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 全日本の同じユニフォームを見ながら、花道はものすごく久しぶりに二人の過去を思い出した。これまでずっと、わざと忘れる振りをしていたのに。
 あの7月にはもうきっと、流川のアメリカ行きは決まっていただろう。花道は知らなかったけれど。インターハイ出場は叶わず、夏休みの練習はごく普通の練習になってしまった。その年の合宿に花道は参加したが、そのときにはもう流川はいなかった。
 8月1日は、まだ流川はいつもの体育館にいた。


 花道が俯いたままでいる間に、時間はどんどん過ぎていた。
 ハッと時計を見ると、20時20分だった。その間、花道は一言も発していないし、流川も黙って立っているだけだった。自分はなぜ流川を呼び出したのだろう。何を話したかったか。全くわからない。ただ、流川がアメリカに旅立ったあとの自分の寂寥感や空白感はもの凄く、自分でも驚くほど活気がなくなってしまった。なぜだかわからないけれど、とても後悔したのだ。
 何も伝えられなかったからだろうか。
 それとも置いていかれたからだろうか。
 その気持ちは、案外大きかったかもしれない。自分もアメリカと言ったのに、実現する流川と、実現しようとしない自分。
 ずっとそばでバスケットをしているものだと思い込んでいた。ライバルなのに同じチームで、頼られるチームメイトになりたかった。
 そして、きっと今なら少しわかる自分の気持ち。なぜキスをしたのか。どんなに大好きで信頼していても、花道は洋平たち桜木軍団にキスはできない。そのことに気付いてから、花道は漠然と自分の気持ちを認め始めていた。

 明日で全日本の合宿は終わりで、流川はまた手の届かないところへ行ってしまう。
 あと10分を、花道は自分の本能のおもむくままに進むことにした。
 腕を組んでいる流川の左手を強引に引っ張り、花道は自分がベッドに倒れ込んだ。反射的に抵抗しようとした流川だが、体重差のせいか花道の方へ引き寄せられてしまった。それでも花道は怪我をさせたくはなくて、流川を自分の体で受け止めて、その背中をギュッと抱きしめた。こんな風にベッドで折り重なるのは、これが初めてだった。
 流川が何かリアクションを起こす前に、花道は体の上下を入れ替えた。流川を見下ろす体勢に、ものすごくドキドキした。余裕もなく、性急な勢いで、花道は流川にキスをした。力強く押しつけるだけで、精一杯だった。
 あれから3年も経って、お互いの周囲のこともわからない。もしかしたら、もう流川は自分を受け入れないかもしれない。また殴られるなら、それは仕方ないと思っていた。
 けれど、流川は抵抗しなかった。しばらくじっとしていたけれど、今度は勢いよく花道の体を押し返し、最初の体勢にした。花道は自分の置かれた状況が一瞬飲み込めず、頭にハテナを浮かべた。
 花道が戸惑っている間に、流川は花道の頬を指で撫でた。右手の親指で花道の唇を撫でて、じっとそこを見つめている。その表情に、花道の心拍はまたドクドクいい始めた。試合の緊張とも違う、誰とも感じたことのない鼓動。なぜ流川にだけこうなるのか。
 ものすごくゆっくりと流川が花道に近づいてきて、花道は目が離せなかった。そうしている間に、右手は花道の頬を押さえ、指先が耳の後ろをくすぐってくる。同時にいろいろなことをしていると花道は驚き、流川はもしかしてテクニシャンなのか、もしくは慣れているのかもしれない、と花道は感じた。
 ただ押さえつけるキスとも違い、唇を含まれているような、吸われているような、そんなキスだった。花道は目をギュッと瞑り、じっとしていた。そのうち、閉じたままの唇をノックされ、それが流川の舌だと思うと、眩暈を起こしそうだった。
 時間をかけて流川の舌が花道の口腔内を行き来する。唾液の音がとても大きく聞こえる気がした。流川がたぶん花道のいいポイントに触れたとき、意識しないまま甘い吐息が出て、花道は自分で自分が止められないでいた。
 一方的にやられるのは嫌で、花道は体に力を入れて流川を押し倒した。自分の耳元を彷徨っていた流川の右手が、ごく自然に花道の首に回されて、涙が出そうになった。花道も流川の背中を抱いて、重くないようにのし掛かる。さっきされた仕返しではない。自分なりのキスがしたい。押しつけたり、少し離したりを繰り返し、花道は何度も流川とキスをした。
 昔は、ただ唇を合わせるしかできなかったのに。
 少し口を開けて自分を迎えようとする流川に、花道は鼻血が出そうになった。

 ふと、花道は自然と興奮していた自分自身を、流川の太ももに擦り付けた。少し体勢を変えて、流川自身もそうなっていることに気が付いて、なぜだかホッとした。ちょうどそのタイミングで、流川が顔をあらぬ方向に向けた。それが時計を見るためだと、そして流川が腕時計をしている、とどうでもいいことに気が付いた。
 自分のすぐ下で、流川は髪を広げたまま寝転がっている。下半身は少し勃起している。その姿を目に焼き付けていると、流川が突然花道の肩を軽く押した。それが合図だと、花道にもわかった。
 流川は無言のまま、静かに部屋から出ていった。
 時計を確かめると、20時30分で、もうすぐ同室の選手が帰ってくるだろうとわかった。
 花道はさっきまで流川がいたところに、大の字になっった。
 結局、何の話も出来ないまま、よくわからない関係になっただけのようだ。
 実は、一生懸命、わからない振りをしようとしているのかもしれないけれど。

 

 流川がアメリカに旅立つ前、最後のキスは部室でだった。
 その日はこれまでのように不意打ちではなくてもいいのではないか、と花道は思っていた。驚かせることが目的ではないけれど、知らないうちに近づいて唇を盗むことに達成感があるような、ゲーム感覚もあったのは事実だった。ゲームでも、遊びではなかったけれど。
 二人きりの部室で、それぞれが着替え終わる頃、花道は部屋の電気を消した。流川は電気を見上げたけれど、何も言わなかった。その様子が、もうオーケーと言っているように思えた。
 流川がかばんを持ち上げながら振り返ったとき、花道はすぐ真後ろに立っていた。驚いたのか、驚いた振りなのかわからないが、流川はロッカーの方に仰け反った。花道が顔を近づけても、流川は顔を背けたりしなかった。それでも逃げられたくなくて、初めて流川の体の両側に、腕を伸ばした。こういうとき、お互いの体に触れたことはない。そのときも、花道はロッカーに両手をついただけだった。
 花道が顔を右に倒すと、流川はほんの少し右に倒した。一度離してから逆にすると、流川も同じよううする。ただじっと重ねるだけのキスだった。いつもより少し長い時間なだけであったが、いつ自分が呼吸したらいいのかわからず、じっと息を止めていた。
 もっと近づきたいと思って、花道が足を前に出すと、お互いの下半身が衝突してしまった。
 その瞬間、勢いよく互いが体を離してしまった。
 花道は気まずかったのだろうか、恥ずかしかったのだろうか。それもよくわからない。流川もきっと表現できない理由で離れたのだろうと思う。
 お互いに興奮がはっきりわかる程度に勃起していた。
 そのことが嬉しく感じたのも事実だし、なかったことにしたいと落ち込んだりもした。
 流川はそのまま何も言わず、部室から出ていった。それが二人きりで流川と会った最後だった。

 
 花道はベッドに大の字になったまま、あのときのキスを思い出していた。
 それからしばらくして、同室のチームメイトが帰ってきた。花道を呼んで話しかけようとしていたのに、急にモゴモゴ言ってまた出ていった。花道は彼に意識を向けることができないでいたが、自分のテントを張った下半身を見て、今の内に抜けという暗黙の了解なのだろうと解釈した。
 また背中を見送って、これでバイバイなのだろうか。
 流川のアメリカでの連絡先を聞いても、手紙も電話も出来るだろうか。今度全日本に喚ばれるかどうかもわからないし、流川が日本に戻ってくる様子もなさそうだ。
 それならば、自分がアメリカに行くしかないのだろうか。
 もうずっと以前に諦めたことなのに。

 

 

2012.12.30 キリコ
  
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