今話23
8月に入ってすぐに、桜木軍団が来ることになっていた。
最初にその話が上がったとき、花道はもちろん喜んだけれど、部屋に泊めることについて少し躊躇った。けれど、観光シーズンのホテルは高く、安ホテルはやはり心配で、流川に相談した。これまで、2人の部屋に誰も招いたことはない。流川の両親が訪れたときも、部屋は見せても、ホテルに泊まるようにお願いしていた。
「……しょーがねぇ…」
お金もない友人たちが、日本に帰ろうとしない友人にわざわざ会いに来るというのだ。邪険には出来ないし、流川も知らないわけではない。誰かが訪れるときにする苦肉の策を用いることになった。2人がただのルームメイトのようにするのだ。
「…テメーの荷物、あっち持ってけ」
普段物置になっている部屋に花道は引っ越しをする。それでも、その部屋で寝たことは一度もない。今回も、桜木軍団が来るその日まで、花道は相変わらず流川と一緒だった。空港で懐かしい顔を見たとき、花道は涙が浮かんできた。1年ぶりに会う悪友たちに、気を遣うこともない。花道がつい一人一人にハグをすると、全員が驚いた。
「…花道、ずいぶんアメリカナイズされたな」
日本にいたときから表現がオーバーな男だったけれど。
「ところで…ルカワは?」
「ああ…アイツまで来たら、クルマに乗れねーから」
「……車で来たのか?」
「…借りモノだけどよ」
花道が車を運転する姿を初めて見る。今では全員が運転免許を持っているけれど。
「へー……アメリカの道路は広いな…」
眠気も飛んで、窓の外を珍しそうに見てしまう。花道は運転に慣れていないからとあまり話が出来なかった。危なっかしい様子ではないけれど、とりあえず静かにしていた。
花道は自分のアパートの階段に、自分の親友たちがいる光景が不思議に思えて、何度も振り返った。お互いに物珍しいのだ。
そして、桜木軍団が知っていても想像出来なかった流川との同居に、やはり驚いた。
部屋の中に、流川が本当にいたのだ。
「……いらっしゃい」
そう招き入れられて、全員が立ち止まってしまう。花道ですら驚いたようだ。それでも、一瞬の間の後、桜木軍団はいつもの様子を取り戻した。
「ちーす」
「ジャマするぜ」
「出迎えごくろう」
「……世話になるな…ルカワ」
一人ずつ、そんな挨拶をする。流川は気構えていた分、ため息をついた。それほど親しくない知り合いとの再会は、やはりぎこちないのだ。夕方になって、花道は流川の部屋に入ってきた。
「アイツら…ちょっと寝るっていうから…」
「……そうか」
「そういや…オレも夕方から寝ちまって…時差ボケひどかったな」
花道がアメリカに来たとき、流川は花道の相手をしなかった。アルバイトに行っていたせいだが、それでも少し後悔している。ご飯の心配もしてあげなかった自分を冷たいと、今では思う。それでも、突然やってくる方が悪いのだとも思う。自分があんなにも動揺するとは思わなかった。
「……テメーは…ベッドに上げても起きなかった」
「…起こしてくれりゃヨカッタのに…」
「…いろいろ……あるモン食ってたな…」
「だって……部屋から出られなかったモンよ…」
「……ふつーホテル取ってくるだろ…」
「……オレはふつーじゃねぇの」
今では笑い話に出来るくらいになった。
花道は、ベッドに座る流川の腰を引き寄せた。これまで出来なかったキスをしようとすると、流川の手に阻まれた。
「……ヤメとけ…」
「……なんで?」
たぶん流川の部屋と紹介したここには入ってこないだろうけれど、すぐ隣に悪友たちがいるのに、どうしてこういうことが出来るのか。流川は花道の神経を疑った。デリケートなところもあるけれど、ときどき神経が図太いとも思う。
「…いや……元々図太いか…」
「……何の話だ、そりゃ…」
こうして、いつものようにビデオを観ていると日常だけれど、しばらくすると隣から物音がするようになった。客人がいることを思い出して、花道はまたあちらに行ってしまった。流川はため息をついて、また画面に目を戻した。それから、外食するときも家で食べるときも、流川は必ず誘われた。花道には5人で勝手にしろと言っておいたはずだが、洋平たちの方が声をかけるのだ。
「ルカワも行こうぜ」
あまり断りすぎるのもおかしいかと思い、一緒に行動する。けれど、流川はすぐに後悔するのだ。桜木軍団の会話に入れないし、花道はどちらに話しかけるか迷うらしい。きっと以前の花道ならば、自分のことを無視していただろう。そうすればいいのに、と思うのに、今の花道にそれは難しいらしい。
