×××

   

 朝早く、流川はランニングに出ると言った。花道ももちろん一緒に行く。その朝も二人きりではなかった。
 シャワーを浴びて、朝食に向かう。ホテルのバイキングでは、花道は食べたいだけ食べた。そういえば、ホテル代はどうなっているのだろうか。そんなことすら、聞いていなかった。
 チェックアウトギリギリまでのんびりすると流川がいうので、花道は流川に張り付いた。キスだけではなく、背後から抱きついたり、首筋に鼻先を埋めてみたり。その間に、少しずつ問いかけた。
 ホテル代だけではなく、今日の便名のことや、アメリカのどこに住んでいるのかなど。花道が聞くと、流川はすぐに返答する。今まで躊躇っていたのがバカバカしく思えるくらいだった。
「今度…いつかな…」
 いつ会えるだろうか。そう言葉にすることは出来なかった。その問いに、流川は前を向いたまま冷たく返事をした。
「知らねー」
 花道は昨日からの穏やかな流川に慣れてしまっていて、久しぶりの冷たい言葉にムッとした。
「そんな言い方、することねーだろ!」
 流川は花道の方へ振り返り、キッと睨みつけた。
「テメー、アメリカっつったくせに、日本にいるじゃねぇか」
 だから仕方ない、とまた前を向きながら、流川は言った。花道は流川の体に回していた両腕に力を込めて、怒鳴ることを押さえた。
「だって……」
 仕方がないではないか。そう言うことは出来なかった。諦めなかった流川。いつの間にか現状に流されてしまっていた自分。突然恥ずかしく感じた。
「どうやって…アメリカ行けってんだ」
「……飛行機乗ったらすぐだ、どあほう」
「そ……そんなカンタンに…」
 そういうものなのだろうか。実際にはかなり準備をしなければならないけれど。流川に会いたいと思ってアメリカに行くことは簡単だろう。けれど、花道はアメリカに旅行に行きたいわけではない。アメリカから帰ってこない流川と一緒にバスケットをするために、アメリカに移り住みたいのだ。昨夜はっきりそう思った。
 本当は、このことを流川は言いたかったのかもしれない。
 自分がアメリカに、流川を追いかけてくると、思ってくれていたのなら。
「…そろそろ時間」
 流川は勢いよく立ち上がり、荷物を移動し始める。飛行機が飛び立つまで、花道は見送るつもりだが、二人きりでいられるのは今しかない。
 花道は流川を引き寄せて抱き締めた。流川は荷物は下ろさなかったけれど、抗いはしなかった。
 花道が右側に首を傾けると、流川は昔のように同じく傾ける。明るい部屋の中でじっと流川の顔を見ていると、流川も同じように目を合わせてきた。なぜもっと早く、この目を確かめなかったのだろうか。長い間、視線を合わせることをなぜ避けていたのだろうか。きっと、自分でも気付かない本心が、だだ漏れだからだろうと思う。
 チュッと音を立てて、花道はゆっくりキスをする。お別れと思いたくないけれど、最後のキスは大事にしたい。目を閉じている流川を愛しく感じた。
「…ルカワ」
 小さく呼ぶと、流川はゆっくり目を開けた。
「今度会ったとき…」
 次の言葉がなかなか出てこなくても、流川は少し首を傾げて黙って待っていた。その仕草がとても新鮮だった。
「…抱いてもいいか」
 自分が何を言おうとしていたのか、自分でも知らなかった。スルリと口から出てきた言葉に、花道は自分でも驚いた。一方の流川も、キョトンとした顔をして花道を見返していた。あまりにも突飛なセリフだっただろうか。笑い飛ばされたらショックだが、花道は自分の言葉を訂正しようとはしなかった。
 返事をする前に、流川はふと俯いて、小さく笑った。ふっと吹き出されたようで、花道はまたムッとする。真剣な申し出に、そもそも口に出して言うこと自体がおかしいのだろうか、それにしても笑うなんて。
「…考えとく」
 その中途半端な返事に、花道は憮然とする。
「テメーは…」
 不服そうな花道の顔に、流川は冷たい視線を送った。
「オレもお前を抱けるってこと、わかってるのか?」
 今度は花道がビックリする番だった。抱き合うことに否やはないらしい。ただどちらがどう抱くのか、それを考えておくという意味だったのか。
 流川が自分を抱く、そんなことを想像して、花道は天井を見上げた。とても想像できないけれど、自分のセリフの行為も想像できないので、今は仕方のないことかもしれない。
「桜木」
「お…おう」
「オレは日本には戻らない。だから、アメリカでしか無理」
 流川は花道がアメリカに来ることを望んでいるのだろうか。たとえ同じ場所ではなくても、挑戦し続けない男はゴメンと言われている気がした。
「お…おうよ!」
 頼りない返事に、流川は小さく笑って、花道にキスをした。

 

 見送りには流川の家族やファンらしい子たちもいた。花道はちょっと距離を取りながら、流川をじっと見ていた。もうキスすることは出来ないけれど、不思議な安心感があった。離れることに不安はない。けれど、遠くでバスケットをしている自分に、とてつもなく違和感を感じるようになった。つい先日まで、満足した生活だったのに。
 いつでも流川は自分の前を行ってしまう。自分はもっと必死で追いかけるべきだった。少し立ち止まってしまったけれど、ようやく目覚めさせてもらった。
 出国ゲートで、流川は振り返った。自分たちより視線の低い人たちではなく、まっすぐに自分を見つめていた。相変わらず言葉がない自分たちだけれど、実は案外目と目で会話できるらしい。もっと早くこうしていれば良かったと反省する。
 少しだけ手を挙げて、花道は流川を見送った。
 同じように背中を見ていても、今日のような前向きな気持ちは初めてだった。
「…これから忙しくなるぞ」
 そう意気込んで、花道は自分の帰路についた。
 

  

2012.12.30 キリコ
  
SDトップ  NEXT