今話13

   

 挨拶のキスを花道は自分の日課にした。自分がしたかったからだが、流川は逃げないから。また相手のせいにしてはいけない、とすぐに反省した。流川が拒まないからするのではなく、自分がしたいのだと、素直に認める努力をしたから。
 流川の疲れ果てた寝顔を見て、花道は過去の自分を大いに責めた。何ということをしたのだろう。自分はなんて非道い男なのか。
 自分を受け入れた後の流川のつらさを初めて知ったから。
 あのときも痛がっていたし、想像だけでもきついと思っていたのに。
 日本でのあの後、花道は自分の怒りにまかせて、流川を放り出したのだ。あのとき、顔も見たくないと勝手に苛々していた。傷ついたのは自分の方だと思っていた。
 あの部屋で、流川はいつ起きて、何をしていたのだろうか。自分を待っていただろうか。食べるものも置いてこなかった。それどころか、素っ裸のままだったはず。
「……サイテー」
 自分を何度も罵った。
 それから流川は訪れなくなって、お互い学校で会っても知らん顔だった。
 それなのに。
「……キスしたよな…」
 とても気分良く思い出せるけど、その前後の経緯を考えると、花道はかなり深く落ち込んでしまう。
 流川は、わざわざやってきて、キスをした。ただのキスではなくて、言葉で言えないことを込めたのだろうと花道にはわかる。詳細はわからないけれど。たぶんそうだ。
 だからせめて、何倍もキスを返そうと思うのだ。それで償えるかわからないけれど。
 実際やってみるとかなり照れてしまうのだが、まるで外国映画のようで、ちょっとうっとりもする。流川は未だ慣れないようだけれど、やはり逃げたりはしなかった。

 

 こうして流川と暮らしていて、ささいなことで言い合ったり、たぶん譲り合ったりする生活が、本当に楽しかった。特に、買い物に出るのが気に入っていた。相談しながら必要な物を購入するということが、まるで家族のようだったから。
 1ヶ月ほど前、花道は初めて結婚式に招待された。英会話レッスンの生徒で、相手はアメリカ人だった。皆で祝おうということになって、教会には何を着て行けばいいのか、相談した。堅苦しくなくていいということだったが、やはりスーツが無難だと思われた。
「…ルカワ…スーツもっかい貸して?」
「………なんで?」
 実は、花道が今のチームに入るとき、社会的正装で行けと言われたことがあった。そのときは時間がなくて、流川のスーツを借りたのだ。少々きつくても、身丈はほとんど一緒だったから。
「…結婚式に行くから…」
「………ふーん」
 流川がそれ以上聞かなかったので、花道は自らことの経緯を話した。
「桜木…明日買ってこい」
「え……スーツを?」
「…これからいるだろ?」
 流川も社会に出るにあたって、日本で作って来たのだ。
「う……オレ買ったことねぇ…」
「……知らねー」
 興味なさそうな流川を、花道は引っ張り出した。
 スーツを選ぶとき、口では「どれでもいい」と言いながらも、流川は似合う似合わないをはっきりと言ってくれた。流川に選んでもらった服というわけではないが、思い出のあるスーツになった。
 教会での結婚式に、花道は感動した。宗教は何も信じていないけれど、敬虔な気持ちになった。
「病めるときも健やかなるときも…」
 花道は、その言葉が気に入った。
 どんなときも支え合う2人。神様の前で永遠の愛を誓う。とても羨ましく思えた。
 自分は、流川の支えになれるだろうか。流川に支えられてばかりいる気がするのだ。
「お……オレも…ガンバらねぇと…」
 毎日のように口に出して、自分を追い立てた。

 

 もうすぐ11月という頃、街はハロウィンの雰囲気になっていた。あちこちの家やお店にカボチャが並ぶ。流川にはハロウィン自体がよくわからなかったけど、たまにコスチュームが映画人やアニメのキャラになっている店員に驚いた。陽気なのはいいが、いったいその服はどこで売っているのか。そんなことを考えながら見ていた。
 花道はチームの練習で忙しく、流川は街のコートに出ている。だから、雨が降ったら、家の中でビデオを観ているしかできなかった。中途半端にアルバイトを増やすことも出来ない。たまに手持ちぶさたに感じることがある。試合の感覚を、忘れそうになるのだ。
 次のトライアウトまで1ヶ月ある。このままでいいのだろうか。流川はそんなことを深く考えるようになっていた。

