今話24
桜木軍団が来ている間に、花道はキャンプの仕事のおまけに行かなければならなかった。3ヶ月分のビザのため、と自分に言い聞かせていたが、せっかく友人たちがいるのにと残念に思った。
「オレらはテキトーにしてるから、行ってこいよ」
そう笑顔で送り出されて、花道はしぶしぶ出ていった。
昨夜の会話を思い出して、少し頭を抱えながら。「ダニエラ? どんな子?」
「うーん…ギリシャ系…いや、イタリアだろうなぁ…黒い髪の毛がフワフワしてて、目が印象的」
「色っぽい?」
「……そりゃもう…」
花道が思い出すように話し始めたことを、桜木軍団は興味津々で聞いていた。
話のきっかけは、花道の周囲に女性の匂いがしないということからだった。
「オレだって……それなりに…」
「…それなりに?」
「…日本でいたときより……声かけられる」
「……花道からじゃなく?」
「……オレぁ……ンなことしねぇ…」
こちらの女性が大胆で、ビックリするという話に誰もが笑った。どちらかというと、花道は大人しい、可愛らしい女の子が好みだから。
「なんか……胸なんかボーンと開いてて…スゲーよな」
「じゃあ…せっかく言い寄られても…付き合ってねぇのか」
「………ねぇ…」
「でも、キャンプって1ヶ月くらい一緒だったんだろ?」
「……でも……何もねぇって」
「…ナイスバディに言い寄られてか?」
信じられないと爆笑されて、花道は一生懸命説明する。それは男ではないと言われ、改めて流川のことを言えないもどかしさを感じた。自分には、もう決まった相手がいるのだから。
大声でそんな話題を繰り広げていたとき、花道の部屋を流川がノックした。
「桜木…デンワ」
「……オレに?」
「……ダニエラって」
流川の口からその名前が出てきて、花道はすぐに青くなった。大急ぎで立ち上がった花道を、桜木軍団は背中から冷やかす。流川は今ひとつ状況が飲み込めなくて、ただじっと花道を見送った。
「…ダニエラ?」
「ルカワ…知らねーの?」
「ヤメロって!」
洋平が小声で嗜める。けれど、からかう声は止まらなかった。
「キャンプでセマられてたんだって…ダニエラちゃんに」
至って簡素な説明だったが、流川にも十分理解できた。そして、初耳の内容に、流川の表情が硬くなっていった。
「……へー」
冷たい目をしながら、とりあえず返事らしきものをして、流川は自分の部屋に戻った。
急に苛々し出した自分はどうしたのだろうかと、流川自身が戸惑っていた。これが俗に言う「嫉妬」であり、花道が指輪が安心と言った意味が少し理解できた。もっとも、冷静になるまでずいぶん時間がかかったけれど。
そういえばキャンプから戻って以来、花道は積極的に電話を取っていた気がする。以前は、そうではなかったのに。あれは、自分にばれないためにしていたことだったのか。長電話をしているようには見えなかったけれど、とりあえず自分の知らない相手と何か約束でもしていたのだろうか。
「……にゃろう…」
ベッドに倒れ込んで、流川は花道の枕を殴った。そんな自分が恥ずかしくて、流川はしばらく起きあがれなかった。そして、その夜、花道がベッドに上がってくるのを流川は蹴飛ばして止めた。
「な、ナニすんだ、ルカワ!」
「…ウルセー…どあほう」
「そ…その、あのデンワはナンでもねーぞ!」
「……ダニエラちゃんか?」
「な……なんで……」
「……オレは聞いてねー」
「……い、言ったら…ゴカイするかと思って…」
「………でも、アイツらには話したンだろ」
「だって………オメーのこと話したら、怒るだろ?」
「………どあほう…」
自分たちは出来るだけ声を抑えたつもりだったけれど、それは最初だけで、だんだん怒鳴り合っていた。
主に、流川の大声が聞こえて、隣人は大いに驚いていた。
からかった自分たちを反省して、彼らは隣の部屋をノックした。
「その…ルカワ…悪かった」
ドアが開いたことにも気が付かなくて、流川も花道の驚いてそちらに向いた。
「花道はそんな器用な男じゃねぇからよ」
「…だから…たぶんウワキなんかねぇって」
「……そういうわけで…結構聞こえるから、チワゲンカはオレらが帰ってからにしてくれよ」
「…じゃーおやすみ」
パタンとドアが閉まっても、2人とも固まったままだった。
「……チワゲンカ…?」
流川がその意味を理解しようとしばらく黙り込んだとき、花道も首を傾げていた。そして、その次の日が花道のバイトの日だった。
「ダニエラちゃんに会うのか?」
「……会わねーって。バスケの指導なんだからよ」
「…帰りの待ち合わせのデンワか?」
