奇 跡 

 

 また日常に戻ったと流川は思っていた。最近は飲みに行っても無理に出会おうとせず、とにかく人と知り合うことを意識していた。本当に自分が「いいな」と思う相手はどんな人なのだろうか。未だに流川にもわからなかった。
 花道は夕食後に一人で出かけることが多くなっていた。これまではほとんど同じ場所にいたので、流川には意外だった。
「あ……デート…なのか?」
 一人で飲んでいるとき、ようやくその可能性に気が付いた。そういえば、最近電話もよく使っていた気がした。いつからだろう、どこで出会ったのか、どんな人だろう。そんなことを想像してみるけれど、直接聞くことはしなかった。誰かと付き合う花道を羨ましいとは思うけれど、悔しいわけではない。先に大人になるかもと思うと、なんとなくムッとした。
 花道の相手について、流川はチームメイトから耳打ちされた。
『アイツは良くない』
 と、わざわざ忠告をくれるくらいの有名人だった。流川も見たことはあるけれど、話したことはなかった。チームの応援なのか、バスケットが好きなのか、グルーピーに近い存在で、いろいろな選手に近づいているらしい。
『花道…喰われるぞ』
『……喰われる?』
『カエデは止めないのか?』
『…なんでオレが…』
 首を傾げた流川に、チームメイトはため息をついた。
 ずっと以前から、花道と流川は「デキている」という噂があった。二人がいつまでも一緒に暮らしているし、飲んでいても近くにいることが多いからだ。これまでも、チームの誰かが二人の家に遊びに行ったり、いろいろ観察されていた。しょっちゅう繰りひろげられる本気のケンカを見て、やはり違うのだろうかとも言われていた。
 流川の表情はわかりにくいと周囲は思う。けれど、付き合っている人を奪われた、という雰囲気でもないように見えた。

 花道が夕食を家で摂るのは、お金がないからだろう。流川はそんなことを考えながら、一人の時間を楽しんでいた。一つしかないテレビとビデオを占領できる。好きなバスケの試合もアダルトビデオでも、自由だった。
「一人暮らしってこんな感じか…」
 わざわざ独り言を言ってみようと思うくらい、静かだった。テレビの音や、外の車の音はある。けれど、今日あったことやテレビの内容について会話することが出来ない。花道がいると常に賑やかで、家の中が明るく感じた。
「明るい子…」
 自分が無口な方だから、きっと明るくよく話す相手がいいのかもしれないな、と流川は気が付いた。もっとも、物静かな女性を探す方が難しいかもしれないと苦笑した。

 それからすぐの休日に、流川は一人で買い物に出ていた。帰り道に急な雨に遭い、流川は舌打ちしながら走った。
 雨に濡れた服を気にしながら家に入ると、すぐそこに女性がいた。一瞬、部屋を間違えたかと驚いたけれど、その顔を見て例のグルーピーだと気が付いた。そして、バスタオル一枚という姿に、照れるよりもギョッとした。
『あら…』
 相手の色気付きの声が、なんとなく不快だった。チームメイトからの話がなくても、流川はお近づきになりたいタイプではない。大柄で肉付きが良くて、獲物を狙う目という印象だった。花道のタイプでもない気がするけれど、流川の思い違いだったのだろうか。
 すぐに花道が自分の部屋から出てきて、まずはグルーピーに驚き、その後流川がいることに後ずさった。
「え…ルカワ」
 花道の手には着替えがあった。
 なんとなく流川には展開が見えた。急な雨で濡れたから花道の家に来て、シャワーを浴びている間に花道が着替えを準備していたのだろう。それとも、実は「事後」なのだろうか。流川はじっと花道を観察したけれど、外出着のままだ。
 気まずい雰囲気になり、流川は買い物したものをキッチンに入れながらため息をついた。
 こういう事態は想定していなかったので、二人の間にルールがなかった。ガールフレンドを連れてきたい場合、どうすればいいのか。気を利かせて出ていくべきか、それとも家には連れてこないことにするか。今そんなことを話し合うこともできない。そして、流川はもう外出したくなかった。
「ごゆっくり」
 心にもない言葉を日本語で言った。自分の部屋に入り、流川はベッドに倒れ込んだ。
 しばらくリビングで何やら話し声が聞こえ、その後玄関のドアの音がした。
 花道も出かけたのかと思っていたら、しばらくして部屋をノックする音が聞こえた。
「ルカワ…」
「…なんだ」
「その……ごめん」
 小声で謝られて、流川は自分がどう反応すべきか考えた。不愉快なことだったとは思う。けれど、それは何に対してだろうか。
 部屋を出てリビングで、花道が説明を始めた。おおよそ流川の想像通りで、その強かさに振り回されている花道に気が付いた。
「オレ、部屋には連れてこないようにしてたんだけど」
 流川は花道の表情を見ながら、自分の反応を振り返っていた。
 グルーピーのほぼ全裸な姿を見たとき、頭に血が上った気がした。非常に不快で、まるで汚い物を見るかのような目線になったと思う。本来なら、どんな裸であっても男として興奮しただろう。けれど、この相手とは違う。花道と付き合っている相手に、全身の毛が逆立った。ようやく花道に相手がいることを本当に理解したのだろう。初めて花道の濡れ場を想像することが出来た。これまで何とも思わなかったのに、突然嫌な気持ちになった。
 これは嫉妬だ。
 すぐに認めた自分に流川は驚いた。けれど、きっとそうなのだろう。
 果たしてどちらに対する嫉妬なのか。そこまでは流川にもわからなかった。
 先に大人になった花道に、なのか。それとも花道に抱かれる女性全般に対してなのか。
 いや後者はありえないだろ、と心の中で突っ込みを入れながら、流川は花道の表情を観察した。
「なんか…テメー、暗いな」
 しんみりとした流川の声に、花道は顔を上げた。
「全然楽しくなさそー…に見える」
 その表現に、花道は怒ることもせず、ギュッと目を閉じた。

 

2015. 4. 15 キリコ
  
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