会が来るとは思わなかった。
「あ…す、すまねぇ……アレ買わなきゃだな……」
こんな会話は恥ずかしい。けれど、話し合っておかないとわからないこともある。自分たちは日本でこういうことをしてこなかった。同じ失敗はしたくないから。
「ね、寝るか…」
花道が大声で宣言する。やっと眠れるのかと流川はため息をついた。あれだけ長い時間昼寝をしても、体はだるかった。
花道のふとんに並ぶと、また腰を抱かれた。まさかこれから「する」のだろうかと身構えたが、花道は例のキスをしてから、流川の肩を抱いた。
「お……おやすみ…」
どうやら、花道は、すべての挨拶にキスをするつもりらしい。それとも今晩だけなのだろうか。
流川はまた金縛りにあったかのように、脳内だけでしばらく起きていた。以前、日本で一度だけ花道を受け入れたことがあった。
あの夜以降、花道は自分を避け始めた。あの日の放り出されたショックと怒りは、まだ記憶に新しい。
けれど、今日はこうしてずっと一緒にいる。急にキスの回数が増えて、こうして抱き寄せられている。
いったい、何が違うのか。何が花道を怒らせたのか。
流川は考えても、答えが出せないでいた。
ただ、花道は今日初めて、流川の腕を自分の首に運んだ。目を開けさせたいのか、何度も瞼に触れられた。視線をじっと合わせて名前を呼ぶと、花道は泣きそうな顔をしていた。
今日のようにしていれば、花道は嬉しいと感じているのかもしれない。
流川は自分の痴態を思い出して、また顔が熱くなった。なぜこうなって、こういうことをしているのか、未だにわからないけれど。
花道がそばにいて、バスケットが出来て、なんて幸せだろうと思った。
願わくば、ストリートではなく、リーグのチームで。そして、もっと欲深く言えば、花道と同じチームでプレー出来れば、どれほど嬉しいだろうか。
また明日から努力しよう。流川は何度も自分に言い聞かせた。