「ち、チガウって!」
桜木軍団は、確か昨夜謝っていたはずなのに、今朝になったらまた同じことで花道をからかっている。おかしな奴らだと流川はため息をついた。
流川は、キッチンでその会話を聞いていたけれど、花道を見送らなかった。その日の昼食はカレーだと花道が言っていた。
「ルカワも食べようぜ」
部屋の中にいて別々に食べるのはおかしいと言い張られ、流川はキッチンに喚ばれた。勝手にすると言った通り、彼らはカレーを温めてすでにお皿に盛っていた。
「ルカワ…もっとほしかったら、おかわりしろよ」
いったい誰の家なのかわからないくらいだ。流川は口の端で笑って、食べ始めた。
自分が話さなくても、会話は勝手に進んでいる。何か聞かれるまで、流川は何も話さなかった。
「おお…カレー、うめーな…」
「懐かしいな…」
「花道のカレーだな」
その言葉に、流川は飲んでいたお水を吹き出してしまった。
「お…なんだルカワ…新手のギャグか?」
「そんなノリもできンじゃん」
自分のリアクションですら遊び道具になるらしい。けれど、口でそう言いながらも、ペーパーを取ってくれる。やはりおかしな連中だと思う。
実はそのカレーを作ったのが自分だと、流川は最後まで言えなかった。食事の後片づけを決めることさえ、彼らには遊びの一環らしい。
「ルカワもじゃんけんな」
お客とか、そういうのは全く関係ないらしい。そんな割り切った関係が、流川には心地よかった。もてなさなくてもいいのだ。
流川がお皿を洗い、洋平がそれを拭くことになった。正直なところ、流川は洋平以外の3人と話したことはほとんど記憶にない。桜木軍団の中では、一番落ち着いて会話になる相手だった。
「なあルカワ…」
「……なんだ」
「…お前から見て……花道、こっちでやれてると思うか?」
「………ああ…思う」
「…オレらもそう思う」
「………そうか」
ではなぜわざわざ尋ねるのだろうか。流川はそう思ったけれど、自分から聞かなかった。
「アイツな…大学ンとき……ひでー顔してた…」
ひどい顔という顔が想像できなかったけれど、あの花道が悩んで落ち込んでと洋平が続けたので、流川は黙っていた。
「……あんなツラ……見てられなかった」
「………そうか…」
「アメリカ行くって言ったとき……留学でもねぇし、何の保証もねぇけど……ホッとした」
「………そうか…」
「…今の花道は……幸せそうだ」
「………そうか?」
「…おう……ありがとな…ルカワ」
流川は手を止めて、隣に立つ洋平を見下ろした。自分よりはるかに小さい男だけれど、この男は器が大きい。強い男だと思っていた。花道の、たぶん一番の親友が、自分にお礼を言っている。
「……なんでオレに言う…」
「ん? なんとなく…」
それ以上会話はなかったけれど、流川は穏やかな気持ちでキッチンを離れた。その日の夕方、帰宅した花道は、桜木軍団と少し離れた公園に出かけた。ぼんやりと座っているだけでも気持ちのいい風があたって、過ごしやすい場所だった。
「オメーらに…話しておきたいことがある」
円陣を組むように座っていた桜木軍団は、花道をじっと見つめた。こうして、5人が揃うことはこれからあまりないと思った。
「……ルカワのことか?」
逆に問われて、花道は目を大きく見開いた。昨夜の「チワゲンカ」という言葉から、もしかしてとは思っていたけれど。
「…やっぱ……バレてる?」
花道は照れ笑いをした。その顔は、昨日の女性の話をしているときよりも、嬉しそうだった。
「…まあ…な…」
桜木軍団は、いつか花道の部屋に流川が一人でいたときからおかしいと思っていたし、卒業式の後、流川がわざわざ花道に会いにきたことも気付いていた。何しろ、花道は流川の名を大声で叫んでいたから。あの後、花道が苦しむ姿に、流川に傷つけられたのかと思ったくらいだ。
「チガウ…どっちかっつーと……オレが悪ぃ…」
花道が素直に自分の非を認める姿勢に、全員が驚いた。花道は、この1年で確かに成長したのだろう。
「あのな…マジな話なんだけど…」
花道はかなり躊躇いながら、ポケットから指輪を取り出した。そして、その指輪の決まった位置に填めて、親友たちに見せた。
「その…オレ……こうなったから…」
「……こうって?」
「えっ……その…結婚した…のかな」
「……なんかアイマイだな」
親友たちに笑われて、花道も俯いて笑顔を見せた。
「式あげるとか、籍とか法律じゃねぇけど……コレ、もらった」
「…ルカワにか」
「オレも……いやオレが先に、渡したんだ」
花道がじっと指輪を見ているので、彼らもじっとそれを見ていた。
