今話25
8月ももうすぐ終わるという頃、花道は最後のアルバイトに出かけていた。
その日は珍しく朝から雨で、流川は仕方なくビデオを観ていた。そして、その合間に保存の利く料理も作っておくのだ。こういった家事が、かなり上達したと自分で思った。花道が予定時間を過ぎても帰ってこないので、流川は時計を見ながら首を傾げた。特別心配していたわけではなく、夕食も一人で食べることになるのかとため息をついた。結局、ゆっくり食べていてもまだ戻ってこなくて、流川は皿洗いを始めた。
桜木軍団が帰ってからしばらく、花道はしんみりとしていた。コートに出れば元気なのだが、家の中に彼らの気配を感じるらしく、隣の部屋に誰もいないことを確かめてため息をついていた。親友と呼べる人がいない流川には、あまりわからない感覚だけれど、花道がキャンプに行っていたときのことを思い出すと、少し理解できる気がした。あのときは、いずれ帰ってくると思えたから、きっと今の花道よりも前向きだっただろう。
「……どあほう…」
自分は桜木軍団に妬いているのだろうか。そんなつもりもないけれど、それでも花道にあんなに大事にされる彼らが面白くないのかもしれない。嫌っているわけではないけれど。ただ、花道を慰める役が自分に回ってきたことは確からしい。洋平が自分にそう言った気がするのだ。
「…考えすぎ…かな」
穿ちすぎかもしれないけれど。桜木軍団と自分は、立場が違うということがはっきりした。
「……ヨメ」
日本からの電話口で、「嫁さんを大切にしろよ」と誰かが言っていた。その「嫁」というのが自分のことなのだろうと、すぐにわかった自分に腹が立った。他に言い方はないものだろうか。結婚相手が言いにくいなら、「パートナー」とか「伴侶」とか。そういえば、一度も「恋人」と言ったことはない。そもそも、「好き」と口にしたのこともまともにはないのだ。
流川はくだらないことを考えながら、ゆっくりとシャワーを浴びた。シャワーから出ると、食事を終えた花道がいた。いつの間に帰ってきていて、そして早食いだと驚いた。
「おうルカワ」
冷蔵庫に麦茶を取りに行った流川の背後から、花道はギュッと抱きついた。
「…メシ食ったか?」
「……何時だと思ってる」
「…遅くなってゴメン」
謝ったあと、花道は流川の首筋に唇を這わせた。突然のことで、流川は身構えることが出来なかった。言葉で表現できないような単語が口から漏れて、流川は口元を抑えた。その反応に気を良くしたのか、花道はそのまま唇を離さなかった。
「な……ヤメロ…帰ってくるなり何だ…」
流川は身を捩って、腕の中から逃げようとした。けれど、花道の攻撃は耳や瞼から項へと止まる気配がない。目を閉じると、余計に感じてしまいそうだった。
「…桜木…」
「……あのなルカワ…」
チュッと音を立てて花道はようやく10cmほど離れた。肩に顎を乗せられて、耳元で話しかけられる。落ち着いて話を聞くことが出来なかった。
「オレ……最近気が付いたンだけどよ…」
「………何が」
流川は花道の両腕に力を込めた。何とか取り払おうと思うけれど、花道は巻き付いたまま動かない。本気で嫌がっていないことが伝わっているのだと思うと、流川は気恥ずかしく感じた。
花道は、もう一度首筋にキスをして、そのまま話し出した。
「あのときな……ココだ…」
「………何言ってるかわかんねー」
目を閉じて、流川は顎を上げた。花道の唇から逃げるようでいて、誘っているようにしか見えないのを流川自身は知らなかった。もっとも、これは花道の勝手な思い込みかもしれないけれど。
「…最初…部室でな…」
最初に花道が自分に手を出したときと、今のこのキッチンと、どんな関係があるのだろうか。状況は全く似ているように思えない。流川は回らない脳で一生懸命考えた。
「…オメー……そうやって俯いて…ユニフォーム見てた」
花道に汗を含んだユニフォームを着せられた。それははっきりと覚えている。そういえば、湘北の文字やナンバーでも見ていただろうか。
「そんときのな……このクビだな…」
「………は?」
流川の臀部あたりに、花道の屹立したものが当たった。
