今話18
クリスマスが日本とは違う雰囲気だと思いながら、2人はごく変わらない日を過ごした。お店が休業すると聞いていたので、事前に食料を買い込んだ。特にイベントもしないし、ごちそうなわけでもない。とりあえず、2人でいられるならそれで良かった。
「教会で…あれなんて言うんだっけ…ミサ?」
食事中に花道が思い出したように話し出した。けれど、花道の説明は流川には理解出来なかった。
「…まあ…とにかく、歌がすっげーの」
「…歌? 賛美歌とか?」
「あ…それかな……なんか、よくわかんねーけど、すげかった」
「……どういうことだ?」
「…キレイ…って感じ…」
花道がそう表現したことに、流川は少し驚いた。流川もホームステイしていた頃、教会に連れられて行ったことがある。花道が教会で敬虔な気持ちになると言ったときも、心の中で同意した。宗教には興味がなくても、不思議な場所だと思った。賛美歌は、ポップスやロックとも違うけれど、綺麗だと流川も思った。
「オレ…よくわかんねーけど、教会スキだな…」
「………そうか…」
「神頼みって…教会も含まれるかな…」
「……さーな」
流川が気のない返事をしたのを境に、花道は話題を変えた。
「そういえばさ、来年また結婚式行くんだ」
「…今度は誰の」
「またレッスンに来てるヤツで…アルゼンチンから来てて、スペイン語で話すヤツで、英語勉強してたんだ」
「…スペイン語?」
「それで、メキシコ人の女の人と結婚するんだってよ。いったいいつの間に…ってヤツだな」
花道は、とてもグローバルな結婚だと言って笑った。自分はバスケットに忙しすぎて、バスケを通して以外の出会いはほとんどなかった。
「…桜木…スペイン語は…」
「ああ…なんか挨拶とかは教え合ったな…アイツも「こにちは」とか言えるし」
なるほど、そういう交友関係のおかげなのか。
自分の知らないところで、花道はこちらの生活にとても馴染んでいると思う。結婚式に招待されるのが2回目ということにも驚いた。自分は未だに行ったことはないのに。
「監督がよ、最初オレにスペイン語で電話してきたから…つい「Si」とか返しちゃって…オレってすげーな…」
自分で自分を凄いという。こういうところが、流川が呆れるところだった。
クリスマス休暇が終わった後、流川と花道はチームの体育館に通い出した。これは流川が交渉したことだが、とにかく使わせてくれと何度も言い、平日だけ了解をもらったのだ。外のコートは雪で埋もれ、雪かきする時間がもったいなく感じた。
「…なんか…湘北の体育館みてーだな…」
休憩のときに花道はそう呟いた。体育館の設備の面ではどこも変わりないと思うけれど、実際にはどう見ても似ていなかった。けれど、花道の言いたいことが、流川にはわかる気がした。自分とこうして2人で練習していることなのだろうと思う。
「……まだ1年前なんだよなぁ…」
1年前には、まだ高校生だった。ちょうど選抜が終わった頃だ。
そう思ったとき、花道は急に走り出した。
「……桜木?」
流川は少し驚いたけれど、放っておくことにした。花道はきっと過去の話をしたくないのだと思ったから。
それから毎日、2人で練習していた。
もうすぐ大晦日という時期に、体育館に他の選手が現れて、2人をかなり驚かせた。
聞けば、バイトが終わり、帰国もしないという。部屋でのんびりしようと思ったけれど、自分たちを思い出した、とつたない英語で話した。
これは、もしかして自分たちの姿に触発されて、自主的に練習しに来たということだろうか。
もちろん体育館に招き入れ、最初は3人でプレーしていた。
午後になって、他にも2人体育館にやってきた。
勝ったことが嬉しかったから、と話した。
流川も花道も嬉しかった。だんだんチームがまとまっていくような気がしたから。
また年明けに練習するという話をして、その年の最後の練習は終わった。
こんなに幸せでいいのだろうか。神様ありがとう。流川も花道も同じようなことを考えていた。ユニフォームを洗濯することが楽しかった。これだけは乾燥機に入れず、子ども部屋に干した。それを見て、花道は流川のユニフォームのことを思い出した。
「ルカワ…オレ…オメーに返してねぇモンがある…」
唐突に言われ、流川は何事かと振り返った。けれど、すぐに思い当たる物があった。
「…ビデオか? 別にもういー」
こちらでは、以前の試合がたくさん観られるようになっているから、わざわざ日本から送らなくてもいいというつもりだった。
「あ…ビデオも…そうだけど、その、ユニフォーム…」
「……ああ…」
選抜の最後の試合に着ていたユニフォームは、汗だけではない汚れにまみれ、花道が手洗いしていた。そのまま、返してもらうのを忘れていた形になる。
けれど、今更どうすればいいのか、流川にはわからなかった。ユニフォームは同じ色のも一枚ではないし、最後の試合のもの、という拘りもないつもりだった。自分はそうだけど、花道はどうしたいのだろうか。
「お……オレ……反省の意味を込めて…手元に置いといたンだ…」
「………反省?」
「その………トツゼン…襲っただろ?」
自分は襲われたのか。そう言われればそうなのかもしれない。あのとき、確かに驚いて、少しゾッとして、抵抗した記憶がある。けれど、それだけなのに。
「…オメーのユニフォーム…すげー大事にしたくて…ムリヤリ着せたのに……汚しちまった…」
流川は、ようやく洗濯物から手を離した。
「その……オレ、ちゃんと洗ったけどよ…でも、ムチャなことして…悪かった…」
花道が、自分に謝った。最初のあのコトについて、これまで話をする気があったとは思えないのに。
「……ムチャ…だったな…確かに…」
流川が抑揚のない声で言うと、花道は少し身構えた。
「汚れって……洗えば落ちるだろ…」
「……まあ……けど…」
「……オレは……その後、テメーの家に行っただろ」
「………うん…」
一度ため息をついて、流川は話を打ち切った。
「……そういうことだ」
「…はっ? どういうこと?」
「……ユニフォームは、オメーが持ってろ」
「………それで…いいのか?」
「…いつまでも飾っときゃいい……テメーが反省だっていうなら、ムチャしなくなるだろ」
もっとも、あれ以来、花道の手は優しい。荒々しくなることはあっても、傷つけるような強引さはない。いつも、穏やかな快感ばかりだ。
そんなことを考えて、流川はまた頬が熱くなった。今年の反省は、今年のうちに。心残りを新しい年に持ち越してはいけないと、花道は考えた。
ものすごく昔のことのように思えるけれど、まだたった1年前のことなのだ。
襲った、と自分で表現したけれど、それは間違いではないと思う。あまりにも突然過ぎた。
けれど、それはいったいなぜだったのか。
それまで、流川に対して欲情したことはなかったはずなのに。そんな悪戯をしたいと思ったこともなかったのに。
大事なユニフォームで、もう着る機会もなかったからわざわざ着せてその姿を焼き付けようと思ったのに。それを汚したのはなぜだろう。
花道は、考えることから逃げていた自分を責めた。だから、考えた結果、謝ったのだ。
「ごめん…ルカワ…」
いろいろと謝らなければいけないことが多いけれど。
今は、こうして流川は何も言わずにそばにいてくれる。
神様ありがとう。流川をありがとう。
心の中で何度も感謝して、花道は眠りについた。