 それからほどなく、週に一度の花道のオフに、流川は切り出した。
「…引っ越そうと思う」
「………へっ?」
 規則正しい生活をしている2人の、朝食のときだった。
「……もう…決めた…」
「え…引っ越し? 決めたって…」
「…今月いっぱいで…」
 花道は、思いもしなかった言葉を理解するのに時間がかかった。
「……え……その…急じゃねぇか?」
「……前から考えてた」
「………もしかして、もう契約とかまでいってンのか?」
 流川は首を縦に振った。それから花道の目をじっと見て、しばらく黙っていた。
「ちょ……ちょっと待て…そんな…カッテに…」
「……ココはオレの部屋だ……けど、テメーが住みたいなら…」
「なっ……それって、オメーが出てくみてーじゃねぇか…」
「…そう……オレは出ていく」
 なぜそうしたのか。流川はゆっくりと説明した。けれど、花道は上の空で聞いていた。
「…ココより安い…ヒスパニックとかチャイナタウンに近い…から、ちょっと物騒かも…ココよりも」
 流川は立ち上がり、書類を取って戻ってきた。
「る…ルカワ……い、今更…オレを置いて行くってのか?」
 そう考えながら聞いていたから反応がおかしかったのか。流川はようやく合点がいった。自分たちは、ずいぶん話し合うようにしてきたつもりだけれど、自分の言葉はまだ足りないのだ。説明がまずかったのか、それとも花道がまだ自分のことを理解していないのか。
 自分が花道と離れたいと考えると思っているのだろうか。
「桜木…」
 流川は、花道の顔面に書類をぶつけた。それは、部屋の見取り図だった。
「……へっ…なに…」
「…ツーベッドルームだ…どあほう…」
「……ツーベッド……」
 確かに図面には、キッチンやお風呂の他に、2つの部屋があった。
「…確かに…カッテに決めたけど……早く決めたかったから」
「………そ……それって……オレの部屋…?」
「…別にムリにそこにしなくても…いーけど」
「あ、いや……その…これってシェアってヤツ?」
 言葉で括るとそうかもしれないけれど、流川はそんな風には考えていなかった。
「……で……どうする…」
「…うん……オレも引っ越す…けど…」
「……けど?」
「…いやなんか……急に寂しくなるなぁ…」
 さっきの今で突然しんみりし出した。花道の想像力の豊かさに、流川は驚いた。自分ですら、まだそこまでは思っていなかった。もしかしたら、引っ越しの片づけの後くらいに、と思っていたけれど。
 この部屋は、居心地が良かった。
 けれど、今の自分には分不相応だと思ったのだ。
 もっと、自立して、這い上がるくらいの気持ちが必要なのかもしれないと気付いたから。
「オメーはよ……オレより長く住んでるから、もっとそう思わねぇ?」
「…2ヶ月くらいだ」
「……何が?」
「…5月から住み始めた」
 花道が渡米したのは7月だった。けれど、流川は確か卒業式の後だったはずだ。
「………ん? オメー……もっと前にアメリカに来てただろ?」
「……ホームステイしてた」
 2ヶ月ほどその家で、英語の猛特訓を受けたのだと流川は続けた。花道は、まだまだ知らない流川がいるのだ、と心から驚いた。ずっとここにいるのだと思い込んでいたために、これまで聞いたこともなかったから。そして、やはり流川は自分から語ったりしないのだと再確認した。
「……けど…引っ越し…引っ越しかぁ……大変そうだな…」
「………そうでもねぇ…かも…」
「なんで?」
「…家具はココのだから」
「……炊飯器も?」
 なぜそれだけ特定で出てきたのか、流川には不思議だった。とにかく、部屋の中で置いておくべきものを考えると、ほとんど自分たちの衣類などになる。
「まあ……車借りて運べば…」
「……クルマ?」
 花道の驚き方は一々面白いと思う。そんなにすべてに反応しなくてもと呆れるのだ。
「……オレ、免許取った」
「…い……いつの間に…」
 本当に、まだまだ謎を残した男だと、花道はため息をついた。

「このベッドもココのか…」
「……そー」
 花道は、少しそれが残念に思えた。アメリカに来て、初めて流川を抱いたベッドだと、記念のように思っていたから。
「…ふとんはオレのだ……テメーのソファベッドはどうする?」
「うーん…向こうにもあったな……けど、持ってく」
 流川が引っ越しの話をしてから、2人でその部屋を見に行った。すでに流川が契約しているので、部屋の掃除も兼ねていた。
「…きったねーぞ…」
「……1年くらい…空いてたって」
「あん? なんでそんな…ダレも入らなかったのか…?」
 その部屋は、また5階だった。これまでの綺麗な階段とも違うけれど、花道は気にならなかった。アパート周囲の雰囲気も、要注意だとは思うけれど、恐いわけではない。何しろ、流川といるのだから。
 実は、その部屋が曰く付きで、これまで誰かが住んでも、すぐに出て行きたがる部屋らしい。そこだけ空き家なのも困り、だんだん値段を下げていった。そして流川は、そのことを逆手に取って、値段交渉をした。これらのことを、流川は花道に黙っているつもりだった。けれど、入居してから、近所から噂を聞くのも困る気もした。
「桜木……この部屋…昔なんかあったらしい…だから、誰も借りたがらねーって」
「………なんか…?」
「……ココはアメリカだから…」
 アメリカだから、というのは理由にはならないと思ったけれど、花道はどうやら詳しく聞きたくないらしい。それ以上、何も言わなかった。
「あ…アメリカのおばけって…オレらには関係ねーよな…」
「………たぶん…」
 花道の想像力は本当にすごい。何も話していないのに、的を得ていた。
 実際に自分が見たわけではない。もしも、本当にそんなことがあるようなら、他に部屋を探すだけだ。とにかく、流川は家からの援助を減らしたかったのだ。
 花道は、もうすぐ自分たちの家になる部屋を見回した。ベランダは広さはあるけれど、鉄格子が高い。窓から見下ろす風景が、ずいぶん荒んで見えた。広い部屋の中を見て回り、すべてのドアを開けてみた。何よりも嬉しいのが、浴槽があることだった。これから冬の寒い時期、日本人としてはやはりお風呂に浸かりたかった。
 2つの部屋の片方は両親で、残りは子ども部屋だったらしい。キングサイズかと思われるベッドと、シングルベッドがあった。
「こ……コレも…幽霊のベッドだったのかな…」
「…チガウらしい」
 さすがの流川も、そういうベッドなら放り出させただろう。その後の入居者だった家族が、気味悪がってすべて置いていったと説明された。
「…オレが契約したから…オレがこっち」
 流川は廊下から、大きい方のベッドのある部屋を指した。
「ちょ…そんな! オレが小さい方?」
「……ソファベッドがあるだろ…」
「オーボーだっ!」
 花道が流川の後ろから、しばらく文句を言い続けていた。
 やはり、まだわかっていないと思うのだ。
 離れて寝たいなんて、一言も言っていないのに。
 その日、花道も流川も埃まみれになりながら、ふき掃除をした。流川はアルバイトを辞める決心をして、心機一転ここからやり直すつもりだった。
 2人で住む新しい家に、花道はワクワクし始めた。
 これからいろいろ買いそろえなければならないものがある。あまり買い物に時間は割けないけれど、できるだけ安いものを探し歩いた。2人が絶対に必要だと意見が一致した炊飯器はすぐに購入した。

 住んでいた家も、これから住む家も、花道はたくさん写真を撮った。興味なさそうにしている流川も、無理矢理カメラに収める。住んでいた部屋の記念にと、2人で一緒に写真を撮ってもらった。
 これまでアパート内の住人と、それほど親しかったわけではない。ただ、花道はソファベッドを貰い、アパートのことをいろいろ教えてもらった。たまの休みには2人で日本食パーティに喚ばれたりした。昼間に抱き合ったあの日も、ちょうど誘いのノックだったことを後から知った。
 短い挨拶をしながら、借りた車で引っ越し開始だった。
「…留学生って…金持ちだな…」
「……自分で買ったと思うか?」
「うーん……」
 同じアパートの留学生に借りた車は、日本車で古い物ではなかった。
「まあ…どっちにしろ、オレらはビンボーだな」
 花道がそう言って笑い飛ばした。流川は運転に必死だったけれど、花道の笑い声に少し救われた気がした。流川がどれだけ危ない運転をしているのか、花道は気付いていないらしいから。
「それにしても……オメーが運転してンの…すっげーヘンな感じだな」
「………そうか…」
 毒づかれても、流川に反論する余裕はなかった。
 花道は、短いドライブが、本当に楽しい思い出になった。

 

 

 

アメリカのアパートって、「古いから安くなる」
というものではないらしいですね〜

2008.10.31 キリコ
  
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