「桜木……どーでもいい…けど……ココではイヤだ…」
すっかりその気になっているらしい花道を、流川は仕方なくという態度でベッドへ促した。キッチンでするのは、流川は嫌だった。その日、花道はずっと流川を背後から攻め続けた。
日本にいるとき、流川はよくこうして俯せになって、枕にしがみついていた。そうすれば表情を見られないで済むと思ったから。
けれど、アメリカに来てから、花道は一度たりとも流川に背中を向けさせなかった。常に向かい合って、両腕を肩や背中に回させていたのに。
そのせいか、流川はやけに感じている自分に戸惑った。首筋はともかく、背中への愛撫がこんなに凄いものだと知らなかった。自分のウィークポイントがそんなところにも存在したのだ。もう全部花道に知られてしまったと思っていたのに。
花道は、確かに流川のしなる背中が好きだった。背後からだと、流川の顔が見えないし、日本でのことを思い出してしまうから避けていた。けれど、やっぱり自分はこういう姿勢でも抱きたいと強く思った。
長い腕を流川の肩に回して、ギュッと掴むと、流川が手に手を重ねてくる。その指にはいつもの指輪があって、今は表情が見えなくても流川の気持ちを疑うこともない。
あの頃の自分たちとは違うのだから。
2人でシーツを盛大に汚して、呼吸を整えるのに時間がかかった。
「…桜木…」
「……起きてたのか?」
花道の行動は素早かった。あっという間にシーツを取り替え、流川の体を濡れタオルで拭う。自身のシャワーも最短時間で、そして流川の元に戻ってきた。
「ルカワ…ダイジョブか?」
麦茶を口元に当てられて、流川はそれを一口飲んだ。起きあがれなくて介護される自分にも、だいぶ慣れていた。
「…今日……何があった?」
「え……何でそう思う?」
「…なんか…良いことでもあったのか?」
流川から尋ねるというより確信を持った言い方をされて、なぜわかるのだろうと花道は笑った。自分はそんなにもわかりやすいのだろうか。それとも、流川が汲み取ってくれるのだろうか。
「…キャンプでな」
「……キャンプ?」
「そう…あンときな…ガキんちょどもは、やっぱ「日本人にバスケットなんて」みてーな顔してよ、オレの言うことなんか聞かねーの」
これまで花道はキャンプのことをあまり話さなかったので、流川は初めて聞くことに驚いた。向こうでも、寂しい思いをしていたのだろうか。
「でな、オレ…トクイのスラムダンクをかましてやったわけよ」
「……得意? ダレが」
「オーレ! とにかくよ、そうすると、ちょっと見直したみてーでよ」
へヘッと笑う花道の顔を見て、流川は納得した。花道はやはり子どもの相手がうまい。うまく相手を引きつけることが出来るのだろうと思う。
「まあ……それでも、やっぱり外国人嫌いとか、言葉が通じないとか、いろいろあったけど…」
「……今日が最後か…」
「…そ。今日で最後の指導でよ……そしたらよ…州外のヤツらまで来てよ…」
話している途中から、花道が俯きだしたので、流川は花道の首に腕を回した。強く促したわけではなかったけれど、花道は流川に腕枕するように、胸に顔を押しつけた。
「……は、花束…もらってよ…ハナミチありがとうってよ…」
「………ヨカッタな…」
天井を向いた流川も、自然と笑顔になった。せっかくの笑顔は、花道が俯いていたために見逃していたけれど。
「…桜木……ガンバったな…」
「…そうかな…」
花道は、流川に褒めてもらえて驚いた。嬉しくて、勢い良く顔を上げた。
「アイツら……オレの試合来てくれるって…」
「……そうか…」
「…負けらンねーな」
流川がまた笑顔になったのを、今度は花道も見ていた。
花道は伸び上がって、流川に触れるだけのキスをした。
「……ルカワ…」
「………なんだ?」
「…スキだぜ…ルカワ」
突然の告白に、流川は目に見えて動揺した。大きく目を見開いて、体を起こそうとして痛みを感じて、バタバタと暴れてしまった。
「イテっ……き、急になんだ…」
「……そんなに驚くことねーだろ…」
花道はまた涙を浮かべながら、それでも笑うことが出来た。