奇 跡
4月1日の夕方から誕生日パーティの予定だった。チーム内に同じ誕生日のチームメイトがいたので、合同でやることになっていた。また誰かの家なのだろうけれど、流川も花道も連れられていっただけでわからないままだった。当日祝われる人の家でということも多いけれど、花道の家はさほど広くはない。もう一人も同じだった。
『今日はやけにはしゃいでるなアイツ』
と、チームメイトに言われるくらい、花道は賑やかだった。離れていたところにいる流川にもわかるくらいだ。いつも以上にハイペースで飲み、話しかけてくる相手に大声で対応していた。何度か顔を引っ張られて、頬や唇にキスをされていた。流川はそれを目にしても何も感じなかった。今の流川は、挨拶のキスとそれ以上のキスの違いを知っているからだ。
そのまま出来るだけ花道から距離を取っていた。家を出るときからほとんど話していない。花道も声をかけにくそうにしていた。
昨日この男はオレで童貞を卒業したんです。
そんなことを報告してみたい気もした。自分の沽券にもかかわることなので、絶対にしないけれど。花道のテンションが高い理由がこれだろうと流川は思う。パーティは珍しくないし、特別好みの女性と出会ったわけでもなさそうだ。
妙な優越感を感じるのはなぜなのだろうか。流川自身どうしてもわからない。今の花道は、この中で一番流川と近しい存在だろう。どれほどアプローチをされても、花道が照れて困っているだけの様子がわかる。強引にどこかへ腕を引かれて、慌てて逃げてくることもあった。
その日、流川もモーションをかけられたけれど、ひたすら大人しくしていた。
恒例のケーキも、今回は一部を顔につけられただけのようで、主役の二人が笑いながら怒っている。流川は遠目で見ていた。花道なら、積極的に流川の顔にケーキをぶつけるに違いない。そう思ったけれど、実際には一度もされたことがないことを思い出した。
「まぁ……高校生のアイツならやるだろうな」
今よりももっと精神的に幼い花道を想像して、流川は懐かしく思った。パーティのお開きの時間には、花道はソファに沈み込んでいた。ここまで飲む姿を流川は初めて見た。
『カエデ、連れて帰ってやれよ』
『…なんでオレが…』
『二人で一緒に帰った方が安心なんだろ?』
それを言ったのは花道だ、と言い返す前に、チームメイトは消えていく。こんな巨体をどうやって持ち帰るんだろう。流川は今朝までの気まずさも忘れて、花道に声をかけた。
「桜木…起きろ」
花道は無反応だった。眠っているわけではないのか、小さく手を振っている。流川にバイバイと言っている気がした。
「…ここに泊まる気か?」
「………帰る…」
花道が両腕を伸ばしたので、流川はその腕を引いた。花道の重さに驚いた。抱きつくようにもたれられて、流川はよろける。
「重い…」
思わず文句が出た。このまま家まで歩くのは厳しい、かといってタクシーはお金がかかる。そう思った瞬間、見かねたチームメイトが車で送ってくれると言う。流川は心から感謝した。
車の後部座席に座り、始めは流川の肩にもたれていた花道が、最終的には膝枕になった。流川は大きなため息をついて、迷惑そうな態度を出した。チームメイトと他愛もない話をしながら、膝の熱さを意識していた。視線を下ろすと花道の赤い髪が乗っている。大きな手のひらが流川の膝頭を掴んでいた。
お礼を言ってチームメイトと別れ、流川は花道を抱えながら部屋に戻った。実は酔ったフリなのではないかと思っていたので、二人きりになったときに「いい加減にしろ」と手を離した。すると、花道はそのまま座り込んだ。ここまで帰ってきて、家の前に放り出すことはできなかった。
花道のベッドにたどり着いたとき、流川は少し力を込めて花道を放り出した。流川の腕は離れたけれど、花道の腕や足がいつの間にか絡み付いて、流川までベッドに引きずり込まれる。狭いベッドに横向きに向かい合うような姿勢になり、流川はまたため息をついた。
「はなせ…どあほう」
両腕を突っ張ろうとするけれど、花道の力の方が強かった。流川の首筋に赤い髪を当てながら、両手両脚で流川に巻き付いている。二人とも靴を履いたままのことも気になっていた。アメリカでの生活が長くなっても、この習慣は馴染めなかった。
「まぁ…オレの布団じゃねーし」
諦めて体の力を抜くと、呼吸が楽になった。
「酒くせー…」
きっとお互い様だ。花道からは、お酒以外にも香水やケーキの甘い匂いがした。顔や髪に少しついただけだからと、タオルでゴシゴシ拭いていた。赤い髪に鼻を近づけると男くさいはずのに、いつもの花道の匂いだと安心した。
こうしてこのベッドにいると、昨夜のことを思い出してしまう。痛くて苦しい時間で、起きたあとも違和感を感じる。それほどのことなのに、流川にはまだ花道を受け入れる気持ちがあることに自分で驚いた。花道が望むなら、また我慢してしまうと思うのだ。
自分とこうしていると、花道にはガールフレンドができないかもしれない。こんな関係になってからの花道を見ていてそう感じた。どれほどモーションをかけられても、花道はなびかなかった。まだ好みの女性に出会っていないだけかもしれない。けれど、日本にいたときの花道は惚れやすく、すぐに告白していたと聞いていた。それとも大人になるにつれて、慎重になっているだけなのだろうか。
「オレには関係ねー」
花道が女性と付き合うよりも、自分とこうする方が良いのなら、それでいいと思っていた。流川自身、まだ相手がいないのだ。
けれど、なぜこの痛い行為までしなければいけないのだろうか。そう疑問に思うのに、きっと花道を受け入れる自分が想像できた。
流川は両腕を放り出して目を閉じた。まだ夜は肌寒いこの時期に、花道の体温が温かく感じる。このままではここで寝てしまう。それでは二つとも選択したことになってしまう。
いろいろなことを一生懸命考えながらも、流川は睡魔に逆らうことはできなかった。