今話21

   

 3月の後半に入った頃、流川は心の中で少し落ち着きをなくしていた。
 花道の目には、期待しているという言葉が書いてあるように見えた。実際、花道は自分の誕生日をちらつかせる。エイプリルフールだから嘘をつかれると本当だか何だかわからなくなったと、過去の誕生日話をしていた。
 流川は花道の誕生日を知っていた。花道が自分から言うまで知らない振りをしていたけれど。これまで、花道を祝ったことはない。日本では、そんな仲ではなかったから。
 何かしてほしいと具体的にお願いされれば、流川は可能な範囲で応えただろう。けれど、花道は目で訴えるばかりで、何も言わない。考えても、思い浮かばなかった。
 ただ、自分の誕生日にしたことが花道のしたいことであったならば、ああいう感じがいいのだろうと想像した。自分も湖に連れて行ってキスをすればいいのか。花道は指輪をほしいのだろうか。あれ以来、返事を求められてもいない。3ヶ月近く経っているのに。
 このチームで2シーズン目を迎えることが出来たせいか、日常に向ける気持ちが少し多くなった。チームに入れなかったときは、エネルギーを全力でそれに向けていた。今は、チームで強くなることを考えられる。

 流川は指輪を、出かけるまでと、帰ってからすぐ、という約束で填めている。今ではかなり慣れていて、あんなにも存在感のあった指輪が、あまり気にならなくなっていた。まるで、一体化してきたようだ。
 ただ、花道は安くてごめんと付け足していたとおり、銀色だったそれがだんだん黒ずんでくるように見えた。どうすればいいのかわからないまま、流川はそのまま付けている。どこへ相談すればいいのか、誰にも聞けない気がした。
 自分がもし花道に指輪を買うならば、ちゃんとした宝石店がいいのではないかと思った。自分は大切にしているつもりだけれど、変化してしまった。同じように色の変わる指輪ではなく、もう少し値段の張るもの。
 そこまで考えて、流川の頬は急に熱くなった。
 何年付けていても、色の変わらない指輪。
 そんなことを考えた自分に、急に照れてしまったのだ。
 ずっと、末永く、付けてくれ、と言っている気がしたから。
 自分だけ、そんな上等なものにしなくてもと思い直し、流川は首を横に振った。