「…花道?」
「……ん?」
「…いま、しあわせか?」
改めて聞かれて、花道は一瞬言葉に詰まった。全員の目を見回してから、花道は笑顔を向けた。
「…おお…」
その表情に、全員がホッとした。花道が幸せならば、親友としてはただ応援するだけだった。
それからしばらく、花道の独壇場だった。自分たちに最初に打ち明けたと言った通り、これまで誰にも言えなかった愚痴が始まったのだ。
「こんなこと…ダレにも聞けねーから、オレってホモかなってルカワに聞いたら、とりあえずヘンタイだって言われてよ!」
そんな2人の会話は、どう聞いてもただイチャついているだけだと思った。けれど、花道はようやく話せる相手を得て、しばらく止まらず、花道と流川の生活がかなり漏れてしまっていた。流川が聞いたら怒るだろうな、と全員が思ったけれど、誰も親友にストップをかけなかった。
花道の52番目の相手だとは思っていた。振られなくて良かったと心から祝えるけれど。どうして男で、流川なのか。いつか聞いてみたいと思う。
そして、この大切な親友を選んだ流川という男を、誇りに思った。その日の夜、花道がシャワーにいるとき、洋平が流川に声をかけた。
「ルカワ…ちょっといいか?」
「……なんだ?」
部屋に訪ねて来られて、流川は少し驚いた。それでも、黙ったまま部屋に招き入れた。
「…やっぱ…部屋がチガウな…」
どういう意味なのかと流川が少し首を傾げると、洋平は肩をすくめてみせた。
「あっちの部屋…生活感がねーもん」
「………そうか」
なるほどと流川は笑った。やはり、勘の鋭い人にはわかってしまうのだろう。そして、いろいろとばれているらしいことも、流川にはわかった。
「あのな、ルカワ…コレ、使ってみ」
「……なんだ?」
小さなクロスを手に乗せられて、流川は再び首を傾げた。
「指輪、ちょっと黒ずんできただろ?」
流川はクロスから顔を上げて、洋平をじっと見つめた。
「こないだ、付けたままだったときにな……貸してみ」
洋平に促されるまま、流川は指輪を取り出した。そして、洋平が磨く姿をじっと見ながら、こんなことをしている自分たちに驚いていた。
「シルバーはな、こうやって磨けば…キレイになる…歯磨き粉もいいぜ」
戻ってきた指輪が、かつてもらったときのような輝きを取り戻したことに、流川は純粋に感動した。誰にも聞けないまま、そして聞かないまま、洋平が教えてくれた。流川は、綺麗になった指輪を、いつもの指に填めた。
「…スルドイ男は…コワイな…」
「……花道はドンカンか?」
洋平が小さく笑って、出ていこうとした。
「あ、ルカワ…その、明日は…オメーも来てくれないかな」
「……空港に? でもクルマは…」
「…オレらが後ろに何とか乗るから……頼む」
「…………わかった」
そのときはよくわからないまま、流川は頷いた。クロスのお礼のつもりもあったから。そして、桜木軍団を空港まで送って行ったあと、流川は洋平の凄さを改めて知った。きっと、こうなることを見越していたのだろう。自分に免許があるかどうか聞いたのも、そのためか。
ゲートに入っていくまで、花道はじっと親友たちを見送っていた。それまで、ずっと笑顔だったのに、彼らの姿が見えなくなった途端、涙を浮かべ始めたのだ。
「……桜木?」
「…だ、ダイジョブ…」
流川が背中をポンポン叩いてみた。花道はじっとゲートを見たまま、本当に寂しそうだった。なるほど、こういう状態ならば、運転は難しいだろう。花道一人で帰らなくて済むように、流川は喚ばれたのだ。本当に、花道のことをよくわかっている男だと、流川は心から感心した。
「…コーヒーでも飲んでくか?」
「……帰る」
花道を助手席に乗せて、流川はゆっくりと車を走らせた。
「今度……いつ会えるかなぁ…」
「……日本に帰ったら、いつでも会える」
「…オレ……帰らねーよ」
「……アイツらが寂しがるぞ」
花道が俯いたので、流川はそのまま続けた。
「…水戸が…」
「……洋平?」
「……日本に戻れないなんて思うなよって」
「…………?」
「…赤木先輩が心配してたぞって」
「……ゴリ?」
「……湘北のみんなは待ってるって、マネージャーが言ってたって…」
「……ハルコさん…」
洋平がいつの間に流川とそんな話をしたのだろうか。自分ではなく、なぜ流川だったのだろうか。寂しくて、でも気遣いが嬉しくて、花道はまだ涙が浮かんできてしまった。
「…ルカワ…早く帰ろうぜ…」
「………安全運転だ…どあほう」
そう言いながらも、流川は花道の手を取って、強く握りしめた。