今話16

   

 その日の夕方、2人はまだビデオを観ながら討論をしていたときだった。
 友人も少ないので、電話がかかってくることはあまりなく、その音が鳴るとビックリする。たいていは流川が出ることになっていた。国際電話なら、流川の実家か、桜木軍団がほとんどだった。
 電話に出た流川は、相手が聞き取りにくい英語だったことに身構えた。何やら挨拶をしているらしいと思うけれど、『SAKURAGI』だけは聴き取れたので、花道に替わった。
「…お…オレ?」
「……たぶん…」
 流川も英語の電話は今でも苦手だった。
 花道が電話に出たとき、「桜木だ」と日本語で名乗った。後ろで聞いていた流川は、笑いそうになった。
「あ…オーラ……シ…」
 花道が何か聞き慣れない単語を言うので、流川は行儀悪いと思っても聞き耳を立てた。それがスペイン語だと思い出した。訛った英語だからわかりにくかった、ということがわかったけれど、花道からスペイン語がサラッと出てきたことに、流川は驚いた。
 電話はしばらく続いた。花道が何度も確認しているらしい。
『もう一人の日本人…?』
『ほら…黒髪の…』
 日本人のほとんどは黒い髪だと花道は思う。
 けれど、今の花道のそばにいる黒い髪の日本人は、流川しかいない。
『……はぁ……わかりました…』
 花道が、首を傾げながら受話器を置いた。その様子が、流川には気になった。
「…桜木? ダレからだ?」
「……えーっと……名前ははっきり聞き取れねぇ…」
 そんなアバウトな…と思うけれど、電話では仕方がない、と今は思うことにした。
「…で、なんだって…」
「…日曜に電話してごめんって…」
「……桜木?」
「あ、いや…それを何回も言ってたから…」
 ジロリと流川に睨まれて、花道は天井を見ながら説明した。
「えーっと……なんか…チームに来ないかって…デンワ…」
 流川のきつかった目が大きく見開いた。
「……チーム? どこの?」
「あ……それが………」
 花道が出した名前に、流川はほんの少し眉を寄せた。この州内の万年最下位チームで、去年から外国人監督が就任している。そして、戦力外選手の集まりだと言われていた。もちろんトライアウトをしているけれど、わざわざ受けに行く選手はいなかった。花道も流川も、そこを考えたことはなかった。
「……監督自ら、こうやって電話してンのか…」
 州内にもバスケット選手を目指している男女は多い。けれど、たとえ行くところがなくても、そのチームには行きたくないということなのかもしれない。
「まあ……オレらも…戦力外の選手だしな」 
 花道の明るい声に、流川は苦笑いした。一度もリーグに出ていない自分は、戦力外という言葉にもかかっていないと思っていたから。
「……とにかく、ヨカッタじゃねぇか…これでバイトしなくてもいい」
「…ん?……ルカワ? オメーもだぞ?」
「……何が?」
「黒い髪の日本人と一緒に来い…って言われたモンよ」
「……それ……オレのことか?」
「……たぶん…」
 流川の名前はリーグ上にはないのだから、仕方がないのかもしれない。
 なんとなく腑に落ちないけれど、とりあえずテストを受けてみるかという話になった。

 喚ばれた体育館は、自分たちのアパートから徒歩で行ける距離だった。物騒な地域の、ある意味物騒なチームだから、当たり前なのかもしれない。それでも、体育館内はごく普通の設備だった。いつリーグから外されるかという崖っぷちチームだけれど、一応州内リーグのチームなのだから。
 体育館の中には選手がいたけれど、まだ練習は始まっていなかった。
『君たち、良く来てくれたね!』
 昨日の電話の声だ、と2人ともが思った。
 ラテン系というか、暑苦しいというか、日本ではあまり見ない髪型にも驚いた。この人が監督なのかと、正直驚くばかりで、喜びよりも戸惑いが大きかった。
 よく見ると、若いアメリカ人がいない。こういうチームを見るのは初めてだった。アメリカにいるのに、外国に来た気がした。
『まあ……外国人が多いチームだし…後は…年齢いったりとか…』
 正直にそう説明されて、それが嘘ではないことがすぐにわかったけれど。
『それでも、企業からバックアップがあるし、ビザも出るよ。SAKURAGIと…えー…』
 自己紹介もしていなかったけれど、勝手に話し続ける監督を止めることが出来なかった。
『RUKAWAです』
『そうそう…それでね…』
『あの…監督?』
 まだ何か話し続けようとする監督を、流川は遠慮無く遮った。
『え……なんだい…?』
『あの…桜木はともかく…なぜオレを…?』
 知っているのだろうか。そこが疑問だった。夏のセミナーで見かけたのか、トライアウトのときか。流川はその顔を思い出そうとするけれど、会ったことがあるとは思えなかった。こんなに印象が強い人なのに。
『ああそれね……こないだ、2人でトライアウトしたよね? あれ見てたよ』
 つい先日のあれを見ていたのか。自分たちはたぶん意気込みすぎていたのか緊張していたのか、とにかく周囲の人間は全く見ていなかった。
『君たち、勝っただろ? 聞けばさ、2人とも取ってないっていうから…じゃあ、僕んトコでもらえないかなーと思って』
 まるで自分たちを物か何のように言う。けれど、あまりの明るさに、怒る気にもならなかった。
『……でもまだテストは…』
『だからさー あれ見たからね。どう? 来てくれる?』
 こんなに軽いノリで誘われたのは、初めてだった。花道も流川も自然と顔を合わせて、しばらく目と目で会話した。
『……よろしくお願いします』
『あー よかった! 定員に満たなくてリーグ始まったら困るし…これ以上負けたら、チーム潰れるとこだから…いや、僕がクビになるのかな』
 またとんでもないことを陽気に言う。そんな監督の様子に呆れながらも、2人はどこかホッとした。厳しいアメリカのバスケットだけではなく、こういうチームも存在したことに。
「……最下位かー」
「………湘北も似たようなモンだったろ…」
 県大会で一回戦で消えていくチームだった。メンバーが替わった年、インターハイに出場したのだ。それを思い出せば、力が漲る気がした。
「ルカワ…これってよ…ユメじゃねぇよな…」
 新しく決まったチームの体育館を見上げながら、花道が呟いた。
「……ほっぺた、ツネってやろうか?」
 ジャージで来いと言ったくせに、今日はテストなしだった。
 とりあえず、練習参加は12月に入ってからなので、今日はこのまま外のコートに出ようかと、流川は考えていた。
「……ルカワ…」
 まだ話したりないのかと花道を見ようとしたら、自分の視界が大きく動いた。急に体がフワリと浮いて、流川は慌てて花道にしがみついた。花道が、まるで子どもを抱えるように、流川を抱き上げていたのだ。
「ホントだって言えっつーの!」
 怒っているのかよくわからない口調で言いながら、花道は走り出した。
「ちょっ……桜木…ヤメロ」
 自分を抱えたまま体育館の回りを走り始める。その不安定さに、流川は少し青くなった。けれど、大声で嬉しそうに叫ぶ花道に、流川もようやく現実だと認識し始めた。ポケットに入れたサイン済みの契約書をもう一度服の上から確認した。
 たとえどんなチームでも、と願った。
 こんなにも早く実現するとは思わなかったから。
 自分たちは、チームメイトなのだ。
 流川の目にはじんわりと涙が浮かんできた。
「これこそ…捨てるカミありゃ、拾うカミあり…だよな!」
 花道の肩を両腕でしっかりと掴み、花道に同調して喜んだ。花道があのトライアウトに誘ってくれなかったら、今の自分たちはなかったと思うから。何がきっかけになるかわからないものだと思う。このチームに入れたのは、花道のおかげだと思った。
「…どあほう…」
 こんな言葉しか出てこないけれど、感謝の思いを込めて、流川は心から笑った。

   

 

 

 

 2008.10.31 キリコ
  
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