A Place in the Sun
37歳になった流川は、日陰のベンチに座りながら読書をしていた。
自分がこんな風にたくさん本を読むようになると思わなかった。
現役選手でいられなくなり、コーチかスポーツトレーナー、もしくは日本に帰るか、最悪はバスケットに関わらない仕事でもするか、そんな選択を迫られた。選手以外の道を考えたことがなかった流川は、それでも生きていくために働かなければならない。花道に養ってもらうことは、不本意だった。
そして、自分の腕の中で眠るもう一人のために、まだ立ち止まる暇はなかった。流川は35歳のとき、これまでの怪我が原因でチームから外された。自分でも腹が立つけれど、確かに体が思うように動かない。まさかこの年齢で引退を考えなければならないのかとショックを受けた。そのとき花道は慰めも励ましもしなかったけれど、ずっと流川のそばにいた。流川が口で文句を言わない分を家具に当たり散らしても、花道は怒らなかった。そして、花道はまだ残留していたチームに淡々と出勤し、熱心に練習を続けていた。
日本の家族と絶縁していても、流川は気にならなかった。日本に戻るつもりもなかったし、花道がいて、こちらでたくさん知り合いもいる。今更親など、という思いだった。花道との関係を認めてもらえないことも、理不尽とも思えなかった。けれど、この感情はどうにも出来なくて、流川はすべてを捨てても花道とともにいると決めていた。お互いにパートナーと認め合ってからも、ずっと順調だったわけではなかった。それでも10歳代の頃とは比べものにならないくらいの歩み寄りで解決してきた。
その花道が同じ35歳のときに交通事故に巻き込まれた。そのときの自分の取り乱しようは、何度思い返しても情けない。泣き叫ぶでもなく、暴れるでもなく、ただ呆然と突っ立っていた。青い顔でストレッチャーに乗せられる花道を、現実と思うことができなかった。
そして、そのときに思い知った。世間的には自分たちはただの同居人で、法的には何も認められておらず、友人でしかなかった。恋人、という単語を出しても、最終局面に立ち会うことができない。そんな弱い関係だった。
その後すぐに花道は回復したけれど、流川の心は晴れなかった。そうそう事故に遭うとは思わなかったけれど、これから病気をしたり、保険のことだったり、とにかくこのまま他人でいることに疑問を感じた。
「桜木…ちゃんと結婚しよう」
流川がまた立ったまま堂々と宣言する。花道は病室で流川を見上げながら、驚いてすぐに返事ができなかった。
そして、花道の36歳の誕生日に、二人は結婚式を挙げた。流川は引退してから、大学院に通い始めた。それはとても忙しかったけれど、ときどきバスケットをする。花道は今でも現役選手だったので、流川は応援に行った。もしかしたら、日本の企業からの誘いに乗れば、まだ流川も現役でいられたかもしれない。けれど、今更日本に帰る気にはならなかった。
その大学院の課題の量の多さに辟易する。本や論文をいくつ読んでもキリがなかった。何度も辞めようかと思ったけれど、何もせずに家にいることも嫌だった。
広いキャンパスの中で比較的静かなベンチが、流川のお気に入りだった。
「バスケしてー」
毎日のように呟きながら、流川はその日もベンチで論文を読んでいた。
『失礼ですが…』
後ろの方から声をかけられて、流川は少し振り返った。ここに座っていると、いろいろな人が声をかけてきたので、珍しいことではなかった。
いつもは流川はサングラスを外さなかった。けれど、その日はわざわざ外して確かめた。
『……メル?』
『やっぱりカエデね?』
笑顔で近寄ってくる顔を見て、流川は驚いた。声は確かにメラニーだし、面影はある。けれど、アメリカ人の老け方に、しっかり確認することしかできなかった。
『日本人てホント老けないのね』
流川は確かにあまり感じが変わらないと言われる。大学院生たちも実際の年齢がわからない、とよく笑われた。
『…そーかな…』
メラニーに老けたね、とは言えず、流川はそれ以上何も言わなかった。
それからお互いのことを少し話し、メラニーが今は医師で、この大学に共同研究の話できたことなどがわかった。
『カエデが大学院ね…勉強ニガテだったわよね』
『…今でもキライだ…』
『ところで……その子を紹介してくれない?』
メラニーの視線の先には、赤ん坊がいた。流川がずっと大事そうに抱いている子だった。
『…太陽…息子だ。いま6ヶ月』
『たいよう…』
『お日様のことだ』
流川は空にある太陽を指さしながら、説明した。
『息子って……カエデの?』
『……そー』
驚いた表情を見て、流川はずいぶん昔を思い出した。
もしメラニーがあのとき本当に妊娠していたら、こんな風に家族になったのだろうか。
『結婚したのね…私もね、3人子どもがいるのよ』
『……へー』
それは想像もつかなかった。この20年近くの間に、お互いにいろいろな人生があったのだろう。
それからしばらく、育児について話題になった。
『大変な時期よね…カエデが育児担当なのね』
『…うん、あっちは働いてるから』
なるほど、と頷かれる。メラニーもどうやら家計担当らしく、3人の子どもは主に旦那がみていると笑った。
突然メラニーが勢い良く流川を見て、質問した。
『ねえカエデ、花道は元気?』
『……はなみち?』
『うん…あなたの最初の人なんでしょ?』
メラニーは笑いながら言う。流川の表情に気が付かなかったようだ。
『メル』
『…うん?』
『オレは……名前まで紹介したか?』
流川にじっと見つめられて、メラニーはハッとした。