A Place in the Sun
両手を取られていて涙を拭えなかった流川は、自分の二の腕に顔を当てた。
まさか、泣くとは思わなかった。真剣な花道に感動し、過去の自分を大いに責めて、花道に謝罪したい気持ちが先立った。
顔を上げると花道が青い顔をこちらに向けていて、自分の発言がとてつもなく間違っていたことに、流川はようやく気が付いた。
「あ、その…」
流川は久しぶりに動揺した。プロポーズされて平静でいられる人間はいないと流川でさえ思う。
それでも、今更何と返事をすれば良いのかわからず、流川は両手を自由にした。それさえも、花道は拒否された気がしたことにも気付かなかった。
指輪の箱を勢い良く奪い取り、流川はその中身を取りだした。荒い動きだけれど、指輪自体にはおそるおそる触れた。その指輪を花道の目の前に固定し、自分の左手を差し出した。
両目を見開いた花道の表情を見て、流川は自分がどんな顔をしているのか気になった。きっと困った顔だ。嬉しいと思っているのに、笑顔を浮かべることはできなかった。
「…ルカワ?」
早くしろ、と心の中で流川は怒鳴った。言葉にすることができなくて、もどかしかった。
左手を広げながら、もう少し花道に近づけた。その指輪はこの指に収まるのだろう、という薬指を、真正面に差し出した。
花道の頭にクエスチョンマークが見える気がした。
ゆっくりと流川の薬指を掴んで、花道は指輪を受け取った。
はめようとする前に花道が流川の顔をじっと見て、はめるぞ、と確認した。流川はただじっと指輪を見つめていた。
サイズは合っているけれど、関節で一度引っかかった。それでも、深くはめこむまで、二人とも何も言わなかった。最後に、小さいダイヤモンドが真上に来るように調節して、花道はもう一度流川に問いかけた。
「…ルカワ…」
自分の指を動かしながら、流川はじっと指輪を見ていた。ようやく上げた流川の頬にはまた新たな涙の筋があった。少し眉を寄せながら、花道と視線を合わせる。涙で濡れた睫毛が絡み合って、いつも以上に綺麗に見えた。
「…桜木…」
それだけ言って、流川は花道の首に両腕を回した。ギュッと抱きしめられて、花道はようやく呼吸ができた気がした。
「あの…ルカワ?」
自分もろくなことが言えない。再確認する勇気もなかった。
けれど、先ほどの「ごめん」が、プロポーズのお断りではないらしいことが、ようやくわかってきた。
花道もそれ以上何も言えなくて、ただ流川の背中を力強く抱きしめた。それから数分後、流川は花道の肩を押した。
「テメー…さっさと着替えろ」
「……は?」
「このクソ忙しい時間帯に…」
急に流川が背中を向けて、イライラした口調で話し出した。
時計を見ると、確かにそろそろ出る時間だった。
「テメーのせいで、メシ食う時間なくなった」
先ほどまで黙ったままだった男が、突然たくさんしゃべり出す。文句なら、スラスラ言えるということか。
花道は苦笑しながら、自分の頬をかいた。
「ルカワ」
「…なんだ」
「スキだぞ」
「……うん」
やっぱり今でも「うん」しか言わない。けれど、流川が照れていることが、花道にはわかる。指輪もそのままだった。花道は流川の腕を引いて、触れるだけのキスをした。
「急がねーと置いてくぞ、どあほう」
よくもまあ、そこまで言えるものだ、と花道は呆れてため息をついた。
お互いが着替えたあと、一口でも食べようとテーブル近くで立ったまま、おにぎりをかじり合った。咀嚼しながら、流川が左手を差し出した。花道が外せ、と言っていることがわかった。指輪を受け取った流川が、自分の部屋へ戻る。開いたままのドアから、指輪を箱に仕舞い、それを枕の下に置くのが見えた。流川は大事なものをそこに隠すのだろうか。そう思うと、花道は笑いそうになった。
家を出るときに、花道は流川の腰を引き寄せてキスをした。唇を離すと、今度は流川から触れるだけのキスが来て、花道は舞い上がった。
「行くぞ、どあほう」
先ほどから「どあほう」を連発されている。流川の照れ隠しだとわかっていても、花道は少しふて腐れた。
その日の練習は、二人ともごく普通の態度で臨めたと思う。けれど、花道はいつもより高く飛べた気がした。ただ、いつも以上にソワソワと落ち着かない、とコーチに注意された。
本当に、あれはイエスだったのだろうか。
練習中も終わったあとも、花道はじっと流川の姿を見つめていた。
帰りは花道の運転で、流川は助手席で窓の外を見ていた。そういえば、今日はあまり会話していない。あまり視線も合わなかった気がした。
「桜木」
花道の方を見ずに、流川が話しかけた。
「…あん?」
「…晩メシはテメーが作れ」
「………はぁ?」
なぜそんなことを命令するのだろうか。今日は、流川の番だ。協力して欲しいなら、言い方があるだろう、と花道が言いかけたとき、流川が早口で呟いた。
「オレはたぶん、これから動けなくなるから」
俯いてボソボソと話した。それが、遠回しのお誘いなのだと気付いたとき、花道の頬は熱くなった。
「わ、わ、わかった」
自分の上擦った声に、花道はかえって動揺した。隣で流川がクスッと笑ったことも、花道は気付かなかった。