 3月の最後の夜、流川は花道より先にベッドに入っていた。今日も練習だったし、明日明後日もある。流川の誕生日のように、いつでも祝日というわけではない。だから、今日はしたくない。けれど、花道はどうだろうか。流川は自分に拒む権利があると言われていても、今日明日は拒みきれないかもしれない自分の甘さに気が付いた。どこまでも、花道を許してしまう自分が不思議だった。
 シャワーから戻った花道がベッドに入ってきて、当たり前のように流川に両腕を巻き付ける。今日は流川は窓の方に向いていたので、抱き寄せられて流川の背中が温かく感じた。花道の左腕が自分を抱いたので、流川はその上に自分の左腕を乗せた。
「ルカワ? 起きてたのか」
 流川から反応があって、花道は少し嬉しかった。
「…桜木」
「…なんだ?」
 花道の腕は、ただ抱き寄せる以外、動かなかった。今夜はそのつもりはないということなのだろうか。流川はホッとしているのに、どこか肩すかしの気分にもなった。そんな自分にため息をついてから、改めて話し始めた。
「…前から聞きたかった」
「……なにを?」
「……結婚って…どういうことだ?」
 そんな話題とは思わなくて、花道は目を見開いた。腕の中で流川の体が強張っているように感じた。躊躇っているのか、聞くのに勇気がいったのか。花道は、腕に力を少し込めてから、言葉を選ぼうと思った。その間に、珍しく流川が質問を続けた。
「…指輪してたら……それでいいのか?」
 流川がそんな風に考えるとは思わなかったので、花道の驚きはかなりのものだった。
「あの…ルカワ? そうじゃなくて…」
「……テメーは……オレの返事を聞かなかった。テメーはオレがコレを付けてりゃ満足なんだろ?」
 返事を促さなかったことが、そういう発想になるのか。花道は、遠慮した自分を反省した。やはり、まだまだ自分たちには会話が足りないのだ。
「ルカワ…オレそんなつもりじゃねー」
 流川自身、自分で自覚したつもりもない内容が口から出てきて驚いていた。指輪は頼まれるままに付けていたけれど、別に不満もない。ただ、やはり一方的に感じていたのは本当で、心の底でこんなことを考えていたのかと、自分に戸惑っていた。こんなことを話したかったわけではないのに、今更止められなかった。
「確かに…オレまた順番とかおかしいかも…けど、「形」がほしかったし…オメーが外さねーから…」
 花道の言うとおり、流川は今では自分で付け外しをしている。花道が付けることもあるけれど、流川は流川の意思で家の中で付けたまま生活をしているのだ。それは確かに、「イエス」だと無言で言っているように見えただろう。実際、流川は言葉にしていなかっただけだから。
「……オレたちは男同士だから…その、籍とかまでは考えてなかったけど、それでも「ごっこ」でも、形があったら安心できると思った」
「……安心?」
「…だってよー、オメーこっちでもモテてるじゃねぇか…」
「……はぁ?」
 流川は自覚していないけれど、今でも流川は女性に人気がある。主に日本人やアジア人からだが、チームメイトの彼女たちも騒いでいる。アメリカ人にどうなのかまではわからないけれど。花道は、不安だった。流川を繋ぎ止めるための指輪ではないけれど、流川が自分が贈った指輪をしているのを見ると、とにかく嬉しいのだ。もっとも、これは後から思いついた言い訳で、最初はやはりただ結婚式での言葉がきっかけだった。
「……それと……指輪とどんな関係がある…」
 花道が詳しく語らないので、流川にはまだ理解できなかった。こういう面での流川の想像は、至って貧困だった。
 外出先で指輪をするならともかく、2人きりのときだけにする指輪にどのくらい意味があるのか。流川にはわからない。これまでも、花道がそれで満足ならそれでいいと思っていたのに。
 どうしてこんな会話になってしまったのか。流川は少し後悔し始めていた。
「これ……オレのモノ…っつったらオメーは怒りそうだけど…オレの流川だって思える」
 そう聞いて、流川は確かに少しムッとした。自分は物ではないのだ。けれど、花道の言いたいこともわかった。
「オレは、病めるときも健やかなるときも…、この指輪の相手に尽くす……というのかな…そんな感じのこと考えてたかな…」
 花道が急に照れ始めたのか、流川の背中に額を擦り付けた。
「…そんな…自分への決め事だから…」
 だから、返事をほしがらなかったというのだろうか。
「……じゃあ……テメーのは…ふつーのプロポーズじゃねぇんだな?」
「…ん? そうなのか? オレはちゃんとその…ぷ、プロポーズだったけど…」
 どういうものが普通なのか、流川もよく知らないけれど。自分の両親は結婚して、一緒に暮らしているし、子どももいる。そういうのが「結婚」なのだと思う。結婚指輪は、「結婚しています」という状態を世間に示すものだと思っていた。
 では自分たちはどうなのだろうか。男同士なのに。
 花道の話は少しわかりにくかったけれど、そういう常識的な結婚ではなく、2人が互いが結婚相手だと思っていればいいということなのだろうか。
 流川は花道の言葉を呑み込もうと、しばらく黙っていた。
「…桜木…」
 流川の声が急に穏やかになって、花道は顔を上げた。首筋に顎を乗せるようにして、伸び上がった。
「……ルカワ?」
「……テメーは…誕生日に何がほしい?」
「…誕生日?」
 突然話題が変わって、花道はすぐに答えられなかった。
「お…オレな……ちょっと…正直に言っても笑わねぇか?」
「……わかった…」
「その……なまえ…呼んで…ほしーなー…なんて…」
 流川の想像と全く違う言葉が出てきたせいか、すぐに反応出来なかった。
「だ……ダメか?」
「……なまえ?」
 いつも呼んでいる。昔のように、ふざけたあだ名ではなく。
 そう思ったけれど、流川は花道の言う意味がわかった。
 ファーストネームで呼べということが。
「こ、こっちでは…みんなそうだろ? チームでもみんな「カエデカエデ」って呼びやがる……しょーがねーとは思うけど、オレもまだ言ってねーのに…」
 早口で言い訳のように呟いた花道があまりにもおかしくて、流川は少し俯いた。呼んだことはないと言ったけれど、たった今連呼したではないか。流川は呼び名に拘ったことはなく、誰かが花道を「ハナミチ」と呼んでも気にしていなかった。まだまだこの男のことは予測がつかなくて、飽きないものだと思う。さっきまでの話の流れなら、てっきり「指輪」を希望すると思っていたのに。花道が欲しいと言った物と、自分があげたいと思う物が違ってしまった。けれど、この指輪が花道の気持ちの表れだというのならば、流川は流川なりに伝えようと思った。ただの「お返し」ではなく、自分の気持ちを込めて。
 流川はじっと握りしめていた右手の中から、それを取りだした。未だ乗せられたままの花道の左腕を取って、目指す指にゆっくりと填める。お互いの左手を並べてみると、ペアリングになった。
「………ルカワ?」
「……誕生日………でと」
 あまりにも小声で聴き取れなかった。
 花道は、流川の言葉を待っていたけれど、それよりも指輪に驚いて固まってしまった。
 流川の指輪はそこにちゃんとある。そして、自分の薬指にも同じような指輪があった。
「……これ…」
 花道がじっと見つめるその手を取って、流川はそこにキスをした。
「…テメーは…日本生まれだから、日本時間でいい…」
 アメリカで4月1日になるまでにまだ1時間以上あった。そんなことまで考えてくれたのだろうか。花道は瞼が熱くなってきて、流川を力強く抱きしめた。
 こんな風に、喜んだり、喜ばせたり、笑ったり怒ったり、喧嘩したりして、ずっと一緒にいられますようにと願掛けをした。この指輪は、自分への返事ではなく、流川からのプロポーズなのだと思えた。
 泣いている自分があまりにも感動屋すぎる気がして、花道は必死で涙を堪えた。それでもつい洟を啜ってしまい、流川の背中に瞼を押しつけた。流川に初めて祝ってもらう誕生日が、こんなにも幸せすぎていいのだろうか。そう不安になるくらい、花道は嬉しかった。
 かなり時間が経ってから、流川が花道の腕をギュッと掴んで、小声で「はなみち」と呼んだ。 
 

 

 

 

2008.11.11 キリコ
  
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