奇 跡
6月の上旬、晴れて暑い日だった。その日は赤木の結婚式だった。
結婚する連絡を、流川と花道はそれぞれアメリカで受けた。赤木からの電話口で、二人の反応はそれぞれだった。律儀な先輩だ、と思ったし、ありがたくも感じた。それほど悩みもせず、懐具合と相談しながらではあったが、二人とも日本への一時帰国を決めた。
挙式、披露宴、2次会など、長い一日となった。前日に戻ったばかりの流川は少々の時差ぼけを感じながら、似たような質問に答えていた。一緒に帰ってきた花道は疲れも見せず、元気にいろいろな人に話しかけていた。湘北メンバーだけではない。赤木の大学時代、そして現在の企業チームの関係者など、かなりの大人数だった。高校時代は敵でも、大学リーグで苦楽を共にしたチームメイトが、企業ではまた敵など、人間関係も複雑だった。
湘北バスケ部は、赤木以外は皆それぞれ就職していた。選手として生きていける確率がどれくらいなのか、流川も花道も知らない。それでも、同級生が大学を卒業する時期の現在、まだアメリカで挑戦し続けていられるのは幸せなことなのかもしれない、と気が付いた。
「お前たち、前は一緒に住んでたんだろ?」
かなり酔っているらしい三井が、1時間前にした質問を繰り返した。
今回も、流川たちが答える前に周囲から驚きの声がもれた。
「想像つかないですね」
「家の中でもケンカ?」
赤木の配慮なのか、二人の席は一度も隣にならなかった。そのおかげで、丸いテーブルの真正面に座ることになり、顔を上げるとすぐに目が合った。
「…そんなことねー…よな?」
花道に問いかけられて、流川は首を傾げた。
「…覚えてねー…もうずいぶん前だし」
「ずいぶん前って……一年前だろーが」
流川がため息で会話を終わらせようとしたので、花道は立ち上がろうとした。実はそれほどテンションが高いわけではなかったけれど、湘北の中では自分たちはこういう間柄なのだと言い聞かせていたから。
「まーまーおめでたい席だから」
木暮に止められて、花道も素直に座った。
それからアメリカでの生活のことやバスケットについて話が弾み、二人はそれぞれに会話に参加していた。その流れで、女性とのお付き合いの話になったとき、全員がまず流川の方を向いた。一番想像できない相手だったから。
「何人と付き合った?」
遠慮なく聞く三井は、無意識に人数をたずねていた。流川が22歳という年齢まで誰とも付き合わないはずはないと思っていたのだろう。
もしかしてはぐらかされるだろうか、と誰もが固唾を呑んで見守っていたけれど、少し目線を上に向けた流川はしばらくしてから答えた。
「3……4人?」
「3」という数字ははっきりと発音し、それから首を傾げて小声で「4」を付け足した。
どんな恋愛をしているのかまではやはり想像もつかないけれど、流川もやはり普通の男なんだなと全員がホッとした。
ふと花道がいることを思い出し、この話題にどんな反応をするのか、おそるおそる表情を見た。花道は驚いた顔をしていたけれど、怒っている雰囲気ではない。じっと流川を見つめていた。
まるでその視線から逃れるように、流川は立ち上がった。グラスを手に取ったので飲み物を取りに行くのだろうと隣の桑田は判断した。
「桜木君は?」
桑田のその問いは、流川にも聞こえていた。けれど、花道の返答までは届かなかった。
先ほどの流川と似たような答え方に全員が花道に突っ込みを入れていたことも、流川は知らなかった。席を離れた流川は、知らない女性たちに掴まった。最初は握手や写真だったのが、引っ張られるようにそちらの席に連れて行かれる。全く興味はなかったけれど、元の席に戻るのも面倒に思っていた。アルコールの入ったグラスを握りしめたまま、覚えられない自己紹介を聞くフリをした。次々に飛んでくる質問にも流川にしては丁寧に答えていたと思う。だんだん飽きてきて俯き始めると、疲れていると思われたのか、流川の頭の上で会話が弾んでいる。逃げるタイミングを失ったかなと思いつつも、やはり動こうと思わなかった。
花道は一年前まで流川と同じチームにいた。流川の知らない間に上位リーグに声をかけられ、移籍してしまった。そのときのショックは今でも覚えている。流川の方が早くにアメリカに来ていた。バスケの技術もかなりの差があったはずだったのに。追い抜かれていたということか。それでも流川は、所属しているチームで必死に戦い続けてるし、今のところクビになりそうな様子はないと思う。
そして、花道は次の秋リーグからもっと上位チームに行く、という噂があった。花道本人は言わないし、流川も聞かなかった。日本に戻る飛行機の中でも、元いたチームのことや他愛のない話しかしなかった。流川からするとかなりすごいことだと思うけれど、日本ではニュースにならないのだろうか。NBAに所属するくらいのことでなければ、ただ「アメリカで頑張っている」という評価なのだろうか。
流川は花道のことを好きだと思ったことはない。けれど、頭の中は花道でいっぱいだった。負けるものかという思いと、不思議と褒めたくなるような気持ちを、うまくバランスが取れないでいた。同じチームにいたときはそう思わなかったけれど、ライバルとはこういうものか、と意気込んでいた。
「ねみー…」
小声で呟いたけれど、賑やかな声にかき消された。
賑やかと思うけれど、アメリカの結婚式とはずいぶん違うと感じていた。厳かな式、礼儀正しい披露宴、今の二次会も暴れる人はいない。流川も花道もアメリカの結婚式に招待されたことがあるが、賑やかというレベルではない。よく飲んで、踊って、そして出会いの場であることは似ているのかもしれない。いつもではないけれど、アメリカでは「お持ち帰り」があった。日本ではどうなのだろう。流川はこのまま誰かにお持ち帰りされるのか、もしくは流川自身が望む相手がいるだろうか。もっとも、流川は自分がそういうタイプではないと感じていたし、お持ち帰りされかけたときは常に花道に邪魔されていた。
クスッと口の端で笑ったとき、突然腕に痛みを感じた。
「ルカワ…オメーは…」
花道の低い声に驚いた顔を見せたけれど、どこかホッとした。懐かしいとさえ思った。返事をする前に右腕を取られ、花道に抱えられる。女性たちの非難の声を背中に聞きながら、流川は目を閉じた。広い会場を引きずられ、主役である赤木のところに挨拶に行く。花道が勝手に説明していることを、流川は反論もせずに黙って聞いていた。