のろい
そういえば、何度髭を剃ってもらっただろうか。怪我が治ってから、もう一度だけ当たってもらった。髭を当たる、という表現も、流川は花道から聞くまで知らなかった。
その最後の日だ。ガーゼも取れて、ちゃんと両目を開くことができた。それでも花道は迎えに来ていたはずだ。帰りは一人で帰宅した記憶がある。とてもモヤモヤしながら、ゆっくり自転車を走らせた。
花道が剃刀を動かすとき、反対側の手が自分の頬やら唇を引っ張るようにしていた。それは自分でもすることなので、不思議ではない。けれど、一度だけ、手ではないものが触れた気がするのだ。
「キスしやがったな」
時間も過ぎた今ならそんな単語も口に出せる。けれど、当時は考えるのも気恥ずかしい時期で、そのときも目を開けることもできなかったし、問いつめることもしなかった。花道も、いつも通り機嫌良く話しかけていたし、終わったときも何も言わなかった。
あれは指ではないと思う。それとも勘違いだったのだろうか。自分はそんなことを望んでもいなかったし、花道が自分に好意があるとも思えなかった。
「やっぱり…かんちがい…」
今でもわからない。けれど、アメリカに来て付き合ってきた3人と、花道を比べたのは、たぶんキスのことだと思う。あのキスと違う、と思っただけで、自分は反応を示さなくなった。
では、花道を好きなのか、と問われると、首を傾げることしか出来なかった。
「まあ……会えばわかる…かも…」
もうすぐ日本というときに、流川は少し自信なさげに結論付けた。
金曜の夜に実家に戻った流川は、その足で花道の家に自転車を走らせた。
久しぶりの日本の湿気を感じながら、急に行くと驚くだろうなと少し楽しくなった。以前のように、家族がいる日とそうでない日があるだろう。今日はどちらだろうか。きっと時差ぼけのまま訪れると、今日は帰宅できないと勝手に予定した。それとも電話して確認する方が良かっただろうか。
「番号知らねー」
花道は何度か自分に電話をかけてきていたけれど。流川が怪我をしていた間だけだが。
やっぱり何度考えても、自分たちは特別な関係ではなかった。花道の家のベルを押すと、桜木軍団が顔を出した。
「え!ルカワ?!」
この男の名前は何だったかな、と流川はぼんやりと考えていた。
奥の方から自分の名前を連呼されて、軍団全員揃っているのだろうか、と思った。
「ルカワ……え…なんでココにいるんだ?」
花道の驚いた顔に、流川は心の中でガッツポーズをした。久しぶりに赤い髪を見て、意外にも懐かしいと感じた。
流川が返事をする前に軍団に部屋に招き入れられて、テーブルの周りにギュウギュウに座る。その上にチキンやケーキの残骸があって、どうやら誕生日パーティだったらしいことがわかった。
「ルカワも参加しろよ!」
コップに何かを注がれて、乾杯の音頭に付き合わされる。ほとんどコップも持ち上げなかったけれど、周囲は賑やかなままだった。一口飲んでそれがアルコールだとわかり、流川はそのままコップを置いた。
「ジュースもあるけど、乾杯はやっぱコレでしょ」
もう誰が話しているかもわからなかった。そして、自分がまだ一言もしゃべっていないことに、やっと気が付いた。
「そういえばルカワ…いつ帰ってきたんだ?」
洋平の声に、流川はそちらを向いた。そして洋平が手渡したウーロン茶を受け取りながら、流川は返事をした。
「……今日…」
「え……今日?」
今度は反対側から花道の声が聞こえた。
そのときにはもうすでに、全員の声がかなり遠くになっていた。
以前、意識を失ったときもこんな感じだったな、と思い出した。
「…そう…」
自分では花道の方を向いて頷いたつもりだった。
けれど、結局、そのまま畳に倒れ込んでいた。ウーロン茶はかろうじてテーブルの上に置くことができた。その何時間か後、お開きになったパーティの片づけもそこそこに、花道はふとんに入った。明日は学校で、明後日は試合がある。リズムを狂わせるような生活はしたくなかった。
そして、長く伸びたまま寝息を立てる流川に、盛大なため息をついた。隣に敷いたふとんに引きずっても、流川は目覚めない。元々寝ギツネだったけれど、今日のこれは時差ぼけというものだろうとわかる。
「なんでウチに来てんだバーカ」
花道はおかしくて笑いそうになった。
まさか帰国して自分に会いにくるとは思わなかった。それを嬉しく感じた自分も不思議だった。
豆電球にした部屋で、流川の顔をじっと見つめる。右側の前髪を上げると、その傷跡が見えた。
花道も、流川が飛行機の中で思い出していたことと同じことを、振り返っていた。
今日は花流の日〜(*^^*)
2014.10.11 キリコ
SDトップ NEXT