奇 跡
花道は二度と触れることはないと思っていた背中に、指の力を込めた。とても驚いて、もちろんテレビのことも忘れていた。
両腕を下に下ろしたままの流川は、そのまま動かなかった。偶然くっついたものを花道はまた強引に引き寄せただろうか、とドキドキしたけれど、流川は逃げるそぶりを見せない。けれど、花道に抱きつく様子もなかった。
花道は意を決して、流川の腕を自分の首に運んだ。ゆっくり片手ずつ動かしても、流川の腕は抵抗はなかった。両腕を首に回させて、花道は流川の腰あたりに手のひらを当てた。軽く撫でて、軽くキュッと押す。心の中で「せーの」と呟くと、流川は自ら飛んで、花道の背中に両脚を巻き付けた。
「伝わった…」
そう思うと花道の顔はニヤついてしまう。流川は無言のままだし、特に積極的な様子もない。けれど、どうやら同じ気持ちらしい。
またしたい。
花道は流川の背中を強く抱きしめながら、一度流川を抱き上げ直した。
「…おろせ…どあほう」
自分で巻き付いてきながら何を、と花道は笑いそうになった。
「腰に響くだろ」
そう付け加えられて、どんなときでも体を大事にする流川を思い出した。命令には従えないけれど、忠告はありがたく受けておこうと思う。花道は流川を下ろすために、急いで自分に部屋へ移動した。
花道がベッドに座ると、流川が自分を見下ろすように跨ることになった。果たして前回はどうやってベッドに倒れ込んだのだろうか。意識がはっきりしている今は、照れや躊躇いも手伝って動きが鈍い。
部屋の電気を付ける余裕もなかったので、また細く入るリビングの明かりが頼りだ。うっすらと流川の顔が見える。いつも通りの無表情だった。けれど、流川の下半身は痛そうなほど勃起している。自分と同じ状態のことに勇気を得て、花道は「ルカワ」と呼びかけた。
花道を見下ろしていた流川が、ゆっくりとキスをした。「ああそれその顔」と花道はまた胸が熱くなる。目を閉じると、触れるだけのキスが去っていった。花道が首を上げると、また流川が近づいてくる。その後頭部を支えながら、花道は流川を静かに押し倒した。
「またその顔…」
口の中で呟いた。花道は自分を見上げる流川の表情が堪らなかった。優しい顔も笑顔も良く知らないけれど、力が抜けていて穏やかな表情をしているように見えた。
深いキスを始めると、背中にあった流川の腕が花道の耳元に移動する。髪の毛に指を絡めて、花道を逃すまいとしているように見えた。
花道は以前よりも性急に事を進めていた。ゆっくり丁寧に、と思うのに、体は持ち主の言うことを聞かなかった。キスをしながら、すぐに流川の乳首を摘んだ。小さな声が口の中に伝わって、一層花道は興奮する。それからすぐに流川の分身に直接触れて、ショートパンツを少しずらした。
明らかな喘ぎ声に興奮しながら、花道は舌と右腕を一生懸命動かした。ギュッとしがみつく流川の肩を、空いている左手で抱きしめた。
一度唇を離すと、流川の甘い吐息が聞こえた。もう限界だろうなぁと花道は冷静に観察した。
花道任せで、ずっと黙ったままなのかと思った流川が、喘ぎながら話し出した。
「テメーは…やっぱりホモなのか」
少し笑ったような声で言われて、花道はドキリとした。
この状況で言われたら、誰が違うと言っても説得力はなかった。
「ち、チガウ…」
花道は頼りない声で否定した。絶対に違うと自分では思っているけれど、流川はどこからどう見ても、男なのだ。
「…じゃー、これはどーいうことだ」
流川の腕が下の方に降りて、花道自身を掴んだ。着ていたジャージを脱ぐ余裕はなかったので、服の上からだった。
「そ、ちが…えと…その、テメーだって…」
負けじと花道は流川に力を込めた。
「オレは抜くとこだったからだ」
堂々と宣言されて、花道の方が照れてしまった。「その延長」と付け足され、花道は少し驚いた。
もしかして、これは流川が引いたラインなのだろうか。
どうやらお互いにこうしたい、と思っているけれど、男に興味があるわけではなく、オナニーの延長で触れあっている、ということにする、そう宣言された気がした。
「お…オナニーで…乳首舐めたりしねーだろ?」
花道の声はいつもの半分くらいになった。何の照れもなく言った流川にかえって呆れた。よくもまあこんな話を普通の声で出来るものだ。
「オレはしてねー…テメーが勝手にやってるだけ」
そう言われると、何となく不満な顔になった。
「もーいーから、イカせろ…どあほう」
全く甘い空気にならない。口を開かないでいて欲しいと花道は心から思った。
キスや吐息は甘く感じる。しがみつく指もいい。
これからはずっと口を塞いでやろう、と花道は決めた。
流川はつい何十分か前と同じようにまたシャワーの下にいた。ほんのついさっきだ。
なぜこんなことをしているのかという過程を思い出すと、頬が熱くなった。素直に気持ちよかったと思えるし、後悔もないし、少し気恥ずかしいくらいだった。先日は気まずくて殴った。けれど、あまりにも力が入らなくて、止めておけば良かったと心から思った。
男同士だからそんなこともある、と自分に言い聞かせる。流川はそんなことはしたことがなかったけれど。
「ガキならあるって…」
そんなこともあると聞いた。たぶん小中学生くらいまでなのではないだろうかと流川は思う。
もうすぐ20歳になる流川はまだ大人ではないけれど、もう子どもでもないのだ。自分のしていることに責任を取る必要があると思っているし、自分で判断しなければいけないことも自覚している。
結局、自分で判断した結果がこの十数分のことなのだ。
もう花道に近づくまい、と決めていたのに、目の前で花道の笑顔を見たときに少し動揺した。別に珍しいものではなく、花道はよく笑い、よく怒る。ただ、自分に対して笑顔を向けたことはない気がした。先ほども、花道はテレビを見て笑っていただけだ。
「なに考えてる…」
自分が何を考えているのかわからなくなり、流川はギュッと目を瞑った。
必死の思いで花道の部屋を出たけれど、一度では満足できなかった。もう一度と誘うこともできず、出来るだけ甘い空気にならないようにして、そして絶対に一緒に寝ないようにしようと決めた。
何の話し合いもしなかったけれど、きっとまたするのだろう。
二人分の情欲が自分の腹部につくことにも慣れるのだろうか。今のように流してしまえばいいか、とさえ思う。誰にも迷惑はかけないし、間違っても妊娠したりもない。自慰の延長、と思って、ただ愉しめばいいかと流川は開き直る努力をした。