ただ、洋平たちが、アメリカでの花道のことを聞きたがっているのがわかったので、流川は正直に答えた。
「アメリカは…初めてか?」
「…おお、海外自体初めてだぜ」
「なんか、いろいろデケーな」
「…そうそう、キッチンとか、オメーらでもちょうどいいだろうな」
シンクの高さのことだろうか。そういえば、日本の花道のアパートは、確かに低めの作りだった。部屋のドアも、首をすぼめながらでしか通れなかったのだから。
「…いや、デケー人間ばっかだよな…花道たちがふつーに見える」
「じゃあ…オレらコビトか…」
「ちげーねー」
そうして楽しそうに笑う。流川にはその笑いに付いていくことは出来ないけれど、これだけ大量の日本語に囲まれるのは久しぶりで、やはり気が楽だった。その日の夜遅く、隣の部屋がようやく静かになったと流川がため息をついたとき、部屋のドアが開いた。
「…桜木?」
「……あっち狭いって…追い出された…」
口を尖らせながら、寂しそうに定位置に倒れた。シングルベッドと、花道のソファベッドでは、確かに4人が限界なのかもしれない。今日は疲れているからゆっくり寝させてほしいと、花道は追い出されたらしい。
「…床で寝ろってコトじゃねぇのか?」
「……ルカワまでヒデー…」
背中から花道に巻き付かれて、流川はその腕をポンポンと叩いた。自分が床に寝ろと言ったつもりではなく、桜木軍団と寝たいなら床しかないという意味なのに。結局ここで寝始めた花道に、流川はまた錯覚しそうになる。ベッドの上だけと約束して、花道に指輪を付けた。次の日の朝早く、2人は起きて行動した。花道は洋平たちの分の朝食を準備するためで、流川は少しでも涼しいうちにコートに出たかったからだ。
バスルームで顔を洗っているとき、ドアをノックされた。花道はそんなことをしたことがないので、流川は客人がいることを思い出した。
「…どーぞ…」
ドアが静かに開いて、寝ぼけ顔の洋平が顔を出した。流川は顔をタオルで拭きながら、洗面所を譲った。
「おう…おはよう、ルカワ」
「……うす」
「ここン家って…トイレは別なんだな」
「……そう…」
「…日本のとチガウけど、湯船もあるし…」
「……おう…」
洋平に話しかけられて、流川は出ていくタイミングを失った。ドアを開けたままでいると、キッチンから花道の下手な鼻歌が聞こえる。会話の切れ目に、流川も洋平も笑った。
「早起きだな…ルカワ」
「…昼は暑い…練習しにくいから」
「…コートに行くのか?」
「……そう」
「…花道も?」
「………たぶん…行かねー」
桜木軍団がいるのだから、たぶんコートには行かないと思う。そんな相談はしていないけれど。
「…オレらも行っていいか?」
「……コートに?」
髪を整えた洋平は、見慣れた姿になった。さっきまでのぼんやりした顔ではなく、以前のようなリーゼントだった。
「…そう」
「………桜木がいいなら…」
花道は花道なりに、親友たちを案内しようとしていた。だから、5人で相談すればいいことだ。
流川は、この会話の間、ずっと指輪を付けたままでいたことに気付いていなかった。
花道は、桜木軍団が行きたいと思うところに連れて歩いた。ほとんどは観光地ではなく、花道がいつも行くところが多かった。
「これが体育館…今は開いてねー」
花道と流川が所属していたチームの体育館や、2人が以前住んでいたアパートにも立ち寄って、車を借りた留学生に挨拶もした。
夏のオフシーズンの間、2人がよく行くコートにも付いて行き、2人のプレーや黒人との対戦も観た。ここでもそれなりに顔見知りらしく、しばらく立ち話をしている姿に、全員が驚いた。
「花道より高いぞ」
「…花道がエーゴ話してる」
流川だけでなく、花道もこの街に馴染んでいる。その様子をじっと見ていた。
ある夜には、花道の英語レッスンの友人の家に遊びに行った。これまでも、まれに流川も一緒に行っていたが、パーティの雰囲気にさほど興味もなく、それほど積極的ではなかった。けれど、桜木軍団はとけ込むのが早く、流川よりも親しくなっていた。ソフトドリンクしか飲んでいないと思うのに、一緒に歌って踊っている。ラテンのノリに付いていっていた。
「…英語がなくても…なんとかなるモンだな…」
花道の感嘆に、流川も同意した。ある意味もの凄い技術だと思う。
こうして今ひとつ馴染めない2人が隅で立っている様子を、桜木軍団はさりげなく見ていた。彼らの生活を垣間見るように、じっと観察していた。