のろい

   

 流川はたった今3度目のお別れをしてきたところだった。
 アメリカに来てまだ一年も経っていない。今は春で暖かくなってきているのに、流川は両腕を脇に挟みながら、俯き加減で歩いていた。
 ショックだったかと聞かれれば、正直に肯定できるだろう。けれど、失恋だったかと聞かれると、自信がなかった。
「めんどくせー」
 同じことを3回も繰り返すエネルギーが、自分の中にあるとは思わなかった。
 信号で立ち止まったとき、流川は空を見上げてため息をついた。

 高校2年生の夏に、流川はアメリカに来た。もうずっとアメリカで生きて行くていくつもりでやってきた。親元から離れ、多少の不安を感じたときもあったが、毎日が充実していて忙しい。たくさんバスケットをして、何度も挑戦する。それが楽しかった。日本では味わえない緊張感が心地よかった。
 そして意外にも、人との触れ合いを求め始めた。誰かと会話するのも面倒と思うけれど、どこかで繋がっていたい欲求が自分の中にあって、流川自身驚いた。恋人でも友人でも、バスケット以外での出会いを、流川は始めた。そしてそれは、いつでも自分の想像以上に簡単に見つけることができた。
 日本にいたときも確かにファンらしい子はたくさんいた。けれど、それがこちらで通用すると思ったこともなかった。流川の容姿で、バスケットに打ち込んでいて、クールに見えるのに意外と情熱的なのだ。モテる要素はたくさんあった。
 流川がアメリカに来たときは16歳だった。「男」になるには早いと思っていたら、こちらは日本とは違っていた。その流れに、流川は乗りかけていた。

 最初の相手は少し年上の女性で、流川のつたない英語を真面目に聞き取り、間違った英語を直したり、アメリカでの生活を教えたり、世話焼きだったと流川は思う。おかげでこちらに慣れるのも早かったし、流川も彼女と話すことが案外楽しかった。バスケットにそれほど興味のない様子が、かえって新鮮だった。お互い忙しいので、そんなに頻繁に会えなかったけれど、会えば彼女は大笑いし、自分もどこかホッとしたのだ。競争社会に飛び込んだ自分の、小さな癒しだったと後で思った。
 二人で会うようになって3ヶ月近く経ったとき、なんとなくそんな雰囲気になった。好きと言われたわけでも、付き合うと決めたわけでもない。それでも先へ進む空気が流川にはわかった。
 彼女の部屋へ誘われて、流川自身歩きながら下半身に熱がこもっていた。それほど緊張はしなかった。ああセックスするんだな、と他人事のように考えていた。
 部屋に入るなり、靴のままベッドの上に立った彼女に、流川は頭を抱きしめられた。身長差があっても、高いベッドではそうなるだろうとまだ流川は冷静だった。キスよりも先に、柔らかい胸を顔に押しつけられて、流川は目を閉じた。世の中にこんなに柔らかい体があるのかと驚いて、自分の右手でグッとそれを確かめた。ゆっくりと揉んでみても、痛がる様子はない。その不思議な物体に、流川は顔を埋めた。
 服を脱がせても良いものだろうか。それよりも電気を消すべきなのか。手順がよくわからず、でも無様なことはしたくなかった。
 左腕を背中に回すと、その腰が細いことがよくわかった。右手が吸い付いたように、胸から離れない。自分の意志と関係ないところで、体が勝手に動く。この荒い呼吸は自分のものなのか。苦しくなってきた下半身を早く解放したいな、と思った。
 目を閉じたまま、流川はふと花道を思い出した。
 あの男が今の自分を見たら、どういうだろうか。きっと不潔だとか、ありえないとか、とにかく殴られるだろう。まさかこんなにも早く経験するとは思っていないだろう。今頃彼は何をしているのだろうか。
 髪を撫でられて、流川は目を開けた。
 こんな甘い匂いの中で、なぜ花道なぞ思い浮かべてしまったのだろう。
 一度首を左右に振って、流川は顔を上げた。
 両頬を細い指で挟まれて、ゆっくりと彼女が自分に向かってくる。そういえばまだキスをしていなかったっけ、と流川はじっと見つめていた。
 唇を感じてから、流川は目を閉じて、キスに集中しようとした。
 その瞬間、流川は全身が冷めてしまった。
 そういう空気はすぐに相手に伝わる。まだ腰に腕を回してはいるけれど、流川はもう抱きしめてはいなかった。さっきまで爆発寸前だった流川自身が、今は重力に従っている。
「あれ…」
 自分でも何が起こったのかわからなかった。
 唇は柔らかかったし、口臭もない。嫌だと思ったことは何もなかったはずなのに。
 何かが違う、と告げた気がした。
 再開の雰囲気のない流川に、別人のように豹変した彼女の罵りが始まった。こんなときにそういう単語を使うのか、と流川は覚えた。聞き取れない言葉もあったけれど、きっと恥をかかせてとか、インポとかホモとか、そういう羅列だったと思う。
 ここは謝るべきなのだろうか。けれど、仕方のないことだし、と流川はすぐに背中を向けた。
 その夜、さすがの流川も自分の性癖についてじっくり考えた。本当にゲイなのか。いや、あの胸はかなり気になった。もう触れることもできないと思うと残念と思う。ならば、ノーマルなのか。単に、初めてだから、知らないうちに緊張していたのか、と自分に言い聞かせた。
 きっと彼女にもそう言えば良かったのかもしれない。けれど、なんとなくプライドが許さない気がした。そんなことを言っていると、永遠に童貞かもしれない、と流川は小さく笑いながら、ぐっすり眠った。

 

2014.10.11 キリコ
  
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