今話14

   

「洗濯機があるって…やっぱいいなぁ…」
 花道の呟きを、流川は聞き流していた。確かに、部屋の中にあれば、いつでも洗濯できるから。
 今日、花道はリーグの試合から帰ってきたばかりだった。汗をかいただろうユニフォームを、花道はすぐに洗った。いつものことだけれど、今日はやけに素早い気がした。
「…メシは?」
「……あ、オレが作る」
 花道が帰るだろうと思って、2人分準備した。お互い待ったりしないことにしている。規則正しい食事の方が大事だから。流川のご飯が嫌だという話なら、それはそれで単純だったが、どうも違う気がする。最近、試合の後の花道がおかしかった。
「…来週はボランティアない…観に行っていいか?」
「…………ダメだ…」
 なぜか、花道は試合観戦に来るなという。最初の頃はそう言わなかったのに。
 遠くでの試合のときは仕方なくても、なぜ頑なに拒否するのだろうか。
 出場時間が少ないことを気にしているのかもしれないと思う。
 ならば、こっそりと観に行こうと決めた。

 大きな会場ではなかったせいか、会場は満員だった。州内のリーグで、地元選手も多い。流川は上の方からこっそり試合を観ていた。
 花道はユニフォームを着てベンチに座っている。日本では大きい方でも、こちらではそうでもなく、チームメイトに囲まれると花道の姿が隠れるほどだった。あまり会話している雰囲気にも見えず、チームに溶け込めていないのだろうかと、流川はじっと花道を見つめていた。
 試合中、バッシュの音が大きく響き、ときどき小さなもめ事が起こる。かけ声というよりは、怒声のような、あまり良い意味ではない言葉が飛び交ったりする。流川はそのこと自体にはもう驚かなかった。
 それよりも、ベンチから全く動く気配のない花道が気がかりだった。
 少しの時間でも交替があるかと待ったが、その日は結局最後まで座ったままでいた。
 流川は、まるで自分が出してもらえなかった気持ちになり、少なからずショックを受けた。こういうことは、今日だけではないのかもしれない。花道は、あまり汗もかかないままのユニフォームを、どんな思いで洗濯していたのだろうか。チームに所属できていない自分よりも悪いことは何もない、と羨んだこともあったけれど、今日の姿はあまりにも悲しかった。こういうことはよくあることだけれど、自分や、自分が応援する選手が出場できないことは、本当に悔しいことだった。
 流川がまた食事を作っている頃、花道が帰宅した。今日は近い試合会場だったせいか、いつもより帰宅時間が早かった。
「…桜木?」
「……おう…」
 どんよりとした顔の花道に、流川はスッと近づいた。
 顔を上げない花道に、流川はチュッとキスをした。
「……おかえり」
 流川がそう言うことはほとんどなかった。挨拶のキスも、流川からするのはこれが初めてだった。
 花道は、瞼が熱くなってくるのを感じた。きっとこれは「慰め」なのだと思ったから。
「……ルカワ…」
「………メシは?」
「…ま……まだ…」
 背中を花道に引き寄せられて、流川はその肩に顎を乗せた。ギュッと力強く抱きついてくる花道の背を、流川は何回か叩いた。
「…ルカワ……今日…来てたろ」
 なぜわかったのだろうか。視線が合った記憶はないけれど、ばれてしまっていたのか。
「……勝ったな」
 花道のチームは、花道があまり出ていない状態で勝ち続けている。だから、尚のこと、花道の出番はない。
「……オレ……戦力外…来るかもな…」
 もうすぐトライアウトの時期だ。同時に、首を切られる選手がいることを意味している。約3ヶ月の間に、花道は監督の注意を引くプレーが出来なかったということなのだろうか。それとも、よくある相性なのだろうか。試しに取ってみたけれど、うまく使えなかったのかもしれない。戦力外通知を受けたとしても、花道のプレーが悪いわけではないこともある。
 流川は、いろいろなことを考えたけれど、どれも慰めにも励ましにもならない気がして、ただ黙ってその背中を撫で続けた。

 夕食の後、花道は湯船につかりながら、少し涙を流した。
 自分より、流川の方がずっと苦しんでいるはずなのに。それなのに、流川は自分を静かに慰めてくれる。チームにいることだけで満足できなかった。もちろん流川にもその思いは理解できるのだ。試合に出たくない選手など、いないのだから。
 つらいと思ったときにつらい表情が出来て、話さなくてもわかってくるということが、どれほど有り難い存在か。
 花道は大きく鼻を啜って、バスルームを出た。
 先にベッドに入っていた流川を、花道は自分に引き寄せて、その夜も抱き合うように眠りについた。

 

 それからほどなくして、花道は別のチームから声がかかった。試合出場時間は少なかったけれど、その短い時間で花道を見て、チームに入れても良いと監督から連絡が来たのだ。トライアウトを一応受けるけれど、ほぼ決まりだという話に、花道は夢のように思えた。
「捨てるカミありゃ、拾うカミあり……ってヤツかな…」
 花道は、この嬉しい話を、しばらく流川に黙っていることにした。
 ちょうど、流川のトライアウトの時期で、それに集中していたから。

「ルカワ…行ってこいよ」
 トライアウトの度に、キスをしながら、花道はそう送りだしたのを覚えている。
 あれから何日か経っていて、そろそろ結果が出始めているはずだった。
 その日、花道はチームから戦力外通知を受けた。トライアウトがもうすでに終わっているのに時期がずれたのは、花道がすでに口頭で聞いていたからだ。だから、それほどショックは受けないし、新たに自分を引き受けてくれたチームがある以上、不満に思うこともなかった。
 最後の練習から帰宅したとき、部屋は真っ暗だった。新しい家はそれぞれ部屋に区切られているため、見渡せないところが少し不便に思えた。キッチンにも2人の部屋にもバスルームにもいなくて、流川は出かけているのだろうと思った。
 シャワーを浴びてさっぱりすると、頭の中もクリアになった気がした。
 流川に、出かけるところなど、あるとは思えなかった。
 アルバイトも辞めて、夜に訪れる友人もそれほどいないと思う。急に出かけたにしても、メモも残っていないのだ。
 突然花道は青くなって、バタバタと走り出した。
「な……なんかあった…ら、電話くるかな……もしかして、おばけか…」
 これまで部屋の中で幽霊騒動はなかったけれど、実は流川がどうにかされてしまったのだろうか。そんな考えが浮かんだ。
 廊下をウロウロしていたとき、花道はほとんど入ることのない部屋を思い出した。自分のソファベッドを含め、いろいろな荷物置き場になっている元子ども部屋。
「……ルカワ……いるのか?」
 ギイイという鈍い音をさせながら花道が開けると、暗い部屋の中に人影が見えた。全館暖房から切り離している部屋は肌寒く、座っている姿があまりにも動かないので、花道は鳥肌が立った。
「…る…ルカワ?」
 ベッドの上で、流川はじっと座っていた。窓の外を見ているようでいて、実際には何も見ていないのだろうと思う。近寄ると、流川の頬に涙の筋が見えた。
「…ルカワ? な、なんか…あったのか?」
 そのときまで、花道はまだ幽霊のことばかり考えていた。流川が乗り移られたとか、魂を抜かれたりとか、よくわからないイメージだった。
「……桜木…?」
「…お……おお…ダイジョブか?」
 ゆっくりと花道の方に振り返った流川は、無表情のまま、また涙を流し始めた。泣き叫ぶよりも、ずっと哀しそうに見えた。
「る…ルカワ…どうした…」
 花道は、ようやく現実味を取り戻し、流川の背中を抱いた。流川はされるがままに花道の腕の中に倒れ込み、しばらくじっとしていた。
「…二部屋あると……独りになれる空間が持てて…正解だな…」
 突然話し出した流川に、花道の頭が混乱した。やはり、幽霊の仕業なのだろうか。
「…ルカワ…?」
「………オレは…諦めねぇ…」
 花道の腕をギュッと掴み、流川は大きく洟を啜り上げた。
 よく見ると、流川の手の中には紙切れが握りしめられていた。内容までは見えないけれど、それがトライアウトの結果なのだ、とそのときにようやくわかった。
 なぜ、この男が選ばれないのだろう。
 花道は、まるで自分のことのように悔しかった。
 たまたまにしろ、リーグに出場した花道は、誰かの目に止まるチャンスがあった。けれど、その土俵にまだ上がっていない流川を、見定められないに違いないと花道は憤った。こんなにも、努力しているのに。花道は、自分に泣く権利はないけれど、一緒に泣きたい気持ちだった。
 自分が、この男にしてあげられることは、こうして抱きしめるしかないのだろうか。
 花道は、必死に考えた。

   

 

 

2008.10.31 キリコ
  
SDトップ  NEXT