A Place in the Sun
3月のテスト期間中は、当然部活も禁止だった。居残りも駄目だと直接担任に言われた流川は、フラストレーションが溜まりそうだった。外のコートに出ようと考えると、それを見透かしたかのように注意された。
「流川、留年したらバスケットはできないぞ」
一番痛いところをつかれて、流川はしぶしぶ従うことにした。
「ルカワ、一緒にベンキョしよーぜ」
それは効率が悪い、と流川は思う。お互いに底辺で教え合うこともできず、静かに勉強が進むとは思えない。それでも、部活で会う時間がないと、ほとんど顔を合わせることがなくなる。流川はため息をついた。
「教室でなら…」
学校内でも二人で一緒にいると、また噂になるだろうか。それでも、お互いの部屋でするよりは冷静でいられると思った。
その後、何とか及第点を取り、おそらく2年生になれるだろうとホッとした。一つ課題がクリアされると、また次の試練を流川は思い出した。
もうすぐ花道の誕生日だ。あまりこういうことに気が回る方ではないけれど、これまで花道はイベント毎に自分を誘ってきた。そう考えると、何か計画しなければならないのだろうか。
「なぁルカワ」
居残りのあと、部室で手を繋いでいたときだった。
「今度さぁ…オレん家泊まりに来ねー?」
「えっ」
以前驚いたときは心の中で呟いたけれど、その日は声が出てしまった。
「31日に」
「……31?」
4月1日ではないことに、意外な思いだった。
「うん。1日はアイツら来るから」
花道の明るい声に、流川は舌打ちしそうになった。結局、今でも自分は桜木軍団より後回しなのだろうか。この苛つきが嫉妬だと、流川は初めて自分のそんな気持ちに気が付いた。
それでも、花道の誘いを受けることにした。約束の日に、流川は自宅で夕食も終え、入浴も済ませてから花道の家に向かった。花道宅での夕食に誘われたけれど、流川は一度外食にと提案した。結局折り合いがつかず、本当にただ泊まるだめだけに訪れることになった。
夜分遅くの訪問の挨拶に、花道の母親が笑顔で対応する。これまでの花道の友人とは雰囲気が違う流川に、興味津々だった。自分の息子と同じくらい身長が高く、かなり格好いいと思う。そして、礼儀正しかった。育ちの良さが滲み出ていて、花道となぜ友人なのか、不思議に思った。
花道の部屋で、しばらくどちらも話さなかった。いつもと同じように無表情の流川だが、なんとなく固まっている気がする。話しかけることも、ちょっかいをかけることも出来なかった。それでも、バスケットのビデオを流し始めると、急に目の勢いが変わり、花道はホッとした。
23時を過ぎると、流川が少しぼんやりし始めた。それをきっかけに、花道はふとんを二つ並べる。流川が持参したスウェットに着替える様子に感心した。母親も感じていたとおり、流川はきちんとした家庭に育ち、マナーも心得ているのだろうと思う。それでも、花道には桜木軍団の気楽さが親しみやすかった。
「電気消すぞ」
花道の声に、流川は反応しなかった。
「寝ギツネめ」
苦笑する花道の声を聞きながら、流川は一生懸命寝たふりをしていた。ここでは、自分は寝るべきタイミングだと思う。けれど、好きな人が隣に寝ていてグーグー眠れるはずはない、と流川は心の中で叫んだ。
それでも、暗く静かな空間では、少しずつ眠気がやってきて、流川はホッとしていた。
かなり時間が経ってから、花道が小さな声で話し始めた。
「なあルカワ…」
ふとんが動く音が聞こえて、流川の心拍は跳ねた。
「……うるせー」
そう抗議するのが精一杯だった。
またクスッと笑う声が聞こえた後、花道が急に自分のふとんの中に滑り込んできた。
「なっ…」
流川は何も言葉が出てこなかった。何を考えているのかわからず、ふとんの反対側から出ようと動く。けれど、ふとんの外はかなり冷えていて、背中が寒く感じた。
「狭い。ふとんに戻れ」
なんとか文句を言うことができて、流川は必死で冷静になろうとした。
花道は掛けぶとんを自分たちの頭にかぶせ、二人の体を潜り込ませた。もちろん、足先は入らず、流川は体をすぐに丸めた。
ふとんの中は、花道の匂いでいっぱいだった。元々部屋の中もそうだったけれど。
真っ暗な中でも、お互いがじっと目線を合わせている気がした。
「…桜木?」
「なあルカワ……歌、うたって」
「……はぁ?」
「母ちゃんいるから、大きな声出すなって」
花道はまだ楽しそうに笑っている。流川の頭の中は混乱していた。
「……なにいってる…」
小さな声で流川が問うと、花道は自ら歌い出した。
「ハッピバースディ トゥ ユー ハッピバースディ トゥ ユー」
「……なんで…」
「もう4月1日になったから」
そう言ってから、また歌の出だしから歌い直す。ずっとその2行を繰り返していた。おそらく、流川が歌い始めるまで続けるのだろう。
「……なんで…」
「…ん?」
「…1日は桜木軍団がいるんだろ?」
「…うん昔からの習慣だから……だから、時報とともに、ってヤツをオメーとな」
また花道が笑った音が聞こえた。花道が、自分のことを考えていてくれたと感じ、流川はギュッと目を閉じた。
4月1日になってすぐ、誰よりも早くお祝いを言う権利、ということなのだろうか。
流川は口元だけ笑ってから、花道の歌声をしばらく聞いていた。
花道の「トゥ ユー」から、流川はとても小さな声で歌い始めた。この歌は、幼稚園か小学生くらいまでしか歌った記憶がない。それでもはっきりと覚えている。思いを込めて歌うのは、これが初めてだった。
流川が声を出し始めてから、花道は口を閉じた。
「ハッピバースディ ディア……さ…」
一瞬間が空いたところで、花道はストップをかけた。
「そこは、「はなみち」だろうよ」
真面目な声で言われて、流川もグッと胸を掴んだ。ふとんの中が息苦しくて、一度ふとんを上げた。
また花道がふとんを閉じて、最初から歌い出す。
途中から一人で歌っている流川の声を、花道はとても真剣に聞いていた。あの流川が、自分のためだけに歌っているのだ。無理矢理歌わせたにしても、だ。
「はなみち」と言い直した流川に、胸が温まる。呼ばれ慣れている名前だけれど、それはとても貴重に思えた。
最後の「トゥ ユー」の息が切れたとき、花道は流川の唇を塞いだ。おそらく目を瞑っていた流川の両目が勢い良く開き、また少し後ずさった音がした。
「ルカワ…サンキュ」
歌をありがとう、と心から思った。そして、少し上体をあげて、流川に覆い被さる。もう一度触れても、流川は逃げなかった。
「これ……はじめて?」
暗い中で流川が首を縦に振った気配がした。花道は、自分がニヤリと笑ったことを自覚した。
首を傾げてじっとしていると、花道の言いたいことが伝わったらしく、流川がゆっくりとこちらに向かってくる。花道もキスは初めてだけれど、案外簡単なものだなと思う。見えなくても、それほどずれることもない。
流川から、触れるだけのキスをされて、彼のファーストキスを奪った、と心の中でガッツポーズをした。それがそのときの正直な気持ちだった。
「おやすみルカワ」
いろいろと満足した花道は、自分のふとんに戻っていった。
流川はすぐに花道と反対方向に向いて、背中を丸めた。
どれほど苦しい思いをして流川が寝たふりをしていたか、花道は知らなかった。