今話20
流川は自分のくしゃみで目が覚めた。結局素っ裸で寝たけれど、花道がいる間はそれほど寒くなかった。
そのくしゃみを聞いたのか、花道が部屋へ駆け込んできた。
「ルカワ?」
流川は瞬きしていたけれど、体は起こさなかった。
「…さみーか?」
花道の顔をのぞき込まれて、流川は違う返事をした。
「……お茶…」
「お茶? あちーのだな?」
入ってきたときと同じように、花道はまた走って行った。
流川は昨夜そうしていたように、またじっと指輪を見た。目が覚めても、それはそこにあって、相変わらずの存在感だ。いずれこれに慣れることがあるのだろうか。慣れるまで、しているのだろうか。花道が行為の間も何度かしたように、流川もその指輪にキスをした。
行為の間、流川は過去の自分の間違いを訂正しなければと、ずれたことを考えていた。初めて花道とそうしたとき、あまりの痛さに呻くだけだったのに。あのとき、聞いたことのある経験談を否定した自分がいた。今日は、その自分を否定しなければならない。
体が自分の云うことを利かなかった。その快感が恐ろしくも思えた。
花道に、どこまで自分も知らなかった痴態を見せなければならないのか。
流川は目覚めてから、動揺していた。結婚の話ともども。
そのための、お茶だった。「そーいや…オメーってお茶よく飲むよな」
「……コーヒーよりいい」
外ではコーヒーを飲む機会もあるので、家ではお茶だ。コーヒーメーカーもあるし、パンのときは自分で作る。嫌いなわけではない。
「オレよ…オメーが急須でお茶入れてて、ちょっと驚いたぜ…」
花道は、自分のお茶も入れて、ベッドに腰掛けていた。
「……別に…日本人なら…ふつー」
出来るだけ、気のない返事をした。花道に話さなければならないほどのことでもないと思っているから。
アメリカに来て一人暮らしを始めたとき、急須でお茶を入れると花道を思い出した。忘れようと思うのに、わざわざ日本から買ってきていた。花道は、こうして自分によくお茶を入れていた。それをじっと見ていると、花道がおかしそうに笑ったのだ。自分に笑顔を向けたことを覚えていた。だから、辛いときや落ち着かないとき、平静に戻るためにこうしてお茶を飲んでいた。
流川が黙ったので、花道もそれ以上何も言わずにお茶を啜った。
その指には、まだ指輪があった。流川はそれを外そうとはしない。昨日の告白が聞こえていないとも思えないし、指輪の意味もわかっているだろうと思う。返事はないけれど、花道は機嫌が良かった。
「ルカワ…起きれそうなら、シャワーしろよ…で、メシにしようぜ」
花道に促され、流川はゆっくりと立ち上がった。床に脚を着けるとき、体に力が入らなくてバランスを崩した。すかさず花道が脇を支える。こうなることがわかっているということが、流川には気恥ずかしかった。素っ裸のことよりも、支えられることの方が恥ずかしいのだ。けれど、怪我はしたくないので、その肩に掴まった。
シャワーでさっぱりして、気持ちを切り替える。今日は体育館も使えないし、外コートも雪で駄目だろうと思う。動けない自分を考えないようにしていた。
流川は、そのときまで、自分はいつも通りに起きたと思っていた。
「食えそうか?」
「……なんでこんなたくさん…」
「……オメーの2食分だ」
そのとき初めて時計を見て、昼食時間だということを知った。
寝るのが遅かったとはいえ、ずいぶん長い時間眠っていた。
「ま、食えそうだったら…じゃ、いただきます」
花道は手を合わせてから、ふと立ち上がった。向かいに座る流川に近づき、チュッとキスをした。ご飯の上で何ということを、と流川が呆れて見返した。
「…おはよう、ルカワ」
朝の挨拶がまだだ、ということだろうか。
花道は、機嫌が良いのか。それとも、ただ浮かれているだけなのか。
そういう自分も、心の中で毒づきながらも顔が赤いのがわかるので、何も言えなかった。
午後は予定通り、ビデオを観ていた。真剣に見ているはずなのに、流川は眠ってしまった。こんなに寝てばかりいたら、生活の時間が狂ってしまう。そう思うのに、眠気に勝てなかった。その時間に、花道が外出していたことも気付かなかった。
夕食も花道が作った。今日は何もしなくていいと言われ、流川は素直にそれに甘えた。
食べながら、流川は日付のことを考えた。夕べは日付が変わっていたし、今日も寝てしまったりしてわかりにくいけれど、今はまだ1月1日のはずだった。日本にいるとき誕生日だと教えたはず。それを祝ってほしいのではないけれど。何も言わないのも不思議に思えた。
流川は、ようやく冷静になった自分の頭で、「結婚」のことを考え始めた。
「……桜木……何か…オレに言うことはないか?」
「…ん?」
食事の後片づけをしていた花道は、座ったままの流川の方に振り返った。それから、またお茶を入れて、流川に差し出した。すぐそばに立って、花道はまたキスをした。
「……ハッピーバースディ…ルカワ」
花道は、流川の隣の椅子に腰掛けた。そうして、もう一度キスをして、流川をじっと見つめた。
「ちゃんと覚えてるぜ? ケーキは作れないけど、エクレア買ってきたぞ」
「………そーじゃねぇ…」
「え………他って…ハッピーニューイヤー?」
流川は、呆れて表情が固まった。なんておかしな男だろうと思う。
けれど、たぶん自分は、この鈍感な男が好きなのだ。
「……テメーはいつでも……順番がおかしい…」
「ど…どゆこと?」
花道が目を見開いた。こういう話題になるとは思わなかったのだろう。想像力豊かな男だと思ったけれど、妙なところでずれている気がした。
「…こないだ…謝ったのは…テメーの「けじめ」か?」
襲ったという言葉は、流川はもう使いたくなかった。
「あ……そ、そうかな…」
流川は、まだ理解していない花道の膝の上に座った。こういう体勢で花道を見下ろすのはこれが初めてで、流川の戸惑い以上に、花道が驚いているようだった。
「…る……ルカワ…君?」
「……確かに……カラダが先だった…」
「……う……はい…」
「…テメーは……ダレにでも、あーゆうコト、したのか?」
「ち、チガウぞ! オメーにしか…」
流川は昨日花道が自分にそうしたように、花道の頬にそっと手を置いた。
「……なんで…オレ?」
「そ、そりゃ…オメーのこと…スキだから」
流川の誘導に、花道はあっさりと乗った。これまで自覚していなかった単語が自分の口から飛び出して、花道はますます動揺した。
「スキ? え……?」
花道がまだちゃんと理解しないうちに、流川は花道にキスをした。
そのキスで、花道はようやく流川の言う「順番」のことがわかった。
まず、人を好きになって、告白して、互いの気持ちを確かめて、体を重ねる。そういう流れを無視してこれまでやってきた。それでもお互いがそれでいいと思っていたから、ずっと変わらないと思ったのに。花道が、一度も「好き」と言わないまま「結婚」という言葉を出したので、流川は落ち着かなくなったのだ。それでも、その指輪を外さなかったけれど。
角度を変えて、もう一度キスをする。
何度しても、あまりにも気持ち良くて、心が躍る気がする。
流川は、心の中で「はい」と返